解きほぐし日記
今月は、私にとって怒涛の変化にもまれた月間だった。
10月、転職をして新しい会社で新たな生活が始まった。
そう考えると、なんだかんだ9月の退職準備から始まり、有給消化期間の海外羽伸ばし旅を経て、ここ最近はあまりふうっと息をつくタイミングもあまりなかったような気がする。
だから今、少しふうっと息を吐き出す時間を取る。
転職をしてから、いろんな人と出会い、話し、とにかくNEWなものばかりだった。
フルフルリモートから週3出社になって、
しかも勤務地は私が東京の中で3大行きたくない都市の一つ渋谷になって、
ヒールを履く機会が増えて、
仕事で使うPCもツールも制度も仕組みもルールも全てが変わって、
周りにいる人たちがまるっと総入れ替えになって、
これまであまり同じコミュニティに属さなかったような人たちが増えて、
だいぶドライな職場環境からわりかしウェットな職場になって、
いろんな事情ありな人間関係にもまれて、
・・・
自然淘汰で真っ先に絶滅してしまいそうなほどに変化に弱すぎる私は、これらの変化を最初は恐れていたけど、でも、なんだかんだその変化を新鮮みのある刺激とも捉えて楽しんでる自分もいて。
ちょっとずつかもしれないけど、過去のへぼへぼな私に比べたら、だいぶ成長したな、なんて思ったりもして。
でも、思ったより楽しめてるし上出来だ!とは思うものの、ここ最近は新しい人間関係の中で棘をくらう頻度も圧倒的に多くなったなとも感じていて。
言葉の棘に、心臓が跳ねて一瞬自分が破裂したような衝撃を受ける、あの痛み。破壊的な衝撃波を食らって一瞬気絶するような、あの痛みが、最近多い気がする。
とも思っていた。
転職先の人たちはものすごくいい人たちばかりだけど、
クライアントが悪き日本の風習を存分に受け継いだ縦社会な会社で、強制・縛り付け・束縛・支配、みたいな言葉ばかりが浮かぶ環境で仕事するようになって、
人の怖い部分やダークな部分を目の当たりにして嫌になってさ。
なんだかなあ、もっと自由奔放で優しくて穏やかで平和な世界線はないのかなあってユートピアを夢みたりして。
そんなこんなで、金曜の仕事を平和に終わろうとした矢先、また支配の槍が突き刺さってきて。今日は波風たってなかったのに、暗転して終わるなんて。
もう泣きたいよ。
でもなかなかこういう時って泣けない。
心がぎこちなくなっててね。
YouTubeで「心が疲れた時」って検索して、お坊さんのチャンネルをぼーっと聴いて。涅槃。心が揺れ動くことがない無の世界です、言ってみれば死んだ時のようなものですって涅槃の説明を聴いていて。その涅槃は皆が体験していて、それが睡眠なんです、と話していて。
死んだら二度と目が覚めることがないけれども、睡眠はまたこの世界に戻ってくることができる、つまり生まれ変わることができるのだよって。
たまーに、鬱とかじゃなく、死んだら楽なんだろうなーって思う時は正直ある。ただそれをいいなあって夢見る時がある。
だって何もなくなるんだもん。棘を食らうこともないし、人の怖い部分に怯えることもないし、仮面を被って自分を無意識に押し殺して社会の中で必死に生きる必要もないし。
しーんとした世界、つまりは私が望むユートピアが、死の世界なんだもの。
でも、睡眠は確かに言ってみれば死んだ世界だよな、睡眠ってそう思うとだいぶ素敵なものだなってちょっと納得して。そして、お坊さんのリラクゼーションボイスにちょっと心が落ち着いて、ふと体を動かしたくなって、外に走りに出て。
森林公園まで全速力で走って。
でもまた帰り道、夜の細道で、視界が虚に見えてくる。人がみないじわるで自分勝手で他人のことを思いやらない人たちばかりに見える。
その時ふと自分がいかに歪んだ主観で物事を見てることをメタ認知して。
頭をぶんぶん振り回して自分のひんまがった主観を取っ払って。ちなみに、嫌な思考が頭を支配してたまらない時、脳震盪を起こすくらい頭を振り回すのは、案外本当に効果があると思っている。本当に脳の外に飛んでいくような気がする。
でもなんだか吐き出しきれないもどかしさを感じながら家について、いつも後回しにしていた郵便ポストの整理をしていたら、ポスティングに塗れて埋もれていたポストカードがあった。
私の中学の時の恩師からのものだった。
日付は6/6。なんてことをしてしまったんだと私は自分に呆れかける。
でも、そのポストカードは、私のぎこちなくなっていた心をほろっと解いてくれて。
涙がたくさん出た。
優しい言葉ばかりだった。それしかなかった。棘とは真逆の言葉たち。
励ましの言葉があったわけでもない。
本当にたわいない会話のような言葉たちが並んでいるだけのポストカード。
でもなぜか、それが私にはものすごく救いの言葉のように思えた。
こういう時、大好きな人からの想いを受け取る時、言葉にならない喜びを感じるんだ。この喜びこそが、私を生かしてくれるもの。
私はこういう喜びを噛み締める時、生きることも悪くないって思う。
そして、まさに、涙を流すきっかけを探していたような日にこのポストカードを見つけたことにも、何かの縁起を感じた。
まるで今日、どこかの天使がこのポストカードを私に届けてくれたような、そんな気持ちになった。
シャワーを浴びながら、たくさん泣いた。
でもとことん泣いてしまえば、案外けろっとした。
そして、ちゃんと解決策を考えよう!と気持ちを切り替えられる自分がいた。昔の自分だったらこの気持ちの切り替えなんて絶対有り得なかったのに。強くなったなあ、と自分の変化にあっぱれである。
あと、手紙っていいよなあ。
一瞬でデジタルで人と繋がれる時代だけど、私はこのアナログなコミュニケーションが好き。すごく好き。私はやっぱりコミュニケーションはアナログでしたい人間なんだって確信するほどに。
私も今度、絵葉書書こう。