今日もまた何もできずに夜がくる
何もしたくないくせに何もできずに一日を終えるときの失望に似た感情は何なのだろう。
「とにかく動き始めてみれば意外と楽しいよ」というのが世間の言説だが、それはほぼほぼその通りである。
少し散歩に行ってきたら?美味しいものでも食べに行かない?とりあえず着替えてみようよ。
最初のステップを踏み出すのがあまりにも重く苦しい。その憂鬱を越えた先に「やってよかった」と思うことは多々ある。しかし、「これだったら一日布団の中にいた方がマシだったな」と思うことも、たまにある。
心の健康値を0から100で表すとしたなら、何もせずに布団にくるまっているときは40くらいだ。生温い心地良さがある。しかしこの数値は時間が経つにつれて減衰していく。午前中はそれなりに心地良く過ごせるだろうが、夜には自責が止まらなくなり結局マイナスに転じてしまうだろう。
一方、何かをしようとするときの心の健康値には大きく変動がある。まず、布団から出て動き出そうとする瞬間、一気にマイナスまで落ちる。急に何もしたくなくなり、布団に戻りたくなってしまう。とても苦しい。しかしそこを乗り越えてしまえば、徐々に数値は上昇していく。上手くいけば70~80くらい。ただ、やってみても楽しさより疲れが勝ってしまうこともあり、そんなときは40くらいになる。
つまり、「何もしない」はノーコストマイナスリターンであり、「何かする」はハイコストハイリターンであるということだ。
普通に考えれば、マイナスリターンを選択することは不合理である。その日の夜死にたくなると分かっていながら一日何もしないのは合理的ではない。考えなしのただのバカだ。
しかし、それでも「何もしない」を選択してしまうのはなぜか?それはやっぱり、「何かする」を選択して、最初にガツンと心に負担がかかってしまうことに耐えられないからだろう。未来のことを計算に入れるのではなく、ただただ今苦しくなりたくない。そうして苦しくなるタイミングを先送りにして、未来の自分に押し付けるのだ。
そうして今日も不合理な選択をした。
今は15時46分、夕暮れが近い。緩やかに心が死んでいくのがわかる。