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相手との共通認識を見つけるために
大事にしてくれる人は許してくれるからこそ傷つけてしまう、大事にしてくれない人は許してくれないからこそ相手に合わせてしまう。それが矛盾だって気がつけるのは成長した証なのかもしれない。
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ヨルシカさんの「風を食む」を聴いていると相手によって心の価値を変動させている私にスポットライトを当ててくれる。
私を大切にしてくれる人は許してくれるからこそ、心の価値を過剰に上げて私の主義主張だけを押し通してしまう時がある。
大切な人との付き合いの中で、私の思い通りにならないことで寂しくなったり悲しくなった時に、相手に対して嫌味を言ったり困らせたいという嫌な気持ちが出てくることもあった。
でも相手にも予定があり、優先順位があるのでその気持ちを抑えることも大事。そう思った次の瞬間には「今気持ちを抑えたら傷ついた私の気持ちがなかったことにされるのではないか」という思いが出てきて、せっかく抑えたはずの悪い気持ちのまま行動することが今まではあった。
自分がいかに不幸で大切に扱われていないかという部分を強調することで相手の注目を集め、相手の言動や行動を支配しようとしているのかもしれない。相手の自律を願いながらも無意識のうちに相手を支配しようとしているのかもしれない。
その目的は、相手の注目を集めたい、気にかけてほしいという欲。相手の注目を集めなければ、私は価値がないと思い込んだり、相手は私のことよりも他の誰かを好んでしまうだろう、大事にするだろう、私は忘れられてしまうだろうと思い込んでいるからなのかもしれない。
だからこそ私の主張を押し通してしまうのかもしれない。
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その一方で、私を大切にしてくれない人は私を傷つけてくるから心の価値を下げてしまう。心の価値を下げてしか相手と対等に渡り合えないと思ってしまう。
「この人たぶん今日はストレス溜まっているだろうから多少それをぶつけられても我慢していよう」を優しさだと思い込む。相手の期待に常に沿うことが優しさだと思い込んでしまう。
ほしいものはないなんて言ったり、
やりたいこともないなんて言ったり、
私は欲があまりないのかもしれない、優柔不断なのかもしれないなんて思ったりもしたけど、それも心の価値を下げて相手と接し続けた結果なんだろうと思う。本当は欲しいものがあったり、やりたいこともあるのに、それを聞かれた時に「無い」なんて言ってしまう。
他者からの評価を恐れているから、
低い評価をつけられることを恐れているから、
その前に私自身で私の心の価値を低く見せることで自尊心を保っているのかもしれない。人に傷つけられるより、私自身で傷つけた方が楽であるし、私以外の誰かを悪者にしなくてもいいからそうしてしまうのかもしれない。
自分の主張を相手に聞き入れてもらったら、もしかすると私は相手に強制してしまったのではないかという気分になってしまうけど、私の意見も聞き入れてもらっていいんだという感覚を取り戻すことは大切だと感じる。
でもどうやって心の価値を過剰に上げたり下げたりせずに相手と接することができるんだろう。
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「私がどう思うか」なんて「私の意見」なんて大切にしなくていいから「あなたが言うことを大切にするからね」なんて思ってしまうこともあるけど、それは果たして本当の意味で相手を尊重していると言えるのだろうか。
相手を大切にしながら私を蔑ろにしないためにはどうしたらいいのだろうか。
大前提として「私の身体と心は私のものであり、特別な事情や許可がない限り侵犯してはならないのだ」と思う。相手が立場が上であろうが、お金を持っていようが、有名であろうがそれは変わらない。
だから相手に強制しない、相手に強制させないようにしながら相手との共通認識を探ることが大切だと思う。
そのために、まずはお互いに自分の気持ちに誠実な意見を話し合いのテーブルに乗せる。
そこからお互いの「共通認識」を見つける。
どちらの主張が正しいか、優先するかという話ではないので勝ち負けを決める戦いではない。私の主張を諦めるとか、相手の主張を優先させるというよりは第三の主張を作り上げるような感覚を持つことが大事になってくるのかもしれない。
私たちの目標は大抵の場合同じはずなのに意見が対立することで、いかに自分たちが良くて、いかに相手が悪いかを証明しようとしているように見える時がある。
話し合いの目的は自分たちの主義主張の勝利ではなく、お互いの「共通認識」への到達であると思う。そこを目標に据えながら話し合えれば心の価値を過剰に上げたり下げたりしなくて良くなるのかもしれない。今はそう信じたい。
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本音を自分の中で向き合う優しさ
それを包み隠さず誰かに伝える優しさ
憶測を立てずにそれを聞き入れる優しさ
その優しさは目の前にいるその人を同じように心を持ったひとりの人間だと理解して向き合うことで手に入れることができる。人は全てにおいて優しくあることは難しいかもしれない。でも、あなたが目の前の人をひとりの人間として向き合う優しさを持つことができるなら、その人もあなた自身も大切にできるのかもしれない。
このnoteは翠さんとの「交換ノート」マガジンに投稿する記事です。今回はヨルシカさんの『風を食む』を聞いて感じたことを書きました。
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