何かが告げてる。
これは「そういう」ことだったんかもな、
って思うことありませんか?
スピリチュアル否定をするわけでもなんでもないんですけど、とりあえず私は何かを信仰したりそれを広めたいわけでもなんでもないことが前提で書いてますんで、そこのところどうぞよろしくお願いしますと言う長ったらしい前置きを書いてスタートしたいと思います。
膝が固まって歩けない一月、なんかよくわからんウイルスにかかって伏せった二月、体力気力全てを人間関係に使って気を病んだ三月、ギックリ腰した四月、5、6月珍しく何もなく今月ギックリ腰2回目。
私の不調には、人間関係やらその後の仕事の流れ、生活。なんかしらの「これってそういうことよな」がついて回るのですが、おやおやこれはどうしたものか、今年入ってからまともに活動できてる日数の方が少ない気がしてきました。
私のこと監視してる?と言わんばかりにバカスカ当たるしいたけ占いは今月「解放!」と書いてあったにも関わらず、月頭からギックリ腰です。
しいたけさんもこればっかりはアメリカンに首を横に振って大袈裟な「やれやれ」をしてくれそうですね。
私にとって数日間まともに動けないというのは、なかやまきんに君にささみとブロッコリーとプロテインを摂らずに減量してねと言うようなものです。
そのくらい私のメンタルに来ます。
何も楽しくない、楽しめない。義務しかこなせない毎日の中で、微かに残った「楽しい・嬉しい」と言う感情の残りっカスを火に焚べてチョロチョロとした火で生きています。
例年に比べて今年はとにかく体の自由がない年です。
何か、その中で生み出せと言われてる気がしてならないのです。
死ぬのが怖い話を先日noteに書きましたが、いつまでこの生活が続くのだろうという危機感と恐怖も常に付きまとう26歳です。
今の状況を打破しなきゃ、何かしなきゃと思えば思うほど体は動かなくなっていって、思考と恐怖のループに入るような日々です。
でも多分今年、何かを産まなければならないんだと思います。
こう言った状況下でも人を楽しませて、周りを安心させて、自分も豊かになるような何かを創り出せ。動けないなら動けないなりのことをしろ。
そう言われてる気がしてならないのです。
並行して考えるのは自分の価値の位置です。
私は私のことを高く見積もりすぎていないか。
普通ならもういいかな、と諦めるところで「私はこんなもんじゃない、まだできる!まだ何かやれる!」と価値を高く見積もりすぎているんじゃないかと感じています。
その結果が今の「何事もそこそこで、体が動かなくなる、気に病む」なんじゃないかなと。
でも考えてもよくわからないです。
自分の価値は自分で決めるものですし、今やれることが数年先にどうなってるのかすらわからないです。同世代が結婚していて子どもとハッピースペシャルウルトラピースフルライフを送ってても、同世代が起業して一丁前の稼ぎを得ていても、それは他人でしかないのです。
私の価値は私が決めます。
私がやれると思ったらやれます。
だからもっともっとあたまの隅の隅まで動かして、2024年の栗城は凄かったんだ、「これってそういうことだったよね」って思える年にするんです。
でもですね、こうしてnote書いてるってことはめちゃくちゃに気が落ちてるってことなんです。
頭の整理時間を兼ねているので、もうあたい、無理です!無理無理!勘弁してくだせえ!やめてくれ〜!!って時がこれを書いてる時間なんです。
休めと言われてもうまく休めない難しい性分ですから、数日内に届く歯軋り予防のスーパー大麦に思いを馳せて眠りにつきたいと思います。
食物繊維が全部解決してくれるって!
良かったね千鶴ちゃん。
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