娘をアイドルにしたい

我が家には娘が一人いる。
今年小学二年生になった。

私自身エコ贔屓するタイプでは無い。
物事をフェアに見ることを信条にしている。
当然自分の娘だからといって贔屓目に見るなんてことはない。

ウチの娘の顔をマジマジ見て思う。
明らかに美少女だ。
まごう事なき美少女だ。圧倒的だ。すごい。可愛い。大好き。
浜辺美波も広瀬すずもびっくり、可愛くて仕方ない。
毎日見てて飽きない。

人生で一度も信じたことが無い神に誓って書くが、これは私が親だから思うわけでは無い。
これだけたくさんの女性を見てきた私が心を平静にして娘を見て思うのだ。
『本当に可愛い』

こういうことを書くとつまらん奴が
『自分の娘だから可愛く見えるだけだ』
と言う。

ばかばかばか。
ウチの娘だけは違う。
俺は毎日娘を見てるんだ。
どこにホクロがあるかもわかっている。多少ぽっちゃりしているし、
たまに鼻ほじくっている。いつもおなか出して寝ているし、寝相は最悪。
弟のち〇こを殴ったりもしている。
それだけ見た上で、『娘が美少女である』と言ってるのだ。
明らかに世の言説よりも俺が言っていることが正しいことがわかる。

そんな美少女の娘をアイドルにしたい、と私は思うようになったのだ。


何故圧倒的美少女な娘をアイドルにしたいと思ったか。

私自身幼少期込みであまりアイドルというものにハマったことが無い。
強いて言うなら、高橋由美子は好きだった。
個人的趣味を書くなら素人女子が好きだ。
プロというのは苦手である。。
とは言えセクシー女優だけは別である。
ミッキーに会いたい気持ちとセクシー女優を直で見てみたい気持ちは完全な一致。そう、実在することが素晴らしいものなのだ。

話が逸れた。
私自身AKBにも、モーニング娘にも、ももクロにハマっていない。
ハマっていないにも関わらず、美少女な娘をアイドルにしたいと思ったのには理由がある。

私は日々雀荘に行く。
平日はほぼ毎日だ。皆勤賞だ。

雀荘に行くと偶然女性のプロや女性のアルバイトがいる。
(ここでの偶然はソープランドで偶然恋に落ちる、と同じ意味で捉えてほしい)
勿論麻雀するために雀荘に行くので、邪な気持ちなんて全くない。
これっぽっちもない!!
上手く抱けたら良いなんて絶対に思わない!!!

これだけ雀荘に行き、たくさん働く人を見ると、
優秀な人も、そうじゃない人も見分けがすぐつくようになる。
これには性差は存在しない。
今日は女性のプロ、アルバイトの接客にフォーカスする訳だけど。

最近女流プロが増えた。
更にアイドルや芸能界から雀荘で働く人も増えた。
一昔前のタバコの煙臭く、普段何をしているかわからないおじさんだらけ、
なんてことは無くなっていると思う。

偶然女流プロの働くお店や、芸能人が働くお店に行っていると
ある事に私は気付いてしまった。

芸能人ってすげー!!!って。

最近の女流プロはお世辞抜きで美人だ。
ホント芸能人と遜色ない。
なので、女流プロ≒芸能人なのかもしれない。

にも関わらずだ。
僕は気付いてしまったのだ。
芸能人は飛びぬけて接客がすごい。
雀荘で働きなれているはずの女流プロと比較しても、こと接客に関しては芸能人出身の方々は凄すぎる。
(勿論接客に優れた女流プロの方々もたくさんいますけど。)
芸能人は全員ほぼ漏れなく接客が凄いのだ。

何故芸能人は接客が凄いのか?

私なりに考察してみた。
芸能人接客の凄い理由、
『来店客全て私に会いに来たお客様だと思っている。』

これはね、中々出来ないことで。
そもそも雀荘で働き始めて、お客さんなんて常連か月1か新規かなんてわからない訳で、自分に会いに来てくれたかなんて当然わからない。
麻雀が好きなだけかもしれない。

しかしだ。
芸能人の方々は当然のように『来店客全員私に会いに来ている』と思って接客している(本当に思っているかどうかは当然知らない)。
全員に明るく笑顔を振るまっている。
これは結構凄いことで、昨日まで女子メンバーだった方が、今日からゲストプロになり、、、だと上記は出来ないものだ。
そこには若干の卑屈も存在している。
“どうせ私なんかに会いに来てくれた訳じゃないだろうし”と。

私が娘をアイドルにしたい所以がまさにここだ。
自己肯定(自分を愛す力)が凄いのだ。

私自身令和時代を楽しく生き抜く為のキーワードが二つあって。
『自己肯定』と『寛容』である。

ダイバーシティ(多様性)なんて言葉が叫ばれ始めて久しい。
ダイバーシティ自体は素晴らしいことで、ここに疑念の隙間などないのだけど、物事には清濁あって。
と言うのは、当然生きやすくなっている、間違いない。
でも、価値基準が多くなることは分かり辛くなっていること、とも言える。

学歴が良ければいい、大企業であれば良い、みたいなものはある種凄くわかりやすい。努力が一本道だ。
今は成功への道筋が無限に存在している。
学歴も大企業も成功だなんて言いきれない。

成功の形が多用化した今、必要なのは自己肯定だ。

SNSが増え、他人の生活は裸になっている。
○○が高い寿司食った、△△はまた海外旅行行っている、××さんとご飯食べに行っている。
こういったものを見て嫉妬するのは誰にでもあるけれど、
もう鈍感にならないとダメだ。
自分は自分、他人(ひと)は他人(ひと)。
そう、自分には自己肯定を、他人には寛容になる力が重要なのだ。

じゃあ自己肯定を高める為には?ってことになるわけだが、
これには確固たる持論がある。
愛される経験を持つこと、だ。
若しくはあんま好きな言い方ではないけど、スポットライトに当たったことがある、みたいなことも近いニュアンスかもしれない。

他人から愛されて、自己肯定出来るようになるのかな、と。
皆自分のことなんてわからない。
何が優れていて、何が劣っていて、なんて中々理解出来ないものだけど、
他人からの視点で気付くことはたくさんある。

娘にはたくさんの人に愛され、たくさんの人を愛す人になってほしい。
そして何よりも自分を愛す人になってほしい。
ぽっちゃりしているから水着はNGだ。お父さんは許しません。
買ってきたお土産の数をいち早く数え、自分が何個食べられるかの計算はすこぶる早い。
なので街ブラしてケーキを食べる仕事をしてほしい。
娘の、ケーキを食べてする幸せそうな顔は必ずや世の中から愛されるはずだ。

私は娘をアイドルにしたい。

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