自分には何もないと思う夜に読む話
私がもしも優れた人間だったら、たくさんの人の為に行動するだろう。
能力や才能に恵まれ、自信がある人間だったら、これ以上幸せなことはない。
まず限界まで努力をしろという人がたくさんいる。
私はこう思う。
努力することができるかどうかさえも才能で、持って生まれた能力で決まるのではないかと。
負け犬の遠吠えだとか、逃げている人がいう言葉だとか、やってみてから言えだとか、そう思う人もいるだろう。
でも、こればっかりは、私のような人間にしか分からない。
やっても無理だと思うし、やろうと思えない。
すごい人には憧れるし、生まれた時から顔がいい人にも憧れる。
何か一つを極めることができる人にも憧れるし、多彩な人にも憧れる。
性格がすこぶる良い人にも憧れるし、性格がすこぶる良いフリができる人にも憧れる。
頭が良い人にも憧れるし、スポーツができる人にも憧れる。
人並みに全てできる人にも憧れるし、頑張れば成果が出る人にも憧れる。
キリがない。
でも、世の中の隅の方には、私のように何も持っていない人間がいる。
こんなことを言うと「そんなことないよ」と言ってくれる優しい人がいるが、あなたが私にとって憧れの対象である時点でその言葉は響かない。
性格すら終わっているのだと自分でも分かっている。
僻みと妬みと羨ましさと卑屈な自分と、色んな最悪なものに囲まれて毎日自分が嫌になる。
私には、何もない。
わたしのような同じ考えを持っている人の中には、人生がずっとどん底な人と、人生にずっと何もない人の2つのパターンがあると思う。
気がついたら最悪な状況で良いことはおろか絶望ばかりの人生。
何をやってもツイテなくて、何をやっても特に起こらない、低い所からなんの変化もないつまらなすぎる人生。
どちらも地獄だ。
これを読んでイライラした人は大層恵まれているのだと思う。羨ましい。
私は何もない。
本当に何もない。
まるで持っていない。
ずっとそうだ。
人並みですよ、と謙遜する人は本当の人並みじゃない。
極めて恵まれた、幸せな人達の中の人並みなのだから、勘違いしないでほしい。
そして、私みたいな人間がいるからこそ、貴方達は輝けるのだと分かって欲しい、けれど、分かられるのも癪だ。
何がしたいのか分からない。
何もできないから結局しない。
つまらないし楽しくない。
目覚めた後が怖いけれど、せめて夢の中くらい毎日幸せな自分でありますように。
とかいうちょっとした希望すら抱けるほどの余裕が私には最早ない。
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