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みんなお前の事嫌いだと思うよ

そんな事を言われたのは小学校高学年の時でした。

私の父は変わっていて、それを世の中の人は社長気質だとかいい様に言う。
でも娘の私にはそうは映らない。

「虐待」という言葉はもちろんずっと知っていた。
私は幸いな事に親から殴られたり蹴られたりなんてい言うことは一度もなかったし、衣食住を不自由なく与えてもらっていた事を考えたら今更私は虐待されていたと言い出すのは気が引ける。
でも最近になって何かの本を読んでいた時に、気づいてしまった。
言葉を使って子どもの小さな心に精神的な傷を負わせてくるのも虐待ではないか。
その本にはこの様な描写があった
「父は機嫌がいい時は優しいが、虫の居所が悪いと殴ったり蹴ったりします」
まんまこの通りの文ではないが、確かこんな感じの文章だったと記憶する。
これは当時の我が家にも当てはまったから驚きました。
私の父は機嫌がい時は優しいけれど、虫の居所が悪いと容赦のない言葉の暴力を浴びせてきます。3人娘だったから手の出しようがなかったのかもしれません。
そこにだけ理性が働いていたというのなら感謝しかありません。
確かに暴言を大声で吐いて怒鳴り散らした後は、よく家を出て消えて行きました。
きっと力の使い所が自分でもわからず持て余したのでしょう。
小学生から中学生にかけての私は何度泣いたか、何度傷ついたかわからない。
自分で家庭を持って、自分の子供が当時の私の年齢に達するまでこれがいかに異常だったかに気づけなかった。
だって私はその年の子供にあんなに酷いことを感情任せに言い捨てたり、人格を否定したり、大声を出して威嚇してみたり、絶対にしない。

そうか、きっと私はずっと精神的に虐待されて育ったんだ。
母も、怒った父には怯えきって助けてくれなかった。
そんなところも本の中の虐待シーンと一緒ではないか。
大袈裟だと思う?いいえ、私はそう思うの。

でもこうして普通に普通の顔をして今日も生きている。
人間って不思議。

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