何者でもなかった私に生きる意味を与えてくれた喜びと感謝を忘れない。『将棋無双・第30番~神局のヴァンパイア~』の記録
昨年観劇した作品の中で最も心を掴まれた、『将棋図巧・煙詰ーそして誰もいなくなったー』
私は当時同時並行で公演のあった別舞台との関連と、「友達」をキーワードとして感想を残している
そのとき私が見ていたものは、実に美しかっ"た"
それが今では、その一部は崩れてしまっている
こうも脆いものかと、怒りを通り越した空しさを感じてしまう
『第30番』のストーリーも、玉将と飛車の愛憎が描かれていた
飛車は玉将に出会ってすぐ、「友達」だと認識した
「自分が何故生まれたのかもわからずこの世を彷徨っている」という苦しみを持つ者同士、玉将の心を見抜いた飛車が同調した形だ
物語の展開としては美しいのかもしれない
しかし私はこの経緯に、初日の観劇の時点で違和感を抱いてしまった
理由はあくまでも個人的な経験則からなのだが、私は現実に、この感覚で人に近づこうとして失敗した経験を持っている
その相手とは、何を隠そう、私をこの世界に導いた最初のきっかけとなった人だ
私は彼女の何に惹かれたのかと冷静になって思い返してみれば、彼女が生み出すものへのリスペクトではなく、下心と同情でしかなかった
相手の身の上話を聞いて同情し一方的に好きになり、頭では依存はしないと思いながらも、心は依存してしまっていた
私が日常の中で精神的に追い詰められていた昨年7月から8月にかけて、依存が言動に現れた時期があり、結果的に相手を傷つけることになってしまった
そして「友達」という言葉を再び疑うきっかけになってしまったのも、彼女の共演者だった人物だった
その人物にもまた、身の上話に同情して好きになりかけた
やはりそこにリスペクトはなく、互いに誤解と思い込みしか持っていなかったような気がする
そんな失敗を繰り返さずに済むようになったのは、私に新しい価値観をもたらしてくれた人がいたからだ
物語が進む中、玉将に予言を贈る存在として現れる二人、桂馬と成桂
謎が多くミステリアスな立ち位置にあるこの二人が、物語の終盤で大きな役割を果たすことになる
ラスト、玉将の「全軍躍動」の言葉に呼応し、叛逆の逆十字が反転する場面で最も印象に残り、心を揺さぶったのは、真田林佳さんの桂馬が発した言葉だった
「何者でもなかった私達に役割を与えてくれた」
それまでただ標として動けずにいた桂馬と成桂の魔力を解放し、ヴァンパイアとそうでない者、死者が共鳴し、奇跡を起こす
自分は神の操り人形ではないと抗う駒達の意志は、創造主である宗看の怨念さえ浄化し、駒の化身諸共消滅させたのだった
玉将と桂馬・成桂は「友達」ではない
しかし玉将は二人を「魔女」と呼び、役割を与えた
友達かそうでないかで0とプラスの線引きをし、友達でなくなればマイナスの区別も付ける
そんなことに何の意味があるだろう
私が出会った役者の中でツートップと称している真田林佳さん、今野美彩貴さんは、当然私の「友達」ではない
しかし彼女達が生み出すものに純粋に感動し、「この人のお芝居が好きだ、観たい」と思える、生きる力になっている
また、「私はただ、好きになれた人に感謝の気持ちを持ち続けていたいだけだ」に残してある通り、二人とも私がこの世に存在することを肯定する温かい言葉をくれた
友達かどうかは関係ない
感謝の心を持ち続けていたい、大切な人だ
この感覚がまさに私にもたらされた新しい価値観であり、同じ失敗を繰り返さずに済むようにしてくれた
りんちゃんや美彩貴さんは、私にとって「自分を生かしてくれる」役割を持った人なのだ
(私は貴女にとって何になれますか?)
(どんな役割を果たすことができますか?)
プラスかマイナスではない、皆0の位置にいる人間としてこれからも一緒に生きていく中で、見つけることができたら幸せです