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noteを始めて

ここに投稿をしてみようと思ったのは
『THE TIME』で紹介されたのを見て。
誰かに手紙を書いたり、少し人前でお話ししたり
作文を書くことが昔から好きで、
Instagramを使ってはいますが
何となく居心地の悪さもあり
一緒にテレビを見ていた夫が、
意外にも「やってみたら」と言ったこともある気がします。

私は50代、
まだ携帯電話もなく、家には黒電話が一台で、
親が聞いている前でのやり取りだった上に
夜9時以降は、やり取りを禁止された
昭和の人間です。
社会人になった頃、
ポケットベルを持っている人が、
折り返し連絡をするために公衆電話を探す姿を
よく見ていました。
それから携帯電話が普及し
あれよあれよと生活は大きく変わりました。
今では東京にいる娘たちに会うために
飛行機もスマホからオンラインチェックイン、
電車に乗るためにアプリを起動させて時刻を調べ
Suicaでピッと改札を通ります。
ですが、スマホの機能を持て余し
使うのは電話、メール、LINE、
そしてInstagramくらいです。

Instagramは10年前に大学生になった長女が
始めたことがきっかけでした。
SNSを使って大丈夫か、
実際に自分が使ってみようと思ったのです。

始めた当初は人と繋がることが単純に楽しく
いいね!がつけば単純に嬉しく
家にひとりでも寂しくない感覚でした。
フォローをしていただくとフォローを返し
いいね!が届くと、いいね!をお返しする。
でも、
段々何をやってるのかなと疑問に思い始めます。

顔がわからないように
首から下の写真を撮る、それも違和感でした。
だって家族の笑った顔が好きなのに。
私の場合、
何もしなければ忘れてしまう何てことない日々を
ちゃんと覚えておくための手段で
懐かしく振り返られるアルバムのようなもの。
個人情報を意識して
撮りたいものに遠慮するなんて意味がない。
そもそも、
SNS上で公開するべきではなかったのかもしれないけれど、遠くのお知り合いの方の様子がわかり
ほっこりする嬉しさもありました。

また地方に暮らすと、
この中の情報を追いかけて皆が同じイベントに集い、またその様子をこの中で知ることに。
同じ場所にいたことでお知り合いになる感じ。
いや、でもお話ししたこともないし、
この中を覗く限りでは明らかに違うタイプ。
こうしてフォロワーの数が増えていく繋がりには
意味がないなと感じたのです。

でも、それはあくまでもプライベートアカウントであるからこそ。
ご商売をされる方にはとても大切なツールだし
広く知って頂かなければならないわけで、
ここでのビジネスチャンスは計り知れない。
私もそうしてお気に入りを見つけたことも
事実でした。

ただ、あまのじゃくな私は
自分の意思なしに人と同じところを向くことや
群れて行動することが嫌なだけ。
それに、もう私は新しいものを追いかけるより
今の大切なものとじっくり向き合いたい。
お休みの日には訪ねたいお店があるし
会いたい人がいる。
それで自分の時間は埋められるし、
何より、空っぽになる時間が大切。

スマホを見ている人の姿はあまり好きじゃないし
機械に振り回されるのは何だか悔しい。
人伝いに教えてもらったり、
本屋で雑誌を買って読んでみたり、
自分で歩きながら見つけたり、
そのくらいで十分かな。

そう思ってから、一度リセット。
フォロワーは夫を知っている方だけにして
プライベートを丸出しにして
自分で楽しむことにしました。

でも、
お仕事ベースの方と同じフィールドにいる違和感は
否めなかったのです。
温度差みたいなものを感じて。

ここに投稿してみて、
やっと心地よい居場所を見つけた感じ。
文章を書くのが好きという共通の括り。
ノウハウを読んで始めたわけではないから
ただツラツラと綴るだけだけど、

何だか楽しい!

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