演劇と空間の付き合い方を探る:『リビングルームのメタモルフォーシス』稽古場レポート (横堀応彦)
「作曲家・藤倉大と新しい音楽劇を作ってほしい」
ウィーン芸術週間の芸術監督クリストフ・スラフマイルダーからチェルフィッチュ・岡田利規のもとへ新作音楽劇の委嘱依頼が届いたのは2020年のことだった。
そこからミーティングとクリエーションを重ね、作品のタイトルは『リビングルームのメタモルフォーシス』に決定。約2年間のクリエーション期間を経て、2023年5月13日にウィーンのミュージアムクォーターで世界初演された。
2021年7月に始まった本作のクリエーションは同年11月に行われたワークインプログレス公演までの期間(第1期)、2022年4月から9月に行われた執筆・作曲のためのワークショップ期間(第2期)、2023年3月からの本格クリエーション期間(第3期)に大きく分けられる。このレポートでは、本作のドラマトゥルクとして2年間の創作プロセスに立ち会った筆者の立場から、第1期と第2期の道のりを簡単に振り返った後、第3期に稽古場で行われたリハーサルの模様を紹介する。
第1期:ワークインプログレス公演まで(2021年7月〜11月)
新作音楽劇を構成する大きな要素はこの新作に向けて書き下ろされる岡田のテキストとそのテキストと共に作曲される藤倉のスコアである。ウィーン側からの紹介で今回が初顔合わせとなった岡田と藤倉だが、まずは2021年11月に予定されているワークインプログレス公演に向けたワークショップが始まった。2021年7月12日、今回出演する青柳いづみ、朝倉千恵子、大村わたる、川﨑麻里子、椎橋綾那、矢澤誠の6名が稽古場に集合し、顔合わせが行われた。
新しいオペラを制作する際には、台本作家がリブレットを書き終わった後、それをもとに作曲家が作曲を開始する方法もあり得るが、今回の音楽劇では藤倉が演劇のワークショップに可能な限り立ち会いながら、作曲のアイディアを練っては試す形で行われた。コロナ禍で簡単に来日できなかった藤倉はロンドンの自宅からオンラインで参加したが、ズームとは別に音の回線が繋げられ、ロンドンと東京の間を高音質な音声がほぼ時差なく繋がる環境が整備された。これにより藤倉は、俳優のリハーサルを観ながらその場で作曲することができた。リハーサルを見て、作曲し、その曲にあわせてリハーサルを行って、また作曲し、の繰り返しだ。第1期のワークショップでは俳優の「声」を探りながら、音楽と演劇の新たな関係性を紡ぐためのアイディアを探ることが目指された。
リハーサルが始まって間もない頃には、こんなことがあった。藤倉がリハーサルにリアルタイムで参加していなかった回の稽古場の記録映像を藤倉に送ったところ、その日の夜に藤倉が記録映像の右側に自身の楽曲を演奏者が演奏している動画を貼り付け、二つの動画を横に並べた形の新しい動画を送り返してきた。俳優と演奏家の動きが並置されているこの動画は演奏者の動きの大きさを実感する上で面白く、このときの画面の左側に演劇、右側に演奏家という配置は、俳優と音楽家の身体が舞台上にどのように共存すればよいのかを考える上で重要なヒントとなった。
2021年11月5日にタワーホール船堀で行われたワークインプログレス公演では、先の映像と同様に舞台上の左半分に俳優陣が座り、右半分に演奏者が座るという空間構成で行われた。この時点での演奏者は、弦楽四重奏+クラリネットの5名という編成だった。10分ほどの場面が発表された後、岡田と藤倉がそれぞれフィードバックを行い、そのあともう一度通してみる、という内容だった。当時は日本政府の水際対策が厳しく、来日を予定していたクラングフォルム・ウィーンはウィーンで演奏した映像を撮影し、映像演劇の手法を利用した映像出演となった(注1)。
第2期:執筆・作曲のためのワークショップ(2022年4月〜9月)
一同は2022年4月19日に再集合。この年の秋までに岡田の執筆と藤倉の作曲を完成させることを目標に、上演時間90分の作品を目指して俳優とのワークショップが毎月2~3回のペースで行われた。第2期のワークショップでは岡田と藤倉が、テキストとスコアの両方にどの程度の隙間を作るかを確かめ合いながら、互いのバランスを確認・調整していく作業が行われた。
藤倉は第1期と同様にロンドンの自宅から参加して、ワークショップ中にも作曲が進められた。毎回のワークショップに岡田は書き進めたテキストを持参して、まずは俳優がそれを声に出して読んでみる。本読みにかかる時間と実際に動いてみた時間との間には差があるため、岡田と俳優で簡単に動きをつけてみたところで、藤倉が合流。第1期と同様に、新しい場面に合わせる音楽を作り、それを試すことが繰り返された。
藤倉は世界中の演奏家からの新作依頼を実現するにあたり、Skypeなどで演奏家とコミュニケーションをとりながら、その楽器や演奏家の特徴を生かした作曲を進めることが多い(注2)。今回も藤倉は岡田のテキストを尊重して、演劇と音楽のバランスを限りなく等価にすることを目指しながら作曲に取り組んだ。藤倉は他のプロダクションでは「音楽が強すぎる」と言われて書き直したり、クビになることが多かったと話すが(注3)、演劇と音楽が並置されると、演劇の味がどうしても濃くなってしまう問題への解決策を模索していた岡田にとって、この「強さ」は作品に資するものであり、2人のクリエーションは順調に進んでいった。第2期のワークショップは執筆と作曲を目的として行われたが、演技面でのアイディアについても少しずつ思考が深められた。
この年の7月には東京芸術劇場で開催されていた藤倉がアーティスティック・ディレクターを務めるボンクリ・フェスを岡田と俳優で訪問し、来日した藤倉と初めての直接対面が実現した。コンサートを聴いた後に岡田は本作において「演劇は、演奏家の端っこ、照明が当たっていないところにいるぐらいがいいのではないか」と語っていた。本作の観客には、演劇作品を観に来たというよりも、コンサートを聴きに来たモードで観劇してもらいたい、というのが岡田の考えであり、このことは舞台前方に演奏者、舞台後方に俳優陣という実際の上演での舞台空間の構成にも繋がっていく。
夏が終わると岡田は当時滞在していたオスロから、藤倉はロンドンの自宅から参加して、東京の稽古場と繋いだワークショップが行われた。そして9月末には岡田のテキストが、11月中旬には藤倉のスコアが完成。コロナ禍の副産物として用いられた通信技術により、藤倉の作曲もスムーズに進んだ。最終的な編成は弦楽四重奏、クラリネット(バスクラリネット持ち替え)、ファゴット(コントラファゴット持ち替え)、チェレスタの7名に決定。演奏者には指揮者なしで演奏してもらうことになった。
このように第1期と第2期で行われた約30回のワークショップを経て、クリエーションの骨格となる岡田のテキストと藤倉の音楽が完成した。2022年12月からはプランナーミーティングが定期的に開催され、舞台美術のイメージも少しずつ具体化していった。演劇と音楽が舞台上に同じだけの面積を占めた場合、演劇が強くなりすぎるのではないか、という岡田の懸念があり、それを解消するために舞台上に占める演劇成分をどのように減らすことができるのか、等々の話題についてミーティングでは建設的なディスカッションが行われた。
第3期:世界初演に向けた本格リハーサル(2023年3月〜4月)
2023年3月6日から、世界初演に向けた本格的なリハーサルが始まった。
第2期までのワークショップでは岡田の執筆と藤倉の作曲を目的としたものだったが、第3期のリハーサルでは本作の演劇としての基本的な方針を見つけていくことを目的として、俳優と演奏者が舞台上で共存するための演技手法・演出方法の作り込みを行った。そのため最初の3週間は音楽を使わず岡田と俳優による演劇のリハーサルがじっくり時間をかけて行われた。
リハーサル初日に岡田から「これまでのチェルフィッチュの手法を刷新したい」という野心が語られ、最初の1〜2週間は全員でテキストを読むことに時間をかけていった。そこでは、自分で発した言葉が聞こえているか、セリフをその場で分かりながら話せているかが問題とされた。
リハーサルの2週目にはチェルフィッチュの直近の舞台作品である『消しゴム山』で用いられた「半透明」というコンセプトを共有するワークショップが行われた。半透明とは、美術家の金氏徹平が写真家・川島小鳥の作品を分析する際に使った用語で、チェルフィッチュにおいては俳優が物体に近づいて、自身が半透明状態になり物体と一体化することで、人とモノの主従関係が解体される状態のことを意味している(注4)。ワークショップでは今回出演する俳優のうち『消しゴム山』にも出演していた矢澤と青柳が進行役を務め、まず2人が実演してから他の俳優も試してみる形で行われた。前作までは人がモノの隣で立ち止まり静止した状態のみが「半透明」とされていたが、動いていても半透明は実現できるのではないか、等々の意見交換が行われ、本作において半透明は後述する「振付のテキスト集」を用いた動きを生み出すための大きな手がかりになった。稽古場には岡田がテキスト執筆にあたり参考にしたティモシー・モートンの『ヒューマンカインド』や写真家・川内倫子の写真集が持ち込まれ、これらも参考にしながら日々思考を重ねていった。
毎日のリハーサルは5時間だが、最初の2時間はウォームアップに時間がかけられる。ウォームアップは「お話し会」と振付ワークショップの2部構成で、どちらも岡田と俳優が車座になって行われる。1時間目の「お話し会」では俳優が1人ずつ短いお話をして、隣に座っている俳優が、前の俳優の話を自分の話のように話した後、自分の話をする。そしてその隣に座っている俳優が前の俳優の話を繰り返して自分の話をする…という形で進んでいく。話される内容は日々様々で、最近観た映画の話、家で飼っているペットの話、稽古場に来る途中に出会った人の話等々。
2時間目の振付ワークショップは、俳優たちがいかに具体的なディテールを持って空間に存在できるか試行を重ねる時間だ。これまでチェルフィッチュでは想像によって生み出された俳優自身から自然に出てきた動きを作品に用いることが多かったが、本作では岡田が台本のテキストと別に執筆した「振付のテキスト集」から俳優が動きを生み出すことで、そのテキストがないと生まれない質感をつくることが目指された。クリエーション期間中に岡田はコツコツとテキスト集を書き溜めていき、稽古当初に30程度だったテキストは、稽古終盤では100を超えた。そのテキストは例えば「膝の裏についている目できょろきょろする」といったような短いもので、俳優たちはレストランの料理メニューを選ぶように、それぞれ1つのテキストを選んで、順番に動きを見せていく。動きは振付のテキストから生み出されるが、その動きのもとになったテキストが何番の文章かをお互いに分かり合う必要はない。ここで試された動きは実際の上演の中でも使われることになった。
休憩をはさんで、その後3時間は作品を作っていく濃密なリハーサルが行われる。1日に取り組むパートはそれほど長くないが、俳優が演じた後の岡田からのフィードバックに多くの時間がかけられる。このように岡田と俳優が互いに対話を重ねながら、作品の骨格が少しずつ形作られていった。
演劇と音楽の並置を目指す本作では舞台上で演劇のトラックと音楽のトラックが並走する。演劇と音楽が並置されると、演劇と音楽がバラバラに存在してしまうことが危惧されるが、その課題を解決するために演劇サイドではテキストと空間の関係性をこれまで以上に重視して、俳優と演奏者が同一の空間で融け合うための方法を追求した。具体的には自分がいる空間を意識しながら読むことや、自分がセリフを話したことによって空間に変化を起こすことがテーマになっていった(注5)。特に問われたのは、セリフを言い終わった後に、その空間が変わっているかどうか。セリフを完成したものとして発話するだけでは、空間が変わっていかない。岡田はしばしば「セリフを言った後を問題にする」「セリフを発した後にその空間が変わるように」というフィードバックを俳優に行っていた。テキストに登場する人物を濃くするのではなく、空間を濃くすることで音楽と良い関係を築くことが目指された。
リハーサル4週目の3月28日には藤倉とズームで久しぶりに再会。それまで演劇で作っていたものに音楽を重ねてリハーサルを行ったところ、この方向性で間違いないとの感触を岡田と藤倉で確認しあった。
共演者であるクラングフォルム・ウィーンとはウィーンに行ってからでないと合わせることができないため、日本のリハーサルでは藤倉の信頼の厚い現代音楽アンサンブルであるアンサンブル・ノマドに4月3日と4日に稽古場に来てもらい、空間での音楽と演劇の関係性を確かめた。藤倉もロンドンからその場に参加して、楽譜上の繰り返しをどうするかを演奏者と確認し、また音楽家にどのように演奏開始の合図を出すかを舞台監督と確認した。4月19日にはアンサンブル・ノマドに再び参加してもらい、スタッフ勢ぞろいの通し稽古が行われた。
数度の通し稽古を経て上演時間は約80分となり、4月後半からは最終調整が行われた。5月1日〜4日は最終リハーサルとして、連日アンサンブル・ノマドに参加してもらい通し稽古を行った。俳優は演奏者にどのくらい近づいてよいものか、演奏者は演奏していない時間にどのように舞台上に居てもらうのがよいかなど、音楽と演劇の関係を調整していった。
このようにして日本での稽古が終了した。ここまで振り返って思い出されるのは、第1期のワークショップで参照した作曲家でピアニストの高橋悠治が答えた2018年のインタビューである。そこで高橋は「バッハの音楽は出来上がっている作品ではあるが、それを演奏していく過程で未完成になっていくような可能性を示せるのではないか。」と語っている。今回のクリエーションでは俳優と音楽家をいかに舞台上に並置するかが問題となり、両者のアンサンブルを舞台上で実現するために演劇サイドでは出来上がったプロダクト(完成品)を提示するのではなく、一度完成されたものをいったん未完成にして舞台上に展開し、演劇と空間の新しい付き合い方を探ることが目指された。そしてこのプロセスは実際の上演においても回を重ねるごとに続いている。今後世界各地での上演を重ねるごとに、本作がどのように育っていくか、今から楽しみでならない。
(注1)ワークインプログレス公演については映像配信 、岡田と俳優陣の座談会、プロセスオブザーバーとして参加した島貫泰介による報告書やprecog noteの記事に詳しく紹介されている。
(注2)例えばその様子は、ホルン奏者・福川伸陽のインタビュー記事から垣間見ることができる。
(注3)ウィーン公演の当日パンフレットに掲載された藤倉のコメントより。
(注4)詳しくは、『美術手帖』2017年9月号の川島小鳥特集における金氏徹平の論考を参照。また「チェルフィッチュといっしょに半透明になってみよう」レポートでも紹介されている。
(注5)これはそれぞれ世阿弥が『花鏡』で論じた「離見の見」や、J・L・オースティンが『言語と行為』で論じた「(行為)遂行的発話」に通じる考えかもしれない。