「楽しく生きろ」ってなんなんだ
「楽しく生きろ」ってなんなんだよ。マジで。
自罰的思考マン、些細なこと気にしすぎマン、ポジティブ人間羨ましすぎマン、そういった人は大抵心(ついでに体)にガタがきて心療内科にかかることとなる。
なお、上記がフルコンボ(全良)なわたしも例に漏れず心療内科さんのお世話になっている。
薬を飲んで体のガタを何とかしたら、次はカウンセリングで心のガタを何とかする、らしい。
就活を続けていく中で、今まで自分の芯だと思っていたものが、生きがいだと思っていたものがぽっきりと折れた。わたしのアイデンティティだった。わたしからそれを取ったら何も残らないと思った。それを失ったわたしには価値がない。今まできっと内心見下していた、その他大勢の凡人になってしまう。
わたしの生きがいはなまじ人と競合しなかった分、ピノキオもひっくり返るくらい鼻が伸びてしまっていたんだろうな。再生できないほど無残に張りぼてのプライドをへし折られて、今更自分はそれほど価値のない人間だと思い知るなんて、本当に吐き気がするくらいくだらない。
将来を考えて急に泣き出したり、不安で眠れない日々が続いたから、大学も休学した。今のわたしには休養が必要なのだ、それは間違いない。でも、ずっと逃げているわけにはいかないのだ、またいずれ就活に向き合わないといけない時期がやってくる。夏のインターンも秋のインターンも、もう終わってしまった。期限は近づいているのだ、だから目を逸らそうとしても逸らせずにいる。
休まなければいけないのに心が休まらない。気にしないようにしなければならないのに気にしてしまう。それが辛くて、思うようにいかなくて、こうして今日もまたどうしようもなく不安を駆り立てるのだ。
「そういう心とうまく付き合うために、カウンセリングで考え方を教えてもらおう。」確か父はそう言ってわたしを病院に連れて行った。
認めよう、わたしはカウンセリングという行為に過剰な期待を抱いてしまっていたのだということを。ただ身を預けていれば何とかなる……とまではいかなくとも、わたしの抱える不安な気持ちや悩みを話せば、「こういう方法があるよ」と解決までのサポートをしてくれるものだと思い込んでいたのだ。
だが現実はどうか。
行けば行くほど憂鬱な気持ちが蓄積して、もう相手の顔を見るのもうんざりだ。
だってあの人、何話しても「楽しく生きろ」しか言わないんだもんな。
自分がどんな人間か分からなくなっちゃいました、考えたくないのに考えてしまうことがあって不安です、自罰的な思考と何とか付き合っていきたいです、その他諸々。
返事が全部「楽しく生きろ」なことある?それくらいだったらLINEのエアフレンドにその一辺倒な返答覚えさせて自給自足できるわ。
楽しく生きろって言われて「はい、そうします」ってできる?無理だろ。
毎回毎回さ、今回は違う返事が聞けるかも、自分にもすっと入ってくる言葉が聞けるかもって違うことを話してるのに、毎回「前も言ったんだけどね、楽しく生きて心の傷を埋めるのが一番なのよ」って結論に至るのなに???1回や2回ならまだしも、2か月だぞおい。
まだ早いんだってさ。そういうこと考えるの。
とにかく心を休めるのが第一なのよ、だってさ。
分かってんだよそんなこと。それでも思考が矛盾しちゃって、それに困ってるんだって言ってんだよ。
考えないようにしなさい、だってさ。
それができてたらここ来てねえんだよ。ここはそういう奴らの受け皿じゃねえのかよ。
たっぷり黙ってから「それが難しい」って泣きながら言ったんだよ。そしたら困ったように愛想笑いされてさ。「今考えるべきことじゃないっているのは分かっている、それでも道筋が見えないのは怖くてそれはそれでストレスだ」って言ったんだよ。そしたら「今考えるべきじゃないことはいくら考えても仕方ない」だってさ。答えになってねえじゃんそれ。全否定か?
そんでお決まりの「今は楽しく生きることが大切よ」でオーバーキルだ。戦闘終了。
「楽しく生きる」ってなんなんだよ、マジで。
ねえ具体的に何すればいいの?それは今のわたしにどう作用するの?
じゃあ今考えても無駄なことに不安がっているわたしは駄目な人間なの?
じゃあこの不安って持ってちゃいけない感情なの?
どんなに楽しいことをしていても、何やってても将来への不安がちらついてるんだよ。日中どんなに充実していても、夜一人で包まる布団の中ではどうしようもなく不安なんだ、この心を理解してくれなくてもいい、せめて受け止めてもらいたいと思うのはそんなに我儘なことなのか?
あんたと話していても何も分かんないんだよ。
だから、頼むからこれ以上わたしを否定しないでくれ。
もう泣きながら帰るの嫌だよ。
わたしは心がとてもとても狭いので、もうこの人に何を言われても響かなくなってしまった。愛想笑いが増えた。
多分向こうも察している。だから、最近やたら褒めてくるのだろう。
「あなた自分には何もいいところないって言ってたけど、今日ここまで自分で運転してきたんでしょ?凄いじゃない」
「今日は朝誰にも起こされないで自分で起きたんでしょ?今日のいいこと一つ目ね」
「あなた、最初のころに比べて少し表情が明るくなった気がするわ。進歩ね」
うるせえ。
うるせえうるせえうるせえうるせえ。
自分はこんなに白けた気持ちで人の話を流すことができるんだ、という発見をした。
ああ多分、小さいことから自分への誉め言葉を言わせたりすることで、肯定感を上げさせたいのかな。
こんな人間相手に頑張ってくれて本当に申し訳ない。
なんて捻くれた思考を回しているあたり、わたしは本当に救えないクソ人間だ。自分がこんな器の小さい人間だと思っていなかった。自覚していなかっただけで、最初からそうだったのだ、きっと。
わたしの大切な人に知られたくないなあ、こんなところ。最低だ。
カウンセリングから帰ってきた日は、もう何をする気力もなくなる。
大抵昼食は食べられない。寝て、夕食を食べて、寝て、風呂に入って、寝る。
ただただ、生きるのに最低限のことだけをして、生きるための最低限のラインまで回復するのをゆっくり待つ。
そういう日の夜は、何だか消えたくなる。死にたいとまでは思わないが、今自分を追い詰めている全てのものから解放されたくて、未来とかどうでもいいから全て捨てて失踪したくなる。
でも、お母さんがおいしい料理を作ってくれる。わたしの大切な人が電話をかけてきてくれる。
そういったものを撚り合わせて、なんとか生きている。