アンサンブル・ノマドが語る『リビングルームのメタモルフォーシス』
チェルフィッチュ×藤倉大『リビングルームのメタモルフォーシス』は演劇と音楽が舞台上に対等に存在することを目指して作られた音楽劇です。2024年の東京公演に出演したアンサンブル・ノマドの皆さんは、2021年から始まった本作のクリエーションに定期的に参加していただきました。演奏者の立場から、この作品はどのように見えていたのでしょうか。東京での10公演を終えたばかりの楽屋で、ノマドの皆さんにじっくりとお話を伺いました。
(聞き手・文:横堀応彦)
クリエーションを振り返って
──アンサンブル・ノマドの皆さんは2021年のタワーホール船堀でのワークインプログレス公演や2023年の横浜での最終リハーサルなどで、この作品のクリエーションに参加していただきました。なかでも花田さん、川口さん、甲斐さんは2021年のワークインプログレス公演から出演されていますが、今あのころを振り返ってみると、どのように感じていらっしゃいますか。
花田 2021年のワークインプログレス公演では公演前日のリハーサルと本番当日に参加しましたが、全くつかみどころがないまま終わってしまった記憶があります。船堀からの帰りの電車で、頭の上にハテナマークが浮かんでいました。
川口 私はあのときに初めてチェルフィッチュの存在を知って、俳優の方の不思議な動きや喋り方にカルチャーショックを受けました。音楽もまだ一部しか出来ていませんでしたよね。藤倉さんが岡田さんとどのようなお話をされているのかも想像がつきませんでした。
甲斐 あのときは舞台の左半分に俳優、右半分に演奏者がいて、今よりも両者が離れていましたよね。でも私たちも、きっとこれから変わっていくんだろうという気はしていました。
川口 今あの頃のことを振り返ってみると、不思議な動きの方に目が行ってしまって、言葉が入ってきていなかったと思います。私は言葉が入ってくるよりも先に、動きにびっくりして演奏していた感じでした。それから3年経ってみると、自分の中で異物だったり不思議だったりしたものが、すごく自然に耳に入ってくるようになりました。今まで色々な仕事をしてきましたが、今回は私の中で新しい感性が生まれてきたような不思議な感覚でした。これが変容というのかもしれません。
甲斐 やはり私たちは言葉を意味よりも音で認識して、言葉の抑揚を聞いて演奏することが多いと思います。たしかにチェルフィッチュの話し方にはあまり抑揚がないので最初は言葉が入りづらかったのですが、私もだんだん上手い具合に言葉が入るようになってきました。
川口 演奏家の場合、声色やリズム感を抑揚ととらえて、リズムに反応して演奏することが多いと思います。日常生活でも音楽を聴きながら話をするときに、どちらか片方に集中してしまうので、両方を100%で聞くことはできませんよね。私の場合、最初は音楽が80%、セリフが20%ぐらいで入ってきていました。それが少しずつ、演奏しながらでもセリフが言葉として入ってくるように変化していきました。ワークインプログレス公演の頃は、まさかこのように変化するとは想像もできませんでした。2023年のリハーサルまでは、俳優の方に対する岡田さんのフィードバックをノマドのメンバーは聞く機会が無かったのですが、今回の舞台稽古で私たちも岡田さんのフィードバックを聞いていると、なるほどと思うことがたくさんありました。
花田 そもそも今回の藤倉さんの音楽が、いわゆるオペラやミュージカルのように場面の情景を描いたり、登場人物の心情を描いたりするような、ダイレクトなものではないことも関係していると思います。私も最初は抑揚のないセリフで発話されたときに、うまく音を出すことができませんでした。特にワークインプログレス公演のときは言葉も入ってこないし、音楽の位置づけも見えなくてどのように演奏すればよいかも分からなかったです。ただ単に音を出すというのも違いますし。演奏するタイミングが来ているのは分かりますが、そこで音が出せなくて、無理矢理演奏していた感じがありました。
ですが私も今回の東京公演に向けたリハーサルで、俳優さんに対する岡田さんのフィードバックを聞けたことで腑に落ちたことが色々とありました。私は俳優の方が言葉を発するときには、その意味が分かるように言えば良いのではないかと素人考えで思っていました。ところが俳優の方が何をイメージして、どのように言葉を発するかによって、同じ言葉を発しても全然違う空間を想像できたり、時間を感じたりできることを実際にリハーサルで見ることができました。岡田さんの話を聞いていると、その言葉を発するときに色々な意味を含めることができることが分かりました。そのあたりから、言葉がすっと入ってくるようになってきた感じがします。私たちが音楽で表現しようとしていることと、俳優さんたちが言葉で表現しようとしていることには共通する感覚があるのではないかと分かってとても安心しました。それがどのような感覚かは具体的には言えないのですが。
舞台上での「居方」について
──今回の作品では当初から演劇と音楽が舞台上に対等に存在するというコンセプトがありました。ワークインプログレス公演のときは舞台上を左半分と右半分で分けていましたが、最終的には舞台の奥に俳優たちがいるリビングルームの空間があって、その前面に演奏者の方がいるという設えになりました。オペラなどではオーケストラピットの中に入ることはあると思いますが、演奏者の方が俳優たちと同じ舞台空間にいること、しかもその前にいるということはあまり例がありませんよね。
菊地 演奏者が舞台の前方にいるというのは初めてで、まずはどういう気持ちで演奏すればいいのだろうかと考えました。演奏者がオーケストラピットに入っていれば、お客さんからは見えないですし、演奏者は役者さんたちがやっていることのお手伝いをして音楽を添えるような役割になると思います。それはそれで役割がはっきりしているので、演奏者の気持ちはつくりやすいです。それが今回のように演奏者が同じ舞台に上がって、しかも役者さんを遮るような形で演奏するとなると、どうすればいいのだろうかと悩みました。当初から音楽と演劇の比率は1:1とお聞きしていて、作品における音楽の比重は大きいと思っていましたが、普段私たちがコンサートで演奏しているように、ただ自分たちの音楽をお客さんに届けるような演奏の仕方ではたぶんダメだろうと思っていました。いくら音楽をバッチリ表現しても、やはりその後ろでは役者の方が演技をしてセリフを話しているので、そこを完全に放ってしまうのはおそらく正解ではありません。
その一方で、私たちは藤倉さんの音楽をボンクリ・フェスやノマドの定期演奏会でも演奏していますが、彼の曲は色々なことを調整しながら演奏できる生易しい曲ではありません。なので、まずは曲を柔軟に演奏できるようにしながら、作品として良い方向に持っていけるような気持ちのあり方と演奏の積極性とのバランスをどのあたりに置けばいいのかを考えました。これは2023年のリハーサルに参加したときから思っていましたが、結局よく分からないうちに今回の劇場入りを迎えてしまいました。劇場では岡田さんと俳優の方と一緒にリハーサルできる時間が長かったので、私もそこで岡田さんの話の雰囲気や役者さんの稽古を直接肌で感じることができて、うまく言葉には出来ませんが、考えが少しずつ具体的になっていきました。
──2023年の海外公演では、現地の演奏者の方は日本語が分からないので、演出部からキューを出す形で演奏してもらいました。今回ノマドの皆さんは当然日本語のセリフの意味が理解できるので、ご自身で台本のセリフを追いながら演奏していただきました。
花田 慣れるのには時間がかかりましたが、結果的には自分たちでセリフを追いながら演奏する方が作品としても良かったと思います。実は藤倉さんからも、音楽だけが独立したものにならないように、俳優さんたちが舞台で起こしていることを感じながら演奏してくださいと言われていました。俳優さんたちの言葉が分かり、演技を感じているからこそ、ちょっとした間を盗むこともできました。今日は俳優の方がこうくるかなと思いながら弾くのと、機械的なキューで演奏するのとでは全然違ったと思います。
菊地 私の方でも「雨」や「気配」といったセリフにあわせて、ここで音を出したいということが増えてきました。
──演奏していない間も俳優たちの演技をご覧になっていましたが、どのような体勢でいればいいのか、という難しさはありましたか。
竹本 岡田さんからは、私たちは俳優の方を見たければ見てもいいし、自由にしていてくださいということだったので、舞台を見せていただくことが多かったです。逆にもし楽器を弾いていない時間はずっと客席の方を見て待っていてほしいと言われていたら、それは居心地の悪い感じがしたと思います。私の場合は、演技と演奏が交わっている様子を、お客さん側に立ってみたり、演者側に立ってみたり、アングルを切り替えて見ることができたので、居心地の悪さは感じませんでした。
川口 でも最初は、その自由がとても不自由に感じましたね。普段の演奏会ではそういうことはまずないので。
竹本 チェロの場合だと演奏していない時間が結構あるので、リハーサルのときに一度客席におりて舞台を見せてもらったんです。そのときに舞台上にいるノマドの人たちが後ろを振り返っているのを見て、あ、これは意外に違和感がないんだな、と思いました。お茶の間で見ているような感じで、自然なんですよ。
川口 日本だとどうしても畏まる感じがありますが、別にどういう風にしていればいいという決まりもないし、好きに見ていたらいいんですよね。私も最初は不自由でしたが、だんだん自由になることができました。
甲斐 通常のコンサートだと、演奏者が少し動いたりするだけでお客さんは気になることがあると思いますが、今回のようなお芝居だと、お客さんは見たいところを自分で選んでいるので、私たちも自由に動いていていいんだと思いました。
及川 私も最初のうちは自分の顔の表情を気にしていたんです。でも演じているみたいに思われても嫌だなというのもあって、ちょうどいい距離感が分かりませんでした。例えばこの時間は他のメンバーがあっちを見ているから、逆に私はこっちを見ていなきゃいけないのかと考えた時もありました。そう思って私がお客さんの方を見てみたら、お客さんはみなさん私の方ではなくて、舞台奥の方を見ていたんです。お客さんたちは場面ごとに視点をパッと切り替えているんですよね。それからは私も自由でいいんだと思えるようになりました。
日々の公演での変化
──東京公演は10ステージあったので、俳優の演技も毎日少しずつ変わっていきました。演奏者の側からもそのような変化は感じられていましたか?
及川 毎日変わっていましたよね。第二部で渡邊まな実さんが登場するシーンで、リビングルームとの距離感がどんどん縮まっていったのが印象的でした。
川口 何かが大きく変わるということはなくても、例えば外の天気が毎日違うだけで、私たちも俳優の皆さんもその日の気分が少しずつ変わりますよね。それによってお互いが変化していって、演奏も毎日少しずつ違ったものになっていました。
菊地 役者さんは毎日少しずつニュアンスを変えていたように思います。それに伴って、その先の行く道が変わって、全体として向かっている先が変わっていった感じがしました。
川口 楽譜上では演奏を始めるポイントだけが決まっていて、このセリフのときにこの音を演奏するという細かいことまでは書かれていないんですが、公演数を重ねると不思議とこのセリフの後にこの音が来るみたいなタイミングが生まれていました。私たちも少しずつセリフを聞けるようになってきましたが、逆に役者さんたちも身体で音を感じてくれていて、この音でこのセリフを言おうとしているような感じが生まれたような感覚がありました。これは公演初日や2日目の頃にはなかったですね。
菊地 そうそう。私も直接役者さんに聞いたわけではありませんが、役者さんが音の間を図って言葉を発しているような気がしました。私の中でも演劇と音楽でやりとりしている感じのする曲がだんだん増えていきました。これはたぶん自然に生まれたものだと思います。
川口 最初は藤倉さんの音楽をただの音符として見ていたんですが、だんだん岡田さんの「穴」「気配」「ざわざわ」といったテキストと藤倉さんの音楽の表現がリンクしているように感じるようになりました。
菊地 セリフと音楽が二重奏をしているように感じるときもありましたね。
藤倉大の音楽の特徴とは?
──ノマドの皆さんは藤倉さんの音楽を多く演奏されていますが、今回の楽曲での藤倉さんの音楽らしさはどのようなところに感じますか。
花田 紛れもなく藤倉さんの音楽だと思うんですが、それを言葉にするのは難しいんですよね。
菊地 僕はいつも藤倉さんの曲を演奏すると、高い方のサウンドがキラキラしていると思うことが多いです。音には倍音という音色を構成する要素がありますが、上のあたりでキラキラと輝きを放つような音がとても素晴らしいなといつも思っています。つまり今回の曲でも結構高い音を吹いているので、演奏はとても大変です(笑)
甲斐 私も全然うまく言えませんが、パッと響く音の使い方がすごいと思います。音が重なると、光の速度がスッと早くなるというか。
菊地 藤倉さんの素晴らしさを言葉で具体的に説明するのは難しいんですが、いわゆる現代音楽の形をしていながら、とても叙情的でロマンチックなんですよね。ロマン派の文脈の先にあるような感じを、現代のスタイルでとてもスタイリッシュな形にしていると言えばいいんでしょうか。
川口 混沌としていないというか、すごくクリアなんですよね。たしかに倍音のハーモニーの感じやクレッシェンドのスピード感には藤倉さんらしさを感じます。
──演奏者の方にはそれぞれとても難しい技術が求められていますよね。
川口 でも藤倉さんの音楽をお客さんとして聞くと、不思議な音がしているとは思っても、ものすごく難しいものを演奏している感じはしないんですよね。例えばクラリネットの雨の音楽もすごく難しいはずなのに、あまり難しくは聞こえません。
菊地 今回長い曲はそんなに無いし、吹いている時間もそんなに長くないんですが、演奏していることの内容的には、自分がこれまでクラシック音楽で経験してきたことと、その後ノマドで経験を積んだ現代音楽の奏法的なものをほぼ全て総動員しています。
──弦楽器でも難しい技術は要求されていますか?
花田 今回はダブルのフラジオレット(弦を完全に押さえず、軽く触れることで特定の倍音を共鳴させる特殊奏法)が大変でした。この作品のことで藤倉さんとやりとりをしていたときに、いわゆる現代音楽のように弾かないでほしいと何度も言われました。曲が難しいので、意識が技術的なところに集中してしまうと、どうしても現代音楽的な音になってしまいます。でも藤倉さんが求めている音は、それを超えたところにあるんです。今回の楽曲は素材としてはとても限られたものから出来ていて、同じような音型が戻ってきたりするんですが、その時々に組み合わせが微妙に違っていたりすることで全然違う雰囲気が生まれています。同じ素材でもヴァイオリン2本のバージョンや、そこにコントラファゴットが入るバージョンがあったりして、同じ音型が戻ってきたようで実はそうではないというような箇所がたくさんあります。そもそも素材を思いつくことも素晴らしいと思いますが、藤倉さんはその素材の組み合わせ方が絶妙だと思います。そういう意味では、先ほどの俳優さんが一つのセリフを色々なことを想像させるように発話することができることとも少し通じるところがあるように思います。
川口 素材が一緒なんですが、組み合わせが変わっただけですごく難しくなるんですよね。拍子も一緒だしやっていることも同じなのに、感覚が全然違うので慣れるまでにとても時間がかかります。今回弦楽器は譜面の音符は多い方ではないんですが、その分間の取り方が難しかったです。音楽だけで演奏したらたぶん上手く行くところでも、そこにセリフが入るので、みんなで同じテンポ感をシェアしてお互いに耳を傾けながら室内楽的に演奏することが結構大変でしたね。
──現代音楽のように演奏しないというのは、具体的にどのように演奏することで実現できるのでしょうか。
花田 先ほど菊地さんが言っていたように、やはり藤倉さんの音楽は叙情的なんです。そういう感覚を見失ってしまうと、こういう言い方がいいのか分かりませんが、ただ音を出すことだけになってしまって技巧的な面が前面に出てきてしまうと、それがいわゆる現代音楽的な演奏と思われてしまうのかもしれません。
川口 でもそれは割と本質的なことですよね。本来現代音楽と呼ばれるものも藤倉さんの音楽に限らずそうあるべきなので、そういうところまで目指すというのは当たり前の話なんです。ですから藤倉さんからの室内楽的に演奏してほしいというお話も特別なことを言われたわけでないと思います。ただやはりすぐに弾ける感じの曲ではないので、どうしても演奏する側は特殊奏法や変わったリズムにフォーカスしがちで、難しいんです。
花田 私たちのアンサンブル・ノマドという名前は代表の佐藤紀雄が何十年も前に付けたものですが、私たちは現代音楽のアンサンブルではなくて、ルネサンスや中世から今に至るまで色々な音楽があって、いま我々がその音楽を楽しめる時代に生きていることの利点を生かして活動しています。定期演奏会のプログラムにも中世のものをアレンジして入れてみたり、できたてほやほやの音楽も入れてみたりしていて、ノマドの中にはここからが現代音楽ですという区切りはありません。そういう意味では私たちと藤倉さんは音楽に対する考えが同じ路線にいると思っています。
菊地 先ほど弦楽器からフラジオの話がありましたが、クラリネットの重音もなかなか難しいんです。でも藤倉さんは際の攻め方がとても上手で、上手く演奏できるとすごいんです。
花田 キラキラが見えますよね。
菊地 そう。だからそれが分かっちゃうと、あとは演奏家の責任でやらなきゃいけない。
川口 別に言い訳ではないんですが、劇場の湿度の影響もあったりして、今回のフラジオは割と鳴りにくかったですよね。
花田 お互いを干渉し合ってしまう独特なフラジオの組み合わせだったんです。そうすると一本一本は鳴っているんですが、同時に鳴らそうとするとお互いに否定し合って鳴らなくなるようなことがありました。今回もすごく綺麗に鳴ったときは何度もあって、一度それを味わってしまうと悔しいんですよね。
──演奏も毎日少しずつ違うものだったんですね。
甲斐 今回は指揮者がいないことが大きかったですね。もし指揮者がいると、毎日の演奏がもう少し同じものになっていたかもしれません。
川口 指揮者がいると統括して整理してくれますからね。
──指揮者無しでは演奏が難しい曲もあったのではないでしょうか。
菊地 指揮者がいてくれた方が演奏上の事故は起きにくいですが、作品の内容的に考えたらどんなに大変でも指揮者はいない方がよかったと思います。
花田 俳優さんたちも次のセリフを言うのにキューがないのと同じように、今回は演奏側も指揮者がいないことで、お互いを感じ合いながら作っていく感じがより強くなりました。もし指揮者がいると、演奏者対指揮者という感覚が強くなるので、演奏者間の横の感覚が薄まってしまったと思います。
どのように音楽をつくるのか?
──音楽づくりについて、普段のノマドの演奏会と今回の作品とで何か違いはありましたか?
菊地 譜読みはもちろん必要なんですが、結局俳優さんたちと一緒にやってみないと分からないところが大きかったですね。
花田 藤倉さんには申し訳ないのですが、今回は俳優さんとのリハーサルをしながら私たちも少しずつ音楽を作っていった感じで、楽器だけでの練習はあまり行いませんでした。早い時期から音楽だけで練習しても、音を出すことはできますが、その先に何を目指していったらいいのかが見えていないと、たぶん私たちだけでは早々に行き詰まっていたと思います。劇場に入る前に1日アンサンブルだけで練習しましたが、その時点では何を作っていかなくてはいけないかがある程度見えていたので楽器だけで練習することも意味がありました。
川口 でもあの練習のときからもかなり変わりましたよね。岡田さんはフィードバックで、昨日よりは今日の方がベターだったとは言われますが、それは間違いですというような断定的なことはおっしゃらないので、私たちも毎日試行錯誤しながら次はこうしてみようという感じに自然になれたんだと思います。そのおかげでリハーサル中にあまりナーバスにならずに済んだ気がします。役者さんも日々変わっていたので、私たちもなんとなく最後までずっと変容していた感じで、私は楽しみながら演奏することができました。
──公演の中で大変だったことはありましたか?
川口 公演中はずっと裏に戻れないし、俳優の方たちを見てリラックスしている時間があるといっても、割とずっと集中しているので、最初から最後まで100%の集中度でいるのが結構大変でした。
及川 普通にオーケストラピットに入っているときに比べると、たぶん身体や頭の疲れは何倍も蓄積したと思います。
菊地 お客さんが近くにいることも関係していますね。今回の曲は特殊奏法が多いのですが、同時にとてもデリケートな音楽でした。この二つは共存することがあまり多くないので、最初から最後まで緊張の連続で一瞬たりとも気が抜けず毎回勝負するような感じでした。
及川 私が担当させていただいたチェレスタの楽譜には、ものすごく早く弾くようなピアニスティックな技術的な難しさはないんですが、この場面で私はどのぐらいの熱量でどのような雰囲気を持っているべきか。この間をどうするかといったような、技術とは違った難しさがありました。
菊地 チェレスタはたまにしか出てこないんですが、演奏しているときの存在感はすごいですよね。
川口 この音とこの音がこのタイミングで絡むということが全部楽譜に密接に書かれているので、いくら間とはいっても勝手なタイミングで弾けるわけではないですからね。
及川 16分音符単位でズレたら事故になるようなシビアな楽譜の書き方になっているんです。でも聞いている方には、クラリネットとチェレスタのデュオの曲もまるで即興をしているように聞こえるのではないかと思います。
──10ステージを終えてみると、色々な変化がありますね。
川口 私は当初理屈では分かっていたことが、身体で感じられるようになったときが大きな変わり目でした。最初は頭では分かっていたんですが、どうしてもざわざわの方が大きかったんです。それが少しずつ体感として、気配として感じられるようになりました。これだけの公演回数があって良かったです。もし3公演ぐらいしか無かったら全然違っていたと思います。
花田 私もやはり音を出す瞬間は音楽に集中しなくてはいけないので、お芝居の感覚を味わっていた感覚をどこかで一度切り替えてから演奏する必要があったんですが、最後の2日間ぐらいはその感覚を切り替えなくてもいいようになりました。自分の中で流れを切らずに、お芝居を聞きつつ、その上に音楽で乗っかっていけたような気がします。
菊地 それぐらいの時間が必要な内容のある作品と音楽ということではないかと思います。藤倉さんの音楽はとてもデリケートですが、岡田さんのテキストも一つの助詞の響き方や発し方がとても繊細に作られていますよね。藤倉さんと岡田さんには共通するところがあると思います。
花田 ワークインプログレス公演のレポートを読み返していたら、岡田さんは役者さんが言葉を発するために持っているイマジネーションと音楽が結びつくとおっしゃっていました。あのときはその意味が分からなくて、どこまでの次元にいけばそれが分かるのだろうかと思っていましたが、私も最近ようやく見えてきたような気がします。
川口 演奏者の人数が7人というのもちょうど良かったです。もしこれよりも多い人数だと作品の世界観が成立しづらかったと思います。私たちも独立した演奏者なので、同じフィードバックを聞いても感じることはそれぞれ当然違います。それでもみんなで同じモチベーションを持ち合えたのはこの人数だからでした。毎日この楽屋がリビングルームみたいだねと面白おかしく話していましたが、もっと人数が多いと楽屋で家族のように話し合うことも難しかったと思います。最後の方はチェルフィッチュの俳優さんの男女比とノマドのメンバーの男女比が同じことに気付いて、女性陣が男性(菊地さん)に対して劇中のセリフを真似して「あいつのことがいらいらする」と言ったりしていましたが。
菊地 もし公演があと2日続いていたら、僕もどうなっていたか分かりませんね…。
──2025年3月の愛知公演では再びノマドの皆さんにご出演いただきます。また半年後に再会できることを楽しみにしています!
今後の上演スケジュール
<神戸> ※演奏は神戸市室内管弦楽団アンサンブルが担当
日程:2025年2月1日(土)〜2日(日)
会場:神戸文化ホール 中ホール
<愛知>
日程:2025年3月1日(土)
会場:名古屋市芸術創造センター(主催:愛知県芸術劇場)
過去の上演歴:
<世界初演> ※演奏はクラングフォルム・ウィーンが担当
◯ウィーン
日程:2023年5月13日(土)〜15日(月)
会場:Halle G im MuseumsQuartier(ウィーン芸術週間)
◯ハノーファー
日程:2023年5月19日(金)〜20日(土)
会場:DHC Halle Hannover(ヘレンハウゼン芸術祭)
◯アムステルダム
日程:2023年6月7日(水)〜8日(木)
会場:Muziekgebouw aan 't IJ(オランダ・フェスティバル)
<日本初演>
日程:2024年9月20日(金)〜30日(日)
会場:東京芸術劇場 シアターイースト(東京芸術祭 2024/芸劇オータムセレクション)