【短編】カマキリ
私がエスカレーターを降りようとしていたとき、ちょうど一番下に夫婦が立っていた。
その夫の方がエスカレーターの降り口でしゃがみ込み、何かを拾おうとしていた。だが、妻がそれを止めた。それで夫は諦め、二人でその場を去っていった。
私はきっと夫がゴミを拾おうとしたのを、妻が「そんなことは清掃員に任せればいいし、怪我でもしたらどうするのか」と言って止めたのだろうと考えた。
私もエスカレーターに乗って下り始め、降り口に近づくと、確かに10㎝ほどの汚れたほこりの塊が目に入った。
「ずいぶんと心がけの良いひとだな」と思い、なんなら靴でそれを蹴飛ばしてしまおうと考えた。
段々と降り口に近づくにつれ、私は足を準備し、目標をもっとしっかり確認しようとした。
しかし、いざ蹴ろうとした瞬間、よく見るとそれはカマキリだった。
私は混乱した。
蹴ろうとしていた足の力を急いで緩め、今度は踏まないように注意を払わなければならなかった。
「なぜこんなところに?」と戸惑いながらも、慎重にカマキリを避け、無事に歩き出した。
その瞬間、先ほどの夫婦のやり取りの意味がようやく分かった。
少し後悔した。
なぜ私は、彼のように小さな命を助けようとはしなかったのか。
一方で、普段アリを避けて歩こうとする人はいないことにも思い至った。
命が大きければ大きいほど、そこに哀れみや価値を感じるのだろうか。
私はアリを踏まないように心掛けて生きてきた。
それは自慢ではない。
昔、アリより少し大きな虫を踏んでしまい、家に帰って靴を見たら半分潰れた虫がまだ動いていた。
それを見たとき、私は強い嫌悪感と罪悪感を覚えたからだ。
アリ自体には自我がなく、全体の機能の一部に過ぎないのかもしれない。
虫は単純な生命かもしれない。
しかし、それ以来、特にアリを踏まないように気をつけてきた。
それでも無意識に虫を殺しているだろうし、手を洗えば無数の菌を殺している。そもそも、食事をすること自体が命を奪う行為だ。
そうだ、カマキリだ。
ほこりのような色をして、10月の寒空の下、下りエスカレーターの降り口にそれでも凛として立っていたカマキリ。
誰かに踏まれてしまったのだろうか。
それとも、心優しい人によって移されたのか。
あるいは自分の足で別の場所へ歩いていったのだろうか。
私は今、後悔している。
そしてこれから、その結果を確かめに行こうと思う。