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冬山の怪異 - ある冬山での忘れられない体験

投稿日:2024年2月11日

山岳遭難というと、一般的には悪天候や装備の不備、体力の限界といった要因が思い浮かびます。しかし、私が2020年2月に北アルプスのある山で経験したことは、そんな単純な説明では片付けられないものでした。

今でも、この体験を書き記すべきか迷っています。しかし、同じような事故が繰り返されないように、私の経験を共有することにしました。

異様な静けさの中で

その日の早朝4時、私は静かな登山口に立っていました。真冬の山行は、早出が基本です。しかし、その朝は様子が違いました。

普段なら聞こえるはずの早朝の鳥のさえずりが、まったくありません。ヘッドライトの明かりだけが闇を切り裂く中、私は不吉な予感と戦っていました。

懐中時計は4時15分で止まっていました。電池は新品だったはずなのに。スマートフォンは4時45分を指していましたが、この時間のズレが、後の怪異の前触れだったのかもしれません。

謎の足跡と異常現象

標高2,000メートル付近まで順調に登高を続けました。しかし、樹林帯を抜けたあたりから、状況は一変します。

新雪の上には、誰かの足跡が続いていました。しかし、登山口の駐車場には私の車しかなかったはずです。しかも、その足跡は登りの方向だけ。下りの跡がないのです。

さらに不可解なことに、その足跡は突然途切れていました。まるで、その人物が空中に消えてしまったかのように。

白い着物の人影

標高2,500メートル付近で、予想外の吹雪に見舞われました。その時、私は「それ」を目撃します。

吹雪の向こうに、白い着物を着た人影が立っていました。しかし、その姿は普通ではありませんでした。足元が地面についていないのです。そして、振り返った顔には...何もありませんでした。

存在しないはずの避難小屋

運命の皮肉か、私はその後、地図にない避難小屋にたどり着きます。中には1985年の賞味期限が記された非常食と、壁一面に刻まれた不気味なメッセージ。

「助けて」「寒い」「もう限界」 そして最後に、 「私たちと一緒に...」

奇跡的な生還

翌日、私は奇跡的に下山に成功しました。しかし、山岳救助隊の言葉に戦慄が走ります。

「あの辺りには避難小屋なんてないはずなんですがね...」

後日わかった恐ろしい真実

帰宅後の調査で、ゾッとするような事実が判明しました。1985年、同じ場所での女性登山者の遭難事故。遺体は発見されず、その後も同様の遭難事故が続いていたのです。

不思議なことに、生還者たちの証言には共通点がありました。白い着物の女性、顔のない人影、そして存在しないはずの避難小屋...。

終わりに

この体験から4年が経ちました。しかし今でも、暗い夜には遠くから誰かが呼ぶ声が聞こえる気がします。そして時々、目覚めると懐中時計の針が、あの日と同じ4時15分で止まっているのです。

私は二度と冬のあの山域には登りません。そして、誰にも勧めません。その山には、確かに何かが潜んでいます。人を招き寄せる、得体の知れない「何か」が...。


この体験記が、誰かの命を救うきっかけになることを願っています。

※この記事は実際の体験に基づいています。冬山での単独行は、天候が急変する可能性が高く、大変危険です。必ず経験者と同行し、十分な装備と計画を持って臨んでください。

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