遭難の痕跡 - ある登山者の不可解な体験
投稿日: 2024年11月3日
皆さん、こんにちは。今日は私の人生で最も恐ろしい体験を、ようやく記事として書き記すことができました。この出来事は3年前のことですが、今でも鮮明に覚えています。
はじめに
登山歴15年のベテランだった私は、日本百名山を完全踏破し、次なる目標として「1000座踏破」を目指していました。その記念すべき1000座目として選んだのが、奥秩父の外れにある無名峰でした。標高1500m程度の、一般的な登山地図にもほとんど載っていない山です。
不思議な山選びの理由
正直に告白すると、この山を選んだ理由は少々物議を醸すかもしれません。某登山サイトで「心霊スポット」として話題になっていたからです。「深夜の山頂付近で揺れる提灯の明かり」「何もないはずの場所から聞こえる笛の音」...そんな投稿に、私は密かな期待を抱いていました。
登山当日
その日は10月下旬。紅葉の盛りは過ぎていましたが、まだ鮮やかな秋色に彩られた季節でした。朝6時、誰もいない登山口の駐車場に車を停め、私は出発しました。
最初の違和感
最初の1時間は順調でした。しかし、標高1000mを超えたあたりから、様子が急激に変わり始めました。それまでかろうじて確認できていた踏み跡が消え、赤テープも見当たらなくなったのです。
そして、最も不可解だったのは、同じような景色が何度も現れること。GPSでは確かに前進しているはずなのに...。
謎の救護所
正午過ぎ、ようやくたどり着いた山頂で目にしたのは、予想だにしない光景でした。
古びた木造の小屋。 「遭難者救護所」と書かれた朽ちかけた看板。
常識的には即座に引き返すべき状況です。しかし、私の足は小屋へと向かっていました。
衝撃の発見
小屋の中で見つけたのは、昭和40年代から続く「遭難記録」。そこには、私と同じ体験をした多くの遭難者の記録が残されていました。そして最後のページには...。
(※以下、詳細は伏せさせていただきます)
現実?それとも悪夢?
気がついた時、私は登山口の駐車場で車のハンドルに突っ伏していました。GPSログによれば、私は一歩も登山口から動いていなかったことになっています。
しかし、バックパックから出てきた一冊の日誌。そこには確かに、私の名前が1000番目の遭難者として記録されていました。
追記:恐ろしい発見
後日の調査で判明したことがあります。この山では明治時代から、毎年正確に7人のペースで遭難事故が発生していたのです。そして私が訪れた日は...計算すると、私はちょうど1000人目の遭難者だったことになります。
おわりに
私は今でも、あの日のことを考え続けています。そして、机に広げた地図を見つめながら、もう一度あの山に登るべきか葛藤しています。
真実は、あの山の中で待っているのでしょうか...。
※この体験談は、PTSDのカウンセリングの一環として書かれました。同様の山域への入山を決して推奨するものではありません。