三つの残像
僕は、何かを経験するにあたって三つの残像の動きがあると思っている。
一つは、映画を観るとき、映像が動いて見えるということ。
映画はフィルムの束なのに、巻かれることで動いて見えるのは、それを見ている私たちの目にフィルムの残像が残って更新されてゆくから。
二つは、文章を読むとき、言葉に流れを感じること。
文章は語の束なのに、読むことでいわゆる「行間」を感じることができるのは、読んでいる私たちの心に文脈という残像が残って更新されていくから。
三つは、夜空をみるとき、星々に圧倒されること。
星は一つだけみても圧倒されないが、視界を越える星々
がみえることで圧倒されるのは、みている私たちの〈こころ〉に遥か彼方から届いた光の残像が残って更新されていくから。
①見る次元
②聞こえる次元
③みえる次元
それぞれの次元において、残像が僕たちの意識をどこかに運ぶ。巻かれる、読まれる、みられる…これらは残像の異なる現れにすぎない。
①フィルム→巻かれる→動き
②語→読まれる→流れ
③星→星々にみられる→圧倒