藤井風「damn」のMVを考察してみた
きましたー!
damnのMVがついに公開!😇💩😇
まさに「セルフラブソング」だった。
自己肯定感ぶち上げソング
とでも言いましょうか。
実はteaserを見た時に、こんなストーリーを考えてた。↓
実際のMVは、これよりもっとセルフラブソングでした!
(女の人とイチャコラがなくてよかったぜ💩)
MVの概要はこんな感じ。
クールに決め込んで、自信たっぷりな表情でステージに立つ藤井風。ステージ上で歌うも、観客は退屈そう。観客からの冷ややかな視線に耐えきれず楽屋に戻る。顔を洗って再び会場に戻るが、ステージには立たず、コップの水をかぶってそのまま外へと飛び出す。自分を解放し、街中で自由にイキイキと踊り出す。最後は💩を踏んで、「くそっ!」と言わんばかりのHEHN顔で締め。
藤井風本人は、このMVは集大成のような作品になったと語っている。
いや、めちゃくちゃカッコいいんだが😇
こんな爆イケの藤井風を特等席で見れる上に、見向きもしないなんて信じられない。
というツッコミはさておき・・・
MV全体を見て感じたのは、
このdamn MVはセルフラブソングであり、「ありのままの自分でいたい」という藤井風の決意
ということ。
早速、damnのMVを考察していくー!
1. 前半と後半の対比
前半のキメキメの藤井風と、後半の自身を解放した後の藤井風は、実は色んなシーンで対比になっている。
① 手を洗う vs. 顔を洗う
前半 (左):手を洗う。
後半 (右):顔を洗う。
「顔を洗う」は、顔を洗って出直す・やり直すって意味もあると思う。
実際に顔を洗った後の藤井風は生まれ変わったように表情が違う。燃えよMVの時も思ったけど、覚醒後の藤井風の破壊力はやばい。
② 着飾った美しさ vs. ありのままの美しさ
前半 (左):髪を整えて、しっかりセット。
後半 (右):自ら水をかぶって、髪が濡れても気にしない。
ここはわかりやすい対比で、ばっちりセットしている前半に対して、後半は「カッコつけるの面倒くせえ!これが俺だぜ!」という自由っぷりが清々しい。髪が乱れても、みっともない姿になっても気にしないぜ、みたいな。
人目を気にせず、ありのままでいようぜっていうメッセージとも取れる。
③ ステージ上で歌う vs. 自由気ままに歌って踊る
前半 (左):ステージ上で歌う。
後半 (右):街中で自由に歌って踊る。
前半は人目を気にして、決められた演出の中で歌っているのに対して、後半は誰にどう見られようと気にすることもなく、自由気ままに歌っている。
さらに、前半は狭いステージ上で制限された中でパフォーマンスしているのに対して、後半は自由に動き回って制限なく動いているのも印象的。
2. 散りばめられた数々のモチーフ
このMV内には、さりげなく色々なモチーフが隠れていて、それぞれが重要な意味を成している。
① 白いイッヌ=強くなった象徴!? 🐶
白い犬が出てくるんだけど、白い犬には「心の穢れを落として強くなる」ってスピリチュアル的な意味があるらしい。
街中で自由に踊っている時に白い犬が横切るんだけど、これは強くなった象徴ってことなのかな。
②自ら水をかぶる=アンチなんてへでもねーよ 😜
パフォーマンスしている人が観客からブーイングされたり、水をかけられるシーンってよくあるけど、ここで自ら水をかぶることによって、「批判もアンチも、へでもねーよ」ってメッセージとも取れる。
へでもねーよの「あんたの軽いディス へでもねーよ」にも通じるものがあるね。
③ ハイヤーセルフとダンス 👽
全身タイツの謎の集団は、ハイヤーセルフで間違いないと思う。
以前damnの考察でも書いたけど、ハイヤーセルフと一緒に踊りながら生きていこうぜ!ってメッセージだよね。
ここのダンスもカッコいいダンスではなく、顔を覆ってたり、もがくような仕草が入ってたりして、葛藤が上手く表現されてていいね。
④ 過去の決意と、もがき
damnの歌詞の中には、「帰ろう」「きらり」「燃えよ」それぞれの歌詞を意識したフレーズが使われてるんだけど
damn MVにも、各曲のMVの一部が使われてて鳥肌立った!
ちな、回想シーンに行く前の藤井風イケメンすぎ。
「全て流すつもりだったのにどうした?」では、帰ろうMVの一部シーンが登場。
「何もかも捨ててくと決めてどうした?」では、きらりMVの一部シーンが登場。
「明日なんか来ると思わずにどうした?」では、燃えよMVの一部シーンが登場。
自問自答しつつ、「こういう理想はあるけど、まだまだ達成できてない」っていう藤井風の"もがき"が表現されてるよね。
3. 藤井風の決意と、パブリックイメージからの脱却
「藤井風らしさ」が様々なシーンの中で表現されている中で、藤井風のアーティストとしての在り方を感じることができた。
例えば、ここの歌うシーン。
決められた枠組みの中でパフォーマンスするのではなく、予想外・規格外の演出で、自由に歌って踊るのが楽しいんだって言ってるみたい。
狭いステージだけではなく、もっと広く自由なステージで歌いたい。そんな気持ちが垣間見えた気がした。
藤井風が音楽番組にめったに出ないのも、そういう理由があるんじゃないかな。
前代未聞の「Free live」や、「ねそべり配信」「あけおめ配信」など、常に独自の斬新なスタイルで音楽を発信し続けてきた藤井風だからこそ、これからも自分のやり方で音楽を表現し続けるっていう決意を感じた。
ここの解放された藤井風が、とにかくかわいいから見て!
そして、出ました!
みんな大好きHEHN顔 🤪💩🤪
ラストの💩踏んで、HEHN顔で締めって、
まさにTHE藤井風で大好きなんだけど😇
ここの顔、めちゃくちゃ素の藤井風で愛しい。
💩を踏まずに、キレイにMVを終わらせることもできたはず。
だって藤井風って、とにかくイケメンだし、スタイルもいいし、パッと目を引くようなカリスマ性もあるし、画力も強いから、美しくキレイなMVにしようと思えばいくらでもやりようがあるんだよ。
それでも、単なる爆イケで終わらないのが藤井風の魅力でもある。
💩を踏むシーンは、タイトルの「damn (くそっ!)」に掛けてるっていうのはありつつ、あえて情けないシーン&変顔をラストに持ってくるところに藤井風らしさを感じざるを得なかったし、「俺にもこういうところあるし、完璧な人間じゃないんだ」って言ってるみたいに感じた。
普段の爆イケの藤井風しか知らない人にとっては、良い意味で裏切りの展開になったんじゃないかな。
(風民としては、ラストのHEHN顔に爆笑&ガッツポーズでした😂)
藤井風は、楽曲的にも「神聖でピュアでどこまでも美しく優しい世界を歌う人」ってイメージがある。人柄やビジュアル的にも「イケメンで真面目で好青年で、完全無欠の天才」ってイメージが強いと思う。
それは間違いではないけど、それだけじゃない。
だからこそ、今回のMVは、
完全無欠の藤井風というパブリックイメージからの脱却
でもあると思う。
実際にこのdamnでは、藤井風の葛藤やもがきが描かれているし、藤井風本人も「常に理想の自分みたいなものを目指しつつ、自問自答しながら、もがきながら生きている」と言っている。
私にはここが、パブリックイメージと素の藤井風の対比にも見えた。
左:世間が思う藤井風で
右:素のお笑いラブな藤井風
そう、藤井風も私たちと同じ人間。
悩んで苦しんで、時に💩を踏むような失敗をすることもあるのだ。
ラストのHEHN顔に、エンターテイナーとしての藤井風と、素のお笑いラブの藤井風が感じられて、愛しかなかったわ。
***
damnのMVで表現されていたテーマ、
I LOVE ME 🧡
もがいて悩んで苦しんで。
そんな気持ちになる時もあるけど、
まずは自分を好きになることから始めよう。
自分を偽って着飾らなくてもいいんだよ。
どんな時でも自分を愛して、
自分の中の光を見失わずに生きていこう。
藤井風は楽曲全体で、そんなメッセージを発信している。
葛藤やもがき、自分自身の解放と自己愛を、藤井風らしさ全開で表現したMVは、