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言葉を記号で終わらせない
扉画像:ꓸENDRECHERIꓸ TSUYOSHI DOMOTO LIVE 2022 『勃』 JEBR-0040
以前作成して削除した記事を、現在の私の意識で再構築した
近頃、記号論に関する文章を読む機会があった
学生時代以来かと思うが、内容は入門的な話で、"言語とは記号である"ということ、一般的な記号と同様に一定の内容しか示さない場合(物の名前など)もあれば、その時々で示す意味が違うという場合(形のないもの、概念など)もある、ということだ
2022.9.24、BAYFM『堂本剛とFashion & Music Book』において、堂本剛さんは以下のようなことを話していた
「言葉としては意味を持っていてもそれを発している人が意味を持っていなかったら~とりあえず『ありがとう』と言っとけばいい、本当はそう思ってなかった、とかそういうのを人間器用にやるからややこしい」
要は中身のない「ありがとう」に対する問題提起なのだが
「ありがとう」の語源は、文語の形容詞「有り難し」であることは今更言うまでもないだろう
「有ることが難しい」から、感謝の意味へと転じたものだ
この言葉、剛さんが指摘するように使う場面によって意味を伴わないことが多い、というのは日々の生活で実感するところであり、意味を持っていないのなら使いたくないと思うものである
一方で、意味を持たせていたとしても、連発すればするほどに軽くなってしまうような気もしている
「ありがとう」以外でも、最近私自身、Twitterやnoteで同じことを何度も繰り返して書いているのを時々気にすることがある
それは大概、このnoteに綴った私の半生を回想しては甦る、苦しかった頃の感情である
何度も繰り返すうちに意味が薄れてきてしまったり、苦しかったならいちいち思い出したり書いたりする必要などないと思うのだが、溜め込んでおく方がつらかったりストレスになったりすることもある
特に今月は家族の誕生日が多く、毎年必ずと言っていいが既に亡くなった人を思い出す
また観劇を通して出会えた素敵な人にも誕生日や、大切な記念となった時間もあったりして、言葉はどんどん頭に浮かんで来る
それをそのままにしていると、苦しくなってしまうのだ
私はむしろどうでもいいことこそ書く必要はないと思っていて、自分のアカウントだから自分の話をするのは当たり前なのだが、誰にも届かない、届けるつもりのない言葉を綴ることに意味があるのかと考えている
やはり私の根底にあるのは、これまで積み重ねてきた現実から「生きる」ことを考えていたい、ということだ
このnoteの記事も、実際お読みくださった方から感想をいただけるのは素直に嬉しいし、今回の『4x3』を経て新たに見ていただけた方もいらっしゃる
自分が「こうやって生きていきたい」と思っていることが、ほんの1ミリでも前進できただろうかと思える
そういうときに頭の中で意識しているのは、18年前の堂本剛さんの言葉「人生に無駄な時間なんてない」であり、「私はただ〜」の記事で名前を挙げた、好きになれた人たちであったりする
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記事にも書いた通り、堂本剛さんの音楽や言葉、りんちゃん、美彩貴さん、うにょちゃんそれぞれの役者の芝居や言葉は同じように私の心を掴み、動かしてくれる
私の中では、剛さんへのリスペクトと、りんちゃん、美彩貴さん、うにょちゃんへのリスペクトは同格なのである
特に私の中で空白の時間となっている18年前、23歳から24歳という時間を、出会った当時23歳、現在24歳の美彩貴さんやうにょちゃんが、新しく作り直してくれているのだろうとさえ思う
そういう人には私からも想いを込めて言葉を綴りたい
「有り難し」の本来の意味、心からの感謝の気持ちを込めて
記号の羅列に過ぎない、中身のない「ありがとう」にはしない
扉画像、ꓸENDRECHERIꓸ『勃』の詩にはこうある
"愛はただ「あ・い」と言えばいいってもんじゃない
愛は言葉じゃない 想い
「愛する」がさ 滲んでいなきゃさ それは愛とは云えないな"
理想は文字だけでなく直接届けることだ
非常に勇気の要ることだが、私は1ミリでも進みたいと思った
リアルでもSNSでも変わらない自分でいる、と宣言したことが出任せにならないように、自分自身後悔しないために
私は言葉に想いを込めてこれからも綴り続ける
私の命を削って綴った言葉を真剣に受け止めてくれる人、届けたい人へ真っ直ぐに
「出会ってくれてありがとう」
「大好きです」