【エッセイ】こじはると僕
高校時代、僕はAKBの大ファンでした。
握手会にも行ったし、生写真も集めていました。
月に支給されるお小遣いが1万円で(今考えるとまあまあ破格)、そのうちのいくらを『ヲタ活』に充てられるかだけが楽しみの高校生活。
昼メシ代を節約するためにコンビニでマイクポップコーン(¥100)を買い、食べた直後に水をたらふく飲んで胃で膨らますという究極の食事をしたこともありました。
そこまでして僕が推していたのが、こじはるです。
今でもたまにあるのですが、
「こじはるを推している」というと「なんでだよ!」と言われていました。
友達曰く、こじはるは「応援しなくても足りている人」だそうな。
当時のAKBと言えば、指原に代表されるような「アイドルとして、また人としての不完全さを美徳とし、それを崇拝する」という様式がオタクの間で根付いており、
下位層のメンバーを自分の応援によって押し上げることが1つの通例とされていました。
その点、容姿端麗でアイドル性も抜群なこじはるは、「自分の応援なんて必要としてないんだろうな…」という卑屈童貞精神を助長しかねない存在だったと言えるでしょう。
実際、握手会等でこじはる推しの人に会ったことがありますが、まあオジサンの多いこと多いこと。
一周してこじはるなんだな、という印象を受けたのを覚えています。
そんな熱も長くは続かず、僕はこじはるからフェードアウトしていきました。
特筆する理由は無いけど、本当にそんな気がしてきたから、とでも言いましょうか。
つまり「応援しなくてよくね?」と思ったから。
それから一切ライブにも握手会にも参戦することなく、遂にこじはるは2017年にグループを卒業しました。
いや、卒業したそうです。
それから僕はなんやかんやあって、脚本家を目指す運びとなり。
こじはるはブランドを立ち上げて大成功。
そしてコロナ禍で迎えた今年6月、僕は偶然こじはるのYouTubeチャンネルを開くのです。
内容は、有名人にありがちな「質問コーナー」。
その中で『なんで自身のブランドを立ち上げようと思ったのですか?』という問いに答えていました。
「卒業後に何したい?って考えたときに、
今まではメディアに呼ばれる立場だったけど、それはAKBでやりきったという思いがあって。
今度は自分がメディアになって、発信する立場になりたいと思ったんですね。
そしてブランドを通じて自分とファン、またファン同士のコミュニケーションが生まれたらいいなって」
(抜粋省略しまくり、完全意訳)
泣いてしまいました。
こじはるを推してたのは間違いじゃなかったなと、自分の青春を肯定された気になって、泣いてしまいました。
それは、こじはるの考えが今の自分に刺さりまくったから。
僕は脚本家になりたいと思う反面、
「本当は自分が面白いと思うことがしたいだけなのに」と思っていました。
なら、地道にそれをやればいいと思いますよね?
僕の本当にタチの悪いところは、自意識が過剰なんです。
結局、絶対的な「太鼓判」が無いと、周りの目を気にして何もできないのです。
いや、「免罪符」の意味合いに近いかもしれない。
こんな賞を獲りました、これだけのフォロワーがいます、いくら稼ぎました。
目で見える担保がないと、その先のチャンスを借り入れることすらできない。
そして腹を括る勇気もないくせに、面白いことがしたい、有名になりたい…。
そんな自分にほとほと嫌気が差していました。
こじはるの回答は、自分の思いをすべて言語化していました。
AKB随一の功労者だからこそ持ち得る太鼓判。
自分がメディアになりたいなら、メディアに貢献しなければならない。という教え。
その圧倒的説得力。
まるで水を得たマイクポップコーンのように、心の中へ浸透していきました。
と同時に、
もしかしたら、本当に応援など必要としていなかったかもな、とも思いました。
発想も行動力も雲の上の存在です。
ただ僕にとって、こじはるを応援することは間違いなく必要不可欠なものでした。
そういうオチでした。
僕は今、100%の気持ちで脚本家を目指しています。
テレビドラマの脚本家になりたい。
そう思ってコンクールに応募する日々です。
その先、自分がメディアになって、正義となって、面白いと思うものを発信できるように。
そしていつか、自分のチャンネルで「質問コーナー」をやってみたいです。
(完)
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