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ナースのお仕事
くたくた。今日も頑張った。
小児科は夏休みが繁忙期。
心臓エコー、脳波検査の予約はパンパンで
コロナ、RS、手足口病…感染も多く、
4つの診察室、2つの隔離室、発熱外来棟、
朝から夕方までフル回転で
問い合わせの電話もひっきりなし。
医師の指示で採血や注射に追われて
泣き叫ぶ子どもたちに針を刺す。
お昼は10分でお弁当をかき込むけど、
1日中、足を止める暇がない。
頭も足もパンパンで帰ると何もできず放心状態。
昔、3Kと言われた「キツイ、キタナイ、キラワレル」仕事に、結局今も携わっている。
ちょうど看護学生が実習に来ていて、
関わりながら感じる熱量の違い。
積極的に前に出る学生と、
周りをぐるっと見回して「やりたくないんだけどな」を匂わせる学生と。
指導教官の話では、自分の意思ではなく
親に言われて、仕方なく資格を取るために大学に通っている子が多いそう。
だから実習めんどくさいのよね、よくわかる。
私は昔、明らかに後者だった。
久しぶりに更衣室で会うスタッフに
「いつも笑って楽しそうに仕事してるからよっぽどこの仕事が好きなんだね」と言われたから
きっと学生にもそうだったとは思われていないと思うけど。
こうして振り返るのは
『自分で選んで良かったこと』とnoteにお題をもらったから。
その回答が『看護師になったこと』かなと思う。
正確にいうと、最初は選ぶしかなかった。
高校卒業後は自分で生きていかなければならなかったから、親の言うとおり、アルバイトをして学費を稼いで、資格を取るために学校に通った。
大学に行かせてもらえる裕福な家庭が羨ましくて妬ましくて。いわゆる青春時代はずっと不貞腐れていた。
21歳で卒業する年に公務員試験をを受けて県立病院に就職。血液、消化器内科に配属された。
朝、日勤帯の1時間前に来て点滴準備と物品補充をする先輩がいて、仕事を覚えないといけない新人が、それより遅く出勤するわけにはいかないと早くに出かけ、夕方救急車が入るとなれば居残りを申し出て帰りは何時になるかわからない。
24時間365日休みがない現場でとにかく働いた。
白血病の骨髄移植が立ち上がり、C型肝炎のインターフェロン治療が始まり、いつも病棟は満床で院内でも針を刺すことがいちばん多い部署だったと思う。休みにどこかに出かける体力など残っていなくてひたすら寝た。
4年働いて結婚退職、ふたりの娘を授かり10年後にパート職員として短時間契約で復帰。
処置室で11年間針を刺し続けて、娘たちにとって私は隙あらば寝ている人だったと思う。
思いがけず突然の小児科異動で7年目、自身の子育てを振り返りながらいろんなことを考える機会をもらうことになった。
私の家族にもいろんなことが起きて、親にとって、子はいつまでも子であることに変わりはなく、辛いことを代わってやりたいと思っても、そんなことなどできないわけで。
生きられるのは自分の人生だけ。
そう腹を括れた。
始めは嫌だった仕事に今も留まっているのは、
毎日命と向き合えて
どう生きたいかを考えている自分が常にいるからだと思う。
生まれた命はいつか終わりが来る。
だからそれをちゃんと受け止めて生きたいと思う。
その事実はみな平等で、誰かが特別なんてないし、
命に優劣なんてない。
そりゃ最近は、年齢を重ねて現れる身体の変化にがっかりして抗いたくなるけど、不老不死なんて逆に怖い。
経年変化で味わいを増す家具のように、
キズや凹みも愛したい。
こうでありたいとか、こうであるべきとか、
苦労を知らない人に負けたくないとか、
そういう力みが取っ払われたのは
きっとこの仕事のおかげ。
ストレスや悩みに潰されるなんてまっぴらごめん。
突然目の前に現れる思いがけない出来事も
「仕方ないな」と面白がるタフさを持って
ご機嫌スイッチを入れて日々を過ごすこと。
私の人生を肯定できるのは私だけ。
さて、
私自身が履歴書そのもの。
これから先を愉快に生きていくことを考えますか。