「君の分まで精一杯生きたよ」と言えるように
「死」って、普段あまり考えないと思います。
でも、時々考えることで見えてくる大切なことがある。
そんな話を今日はしようと思います。
僕が24歳の時、中学時代からの親友がくも膜下出血で急に亡くなりました。
夜に出掛けていて鳴った電話。
連絡をくれた友達から報告を受けたことを覚えています。
「えっ、うそでしょ?」
報告を受けた僕は泣きながら運転をしました。
人は、大切な人を失って初めて気づくことがあります。
それまでの私は、全てが永遠に続くと思っていました。
明日も、来週も、来年も、当たり前のように続いていくと。
親友は、やりたいことの半分も叶えられなかったはず。
その日から、僕の中で死を意識をするようになり自分の時間、活動できる時間を考えました。
人生80年で考えると睡眠に27年、食事に10年、トイレに5年という時間が使われているそうです。
実際、自分が活動できる時間は38年だけ。
仕事、ビジネスの時間はもっと短い。
これを知った僕は
「今できることは、絶対に後回しにしない」
そう思いました。
これを読んでいる人にも、きっと後回しにしている夢があるのではないでしょうか?
「いつか」という言葉で先送りにしている想いが。
僕も以前は、
「まだ若いから」
「もう少し準備してから」
「今は忙しいから」
と、様々な理由をつけては夢を先延ばしにしていました。
でも、親友の死が教えてくれたのです。
その「いつか」が永遠に来ない可能性があることを。
今では、小さなことでも、やりたいと思ったらすぐに行動します。
新しい本を読むこと。
気になるカフェに行くこと。
会いたい人に連絡すること。
私は今日も、親友の分まで精一杯生きています。
彼が残してくれた大切な教訓として。
もし天国があって、もし会えたなら胸を張って、
「君の分まで精一杯生きたよ」
と伝えられるように。
人生は思っているより短いかもしれない。
でも、その分だけ濃く生きることができる。
そう信じて、今日も一歩を踏み出しています。