日本列島チーズ工房リレー 第7回 アトリエ・ド・フロマージュ
ミルク缶から始まるアトリエ・ド・フロマージュの朝
チーズ工房の入り口、軽トラックの荷台に使い込まれたミルク缶がいくつも乗っている。毎朝7時45分にチーズ工房を出発して一路南へ、千曲川を渡り車で30分、長野県上田市丸子まで。契約酪農家「フロマージュ牧場」へ生乳を取りにいくところから、「アトリエ・ド・フロマージュ」の一日が始まる。
「フロマージュ牧場」は世界に名を馳せる「シャトーメルシャン椀子ヴィンヤード」のすぐお隣。牧場へ来た道を振り返ると、聳え立つ浅間連山の眺望が素晴らしい。浅間連山の南斜面には東御市のワイナリーが集う「御堂ヴィンヤード」も見える。南北両岸を総称して広がる「千曲川ワインバレー」の雄大さが実感できる。
「御堂ヴィンヤード」のそのすぐ東方、標高900メートルの高台に、「アトリエ・ド・フロマージュ」の本社は建っている。
長野県は山と川と谷と盆地からなるいくつもの「國」の集合体である。信州の子が小学校で習う県歌「信濃の国」の一説に「浅間はことに活火山 いずれも国の鎮めなり 流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川 南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり」とあるように、どこに行っても美しく高い山々が聳え、清らかで冷たい川の水が流れている。千曲川は新潟に至ると日本最長の河川、信濃川へと名前を変え日本海へと注がれる。
「フロマージュ牧場」を営む小林さん夫妻が毎日搾乳しているのは、ジャージー種とブラウンスイス種の二種の母さん牛たち。ブラウンスイスはタンパク質が多くチーズ製造に向いているミルクを生み出す品種として知られ、ジャージー牛は脂肪分が高く、特徴のあるミルクを生み出してくれる。
小林さんは「このミルクが美味しいチーズになって世に出ていることに嬉しみを感じます。また、アトリエ・ド・フロマージュさんが毎日全量生乳を買取りしてくれるので、ジャージーもブラウンスイスも安心して飼うことができるんです。」と。フロマージュ牧場の生乳価格は市場より高水準だが、実は牛たちの廃用(食肉用として出荷されること)時にはブラウンスイスもジャージーもほぼ値が付かない。「アトリエ・ド・フロマージュ」の専属酪農家となっていることでバランスが成立している。
「フロマージュ牧場」の生乳は20リットルのミルク缶7,8本分にもなるが、これだけでは全製造量を賄えない。足りない分は信頼する近隣4軒の酪農家さんからローリー車が集乳してくれる。すべての生乳をチーズバットに流し入れ、殺菌を始める。さぁ今日もチーズの製造準備が整った。
朝搾られた一滴の生乳が、一日で大小様々な大きさの塊になった後、柔らかく固く白く青く黄色く変化してゆく。アトリエ・ド・フロマージュの「チーズ劇場」、はじまり、はじまり。
桃栗三年チーズ八年
東御市の特産品といえば、胡桃、ワイン、巨峰、+アトリエ・ド・フロマージュのチーズたち。
千曲川ワインバレーの中でも飛びぬけてワイナリーが多い東御市。ここが今ではまるでフランスのロワール川流域のようにワインとチーズを楽しめる土地になっているのは、40年以上も前にこの地にチーズ工房を拓いた創業者の松岡夫妻の慧眼ともいえる。
2024年現在、チーズ工房のスタッフは5人。チーズ製造・熟成責任者の塩川さんを筆頭に、8年選手の内堀さんと横川さんが中心となって15種類ほどのチーズが作られている。
工房に入ると、500キロのミルクに乳酸菌が入れられるところだった。これは硬質チーズ造りの第一手目。その横では「フロマージュフレ」が静かに発酵を待っている。それを横目に塩川さんが前日型詰めした「ブルーチーズ」に塩をまぶし始めると、奥の方で人気商品の小さな「ココン」用のチーズ型が並べられていく。塩川さんは司令塔として要所で指示を出し、都度確認しながら、幾つものチーズが流れるように並行して仕込まれていく。
モッツアレラチーズ用の乳酸菌を計量中のチーズ職人内堀さんに、チーズ造りはどうですかと聞くと、「8年目にしてやっと面白くなってきました」。バイオテクノロジーを学ぶ専門学校の卒業旅行で訪れたブルゴーニュで、出会った白カビチーズがすこぶる美味しかったのだそう。現地で作られたチーズとワインを味わって目の覚める経験をした人は多いが、その後チーズ造りを生業とする人はなかなかいない。
時間を置いて、杏仁豆腐のように固まった牛乳を素早くチーズカッターでカットしていく横川さん。あっという間に小さな豆粒状のチーズとホエイに分かれた。ホースをつないでリコッタチーズを作るべく別のバットにホエイを移す。
チーズ造りは「今ここ」の見極めの連続だ。「ミルクを固めてそこから水分を取りのぞいたものがいわゆるチーズ」だが美味しいチーズを作るには絶対的に、知恵と重ねた経験、そして独自の工夫が必要だ。
硬質チーズを仕込んでいた横川さんに、塩川さんはどんな人?と聞くと「厳しい人っすね、、、。」とぽつり。そして「普段も何もしていないよりチーズを作っている方がいいですね。」とまたぽつり。少しずつ成長してきた8年目のチーズ職人を塩川さんは「地道な作業を丁寧にやってきた横川を信頼できる」と目の前で褒めた。大きな手でホエイの抜けたチーズの塊を豆腐のように運び、型に入れ、圧搾する。圧搾を終えた「ミルク豆腐」を次に見たときには、ほんの数時間前まで500キロだった生乳が、21個の鏡餅のような「チーズ」の形になっていた。
ロックフォールに魅せられて
「イブ・コンブという存在があるから、自分のブルーチーズの立ち位置はまだまだ」とアトリエ・ド・フロマージュのチーズ製造部門責任者、塩川さんは言う。
フランス人が愛してやまない、2000年の歴史を持つといわれる羊乳製ブルーチーズの王様「ロックフォール」の生産者の中でも、イブ・コンブは特異な存在である。
生産量も僅か、家族経営で多くを手作業で製造から熟成まで手掛けるこの小さな作り手のロックフォールは、塩川さん曰く「ドンピシャな時の口どけが至福」だ。
2008年にアトリエ・ド・フロマージュに就職する前に、塩川さんは敷地内にあったレストラン「フォルマッジオ」立ち上げ当時よりアルバイトで調理担当として働いていた。料理長だった岩さんから、料理と味を形作るという作業をとことん教わった。岩料理長は厳しかったが、そこで得た経験もまた現在のチーズ造りに生きている。
祖父母が酪農家、父が農協畜産課の要職、母は市役所勤めという幼少期、「じいちゃんばあちゃんが搾った生乳をバルククーラーからそのまま飲んでいた」塩川少年は、帰宅の遅い母を待つ日常の中で料理を覚えた。「乳製品や畜産加工品が物理的に身近だったことが、今の道に繋がっていたのかもしれない」とも振り返る。
2010年に発売となった「高原のナチュラルブルー」が入社3年目の塩川さんの手掛けた最初のブルーチーズだった。小淵沢の雪印メグミルクチーズ研究所の上田さんのアドヴァイスで、試行錯誤の末に生み出されたそのブルーチーズは滑らかな口溶け、優しい味わいながら、まだ本格的なブルーチーズが少なかった日本で「あのブルーが美味しい」と認知され始めていた。
アトリエ・ド・フロマージュは1982年の設立以来、フランスの乳製品製造学校で学んだ創業者の松岡夫妻が多くの種類のナチュラルチーズを続々と世に送り出してきた。そのチーズを使ったピザを作り、生菓子を作り、レストランフォルマッジオではふんだんにチーズ料理も楽しめるとあって既に長野県民には知られた観光スポットとなっていたが、2010年当時の塩川青年はまだ夜明け前。ロックフォールに魅せられ、本格的なブルーチーズで勝負したいと松岡夫妻と真っ向から喧嘩もして、いよいよ2キロを超す大きさのブルーチーズの製造に着手する。
青かびが大谷石のように美しい模様を表すブルーチーズの製造は大変にドラマチックだ。
殺菌したミルクに乳酸菌とレンネット(凝乳酵素)と青かびを入れて静かに待つ。ハープのような道具で固まったミルクをカットして水分(ホエイ)を排出する。サイコロ大の白い塊たちに塩を混ぜ型詰め。
塩川さんの手掛けるブルーチーズは、その名のまま「ブルーチーズ」と、円筒形の「翡翠」という2種類あるが、どちらも最初の加塩の際に一工夫がある。ブルーチーズ造りにおける肝、ともいえるミルクの中の脂肪分を逃さずに、食べたときに口の中ですっと溶ける舌触りを目指して、チーズの塊を冷やすというワンクッションを入れている。冷やすことで取り込んだ脂肪分がチーズ内に残り、後に青カビの酵素の働きをもって分解され、ホロリと口の中でほどける組織を目指していくのだ。このワンクッションは上田さんの助言により編み出された独自の技術ともいえる。
型詰め後、塊となったチーズに塩をしてまた型に戻す。
一つ一つ重さが微妙に違うが、およそブルーチーズで2%、翡翠で2.8%ほどになるよう長年の勘で塩をまぶし数時間、浸透圧で一回り小さくなったチーズの塊。そして数日後、同じく固さや状態を確認してチーズに空気の通る穴を開けていく。
青カビは好気性の微生物、つまり空気のあるところで繁殖する小さな生き物だ。カットしたチーズの断面に花が咲くように青かびが広がっているのは、この穴あけ作業の賜物である。
一つ一つ、丁寧に。もう15年以上、青カビチーズに命を吹き込むこの穴を何千、いや何万回開けただろう。来る日も来る日も手で太めのキリのような道具を使い、すべてのブルーチーズに穴を開けながら、目指すはロックフォールのような口どけのブルー。長野県東御市からフランス南西部ロックフォール・シュール・シュールゾン村までは地球を半周先、すべてのロックフォールが時を待ち眠る、彼の地の天然自然の洞窟と交信するように、「№3塩川」と看板の掲げられた熟成庫にブルーチーズを仕舞い、熟成を待つ。
静かに、ゆっくりと青かびが広がっていく。見えない微生物という名の小さな巨人たちが青緑の模様を作る間に、塊がアミノ酸や脂肪酸のレベルまでに分解され、香りや味わいそして食感を形成してゆく。
ブルーチーズの構成要員は、乳、塩、微生物、レンネット、至極シンプル設計である。しかしこの青い小宇宙のような美しい物体には、ブルーチーズの「歴史」、アトリエ・ド・フロマージュ創業者松岡夫妻の「情熱」、恩師上田さんの「技」、そして塩川和史の「ストイック」もギュっと詰まっている。
10年ほど前、パーティー会場の壇上で「世には世界三大ブルーチーズと呼ばれるものがありますが、僕はその4番目のブルーチーズを作っていきたいという思いがあります」と塩川さんは言った。
2014年に「ブルーチーズ」がジャパンチーズアワードでグランプリを取り、2021年にワールドチーズアワードで「翡翠」が世界のトップ16になった後でも変わらず、「ブルーチーズにしか興味が無い」塩川さんのこれからやいかに。
7年、8年と経験を積んで育ってきた後輩たちを指導しながら、「どのチーズも日本のコンテストで金賞を取れるレベルで、コンスタントに作れるように後続が育った暁には、自分はブルーチーズだけに特化したい」という。
15種類ものチーズを生産するアトリエ・ド・フロマージュで、己の興味だけを貫く訳にはいかない企業の一員としての責任。4人のチーズ職人を束ね元日以外364日稼働する工房で、塩川さんは今日もロックフォールの夢を見ている。
100人のスタッフ、ほとんどが「作る人」という企業
アトリエ・ド・フロマージュ東御本店の扉を開け、一歩中に入る。所狭しとオリジナルグッズ、ナチュラルチーズに合わせたい食材と千曲川ワインバレーのワインも並ぶ店内に、冷蔵ショーケーズがずずいと並んでいる。
工房で作られたチーズを使ったスイーツ、冷凍で持ち帰ることのできる多種類のピザ、もちろん真ん中には塩川さんのブルーチーズも並ぶナチュラルチーズのメインショーケースがどん、と。奥のカフェではチーズなお料理もいただける。
例えばチーズ製造の産物「ホエイ」を飲んだ豚のソーセージをチーズフォンデュで、例えばその豚肉の塊肉をじわじわ焼き付けるところから、そしてルーから手作りの焼きチーズカレーを、例えば信州産スモークサーモンと塩川ブルーをサラダ仕立てで。
ナチュラルチーズ、ヨーグルト、ピザ、スイーツ、そしてチーズを使ったお料理は、フロマージュ牧場の母さん牛のミルクから生まれる。
100人のスタッフのうち、多くが「手を動かして生み出す人」というアトリエ・ド・フロマージュ、チーズ梱包室の作業スタッフ6名と聞けば、その作業量がうかがい知れる。
それでも、取締役営業本部長横田さん曰く「もっともっと色々作り出したいんですよ、地場野菜や食材を使ったチーズデリなんかも」と今後の楽しい野望を話してくださった。
手仕事で生まれるそれら「ミルクの美味しいを全部」長野県東御市から。
We‘ll make The Cheese World !
お話を聞いた人
「世界に羽ばたくブルーチーズを生み出す」
チーズ製造・熟成責任者 塩川和史さん(写真)
アトリエ・ド・フロマージュへ、ようこそ。
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取材担当・ライター プロフィール
大和田 百合香さん
サロン・ド・テ・チーズ王国本店勤務
⚪︎チーズプロフェッショナル
⚪︎ギルドデフロマジェアンテルナショナル ギャルドエジュレ
⚪︎シュヴァリエデュタストフロマージュ
故郷信州のチーズ工房さんの記事を主に担当させていただきます。
ヨーロッパのナチュラルチーズを扱う専門店に勤務しつつ、20年ほど日本のチーズ工房さんを勝手に応援する旅を続けて来ました。
その中で出会った沢山の人、家畜たちと風景、そして暮らしの中で生まれる土地土地のチーズたち。
私なりの精一杯の誠意を持って、チーズ工房の皆様の物語をお伝えして参りたいと思います。