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父の日に

家族のカタチはいろいろ。
今日は父としての夫へ感謝の手紙を書きました。

実は小さい頃から「女は黙って男に三歩下がってついていけ」と父に育てられた私。
まさに昭和の夫婦像、
まあ、母がそうではなかったから娘の私に願いを託した父の言葉であったわけで。
でもそれは、家業が順調ではなく、
必死にならなければ食べていけなかったから
家族のために父とぶつかっていたのだと
今となってはわかるのだけれど。

いつも喧嘩ばかりで相手への不満、
そんな結婚なら絶対にするものかと思っていた。
ひとりで人に迷惑をかけずに生きてやる。

ところが社会に出てみると、人のために、
すべてをかけて仕事をする人が目の前に現れた。
自分のことより人のことなんて考えられない。
でも、一緒に仕事をするうちに、そんな姿勢に憧れ、「この人の力になりたい」と健気な私が現れた。
そうして2年後、
さだまさしの『関白宣言』を流して結婚式を挙げ
「不束者ですが、よろしくお願いします」と
三つ指ついてふたりの生活が始まった。

私は仕事を辞め、すぐに長女を授かって、
夫の毎年の異動について行き、
初めての育児にパンパン。
24時間、365日、
何かあれば呼び出しがかかる。
いろいろ頼りにされている事に、
ちょっとジェラシー。
私は家の中でひとり、誰にも評価されないのに。
でも仕事への姿勢を誰よりも尊敬しているから
どうすることもできなくて。
いっその事、相手が女性なら怒る事もできるのにと思ったくらい。

「家のことは私ひとりで全部引き受けます」と始まった結婚生活も、5年後には「私ひとりじゃ子育てできない」と夫の前でボロボロ泣く始末。
でもその時「仕事を誰よりも理解して応援してくれている事に甘えてきたね。立派な医者はたくさんいるけど、娘たちの父親は自分しかいない。一緒にこれからのことを考えよう。」とキャリアアップを捨てた夫。
嬉しさと、申し訳なさと、不甲斐無さと、
いろんな感情でいっぱいになって、
でも親として共に歩んでいきたいと、
生まれたての次女とわんわん泣いたのでした。
人生にはたくさんの岐路があって、
覚悟を決めて生きていくものなのですね。

それからの子育ても、
必死になりすぎる私への理解を示し、
まずは母としての私を労い感謝してくれる。
更に娘たちへのサポート。
「頑張り過ぎなくていいことを母が示せばいいよ」と言われて、
こんなにぐうたらな私ができました。
父としてのあなたがいなかったら
我が家の今はありません。
ふたりの娘は社会人になり
子育てを通して更に強くなった私は
せっかちにあなたの三歩前を歩くけど、
今も気持ちは、三つ指ついたあの日のままです。

だから今日は
日頃の感謝をちゃんと手紙で伝える日。

今日もごはんの後の洗い物、お願いします。

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