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ループする思考は花占いに似ている
例えば自分のミスで誰かに迷惑をかけてしまったとして、その場では「気にしないよ、次は困ったら頼ってね」と笑顔で言われたとして、
その言葉を100%信じ切ることができるだろうか?
わたしは、多分なかなか難しいと思う。
「他のみんなの目があるから優しく接してくれただけで、本当は許してくれていないのではないだろうか?」
「いやでも、人の親切な言葉をわたしは疑うのか?それこそ失礼ではないか?」
「でも、社交辞令を鵜呑みにしてまた頼ったら迷惑に思われるのではないか?」
「いやでもわたしが深読みしているだけなんだから、ただ単純に困ったら頼っていいんじゃないか?」
恐らくこうして肯定的な思考と否定的な思考がループしてしまうだろう。
こうなるとなかなか止まらない。答えがないからだ。
相手の感情や考えなど、到底他人が推し量って分かるものではない。いくら肯定的な思考と否定的な思考をループさせようが、客観的に正しい答えがどちらなのかは分からない。
だから、結局は自分が最後に考えた方が自分にとっての結論となるのだ。
これはなんだか、花占いに似ている。
「好き」「嫌い」「好き」「嫌い」「好き」「嫌い」
「好き」「嫌い」「好き」「嫌い」「好き」「嫌い」
花占いでは、最後にちぎった花びらの考えを100%の正解とみなし、それ以前の積み重ねをすべて捨象する。
「好き」の花びらと「嫌い」の花びらは同じくらいあったはずなのに、最後の一枚に選ばれた考え方が採択される。おもしろい。
花占いをしても相手の気持ちは分からないけど、自分の気持ちには大いに影響する。最後の一枚が「好き」なら何となく嬉しくなるし、「嫌い」なら悲しくなる。
ループする思考はこれに似ている。
最後に「肯定的な思考」で止めるか「否定的な思考」で止めるか、たったそれだけで自分の気分の持ちようが変わるのではないかと気がついた。
「きっと大丈夫」「でもダメかも」
「でもきっと大丈夫」「いややっぱりダメかも」
ここで、最後に「ダメかも」という思考で止めて結論づけてしまったら、それまでの肯定的な考えを全部なかったことにして落ち込んでしまうだろう。
それはどうにももったいない気がする。
ここで最後に「きっと大丈夫」と思えたなら、とっても気が楽になるんじゃないかな。だってどっちを結論に選んだとしても、相手の本当の考えなんて分かりやしないんだから。
ところで、今わたしには一つだけループしている思考がある。
わたしの大切な人に自分の弱いところを見せるか否か。
相手のことを信じているけど、いつか億劫に思われる日のことを考えると怖い。でも信じて話していたい。でも……
さて、明日のわたしは肯定的な思考と否定的な思考のどちらを「最後の一枚」に選ぶのだろうか。
せっかくなら、花占いの最後の一枚は「好き」の花びらで締めくくってみたほうがいいのかな、と思う。