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震災を忘れない・福島スタディツアー②震災遺構・浪江町立請戸小学校、浪江町営大平山霊園

福島スタディツアー1日目、富岡町の夜ノ森桜並木、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館を訪ねたあと、バスで震災遺構・浪江町立請戸小学校に向かいました。

請戸小学校は海からすぐ近くにあります。周辺は、請戸小学校の校舎以外、すべてを津波にさらわれました。しかし、請戸小学校の児童や教職員のみなさんは、内陸側にある大平山に向かって逃げ、全員が助かりました。

校舎の1階は津波によって破壊されましたが、2階はそのまま残りました。その遺構を、ほぼそのまま保存して公開しています。

震災遺構 請戸小学校

内部を見学していきます。

大津波でも流されずに残るほど、鉄筋コンクリート造の建物はやはり堅牢なのですね。でも、こんなになってしまっています。

水の圧力のために、蛇口が歪んでいます。

奥にあった印刷室には、備品が押し寄せられました。


こんなになるだけの力が一気にかかるのですね…

建物の損壊もショックですが、おそらくあとで発見されたのであろうパソコンを見たときに、グッとくるものがありました。

もとは給食の調理場だったところ。奥の検収室に備品が押し寄せられています。


卒業式を控えて飾りつけもされていた体育館もこんな床に。

玄関を見ると、津波が1階の天井の高さあたりまで来たことがよくわかります。

2階は展示になっています。1階上がるだけで、こんなに違うのかと驚きます。

校舎の外側にかかっていた時計。

来校した人たちが寄せた言葉。

「失われた街 模型復元プロジェクト」のワークショップ(神戸大学・槻橋研究室による)で制作された請戸地区の模型。

10年後に、元児童たちが綴った作文。

屋外へ。外階段は下の方がなくなっています。

プールの手すりもこんなに歪んでしまっています。

校舎の隣に事務棟があり、そこにも少し展示があります。トイレや物販もこちらです。

浪江町の資料と、缶バッジを購入しました。

日が沈んできました。奥が、児童らが逃げた山側になります。小さい子には相当の距離だと思います。

大平山霊園にお参りに。亡くなられた方たちの追悼の碑です。

遠方に白い建物があります。これも放射性廃棄物の処理場です。かなり距離があるのに、運転している音が霊園まで聞こえてきました。遮るものが何もないからかと思います。

そして、自動草刈り機?が何台か動いていました。似たものが、東日本大震災・原子力災害伝承館の芝生の庭でも働いていました。

私たちの生活圏では見たことがなかったので、なんだろうと思って注目したのですが、人がほとんどいなくなった地域で、草ぼうぼうにしないためには、こうした機械が必要なのでしょうね。

この日の見学を終えて、バスで相馬市のお宿まで向かいました。日が暮れていくなか、まだ往来が制限されている区域を通り抜けて行きました。

広い敷地に大きなお家が建っていましたが、門にはゲートが設けられ、持ち主ですら自由に入れないようになっていました。

走っていくうちに、日がとっぷりと暮れました。すると、経験したことがないような闇に包まれました。

常なら、車で走っていたら、街灯やお店の灯り、家の灯りがあって、真っ暗ということはないですが、いまどこにいるのかもわからないくらいの暗さ。すれ違う車も全然ありません。もしかすると、この日一番想像しなかった体験だったかもしれません。


宿に着く前に道の駅に寄ったので、現地のおいしい食べ物などを少しばかり買いました。

この旅は、学びと応援の企画なので、参加者はみんな、せっせと福島産のものを買いました。私たちも寄るところすべてで、何か買うようにしました。

旅の記録の最後に、食事や宿やお土産編をまとめようと思います。

つづく。



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