「チー牛文学」東北編 第4話 尚也(福島県郡山市出身)

「ワーママなんて、ブランドバッグやタワマンを買うために子供を保育園なんかに預けて働いてるんだろ?それよりテメーの子供に向き合えよ!」
「キラキラワーママが子供を放置する保育園に俺の払った税金が使われる?ふざけんな!」
「アタシの自己実現?それよりテメーの子供の未来を考えろよ!」
──こんな風に思いの丈をツイートしていると、どんどんいいねRTが来た。
ほとんどは意見を共有できるFFさんの肯定的な意見。
一部、ボケワーママとフェミに染まったホモみたいな、嫁に働かせる甲斐性のない男からの気持ち悪い反論。
もちろん、気持ち悪い奴は見かけ次第、即ブロック。ざまあみろ。

東京都葛飾区内の賃貸アパートの一室に住み始めて、来年で7年になる。
今年で築40年超。金町駅徒歩10分、鉄筋造。
1K6畳、3点ユニット。
管理費共益費込で家賃5万円。
壁が薄く、今みたいな冬の時期は死ぬほど寒い。
ボロボロの独身寮を嫌ってできる限り家賃が安いところを探し、ここになった。
結婚するにはカネが要ると思い、貯金と投資のため家賃を抑えていたが、33歳となった今も未婚のまま。
文科省官僚として係長まで昇格し、月平均60時間の残業をこなして昨年の年収は900万円弱。
資産総額は4000万円弱。
なのに女性からろくに見向きもされない。
もう結婚は諦めている。

最近腹が立つことは3つ。
1つ目は隣に去年引っ越してきた大学生が彼女を連れ込み、セックスをするせいでうるさくて、夜眠れないこと。
しかもそいつ自身は冴えないツラのくせに、彼女はそこそこ可愛いときやがる。ふざけんな。
2つ目は最近結婚した周りの連中が、皆嫁を働かせていること。
普通は結婚したら、嫁さんには仕事を辞めさせてやるものだろ?
しかもどの嫁も早稲田だのお茶女だの横国だの、無駄に高学歴なキャリアウーマン。
女なんて知恵をつけてもウザいだけ。
女子大を出て事務職くらいでちょうどいい。
3つ目は医学部を出て医者になったサークルの同期が億り人になったこと。
しかも女医の嫁と、あの気色悪い「ペアローン」で買った東京都港区のタワーマンションの売却益。
医者にもなって嫁を働かせて、恥ずかしくないのか?
それで俺より資産があるなんて許せないと思った。
お前の稼ぎは何のためなんだ?
どいつもこいつも腹が立つ。
俺の方がよっぽど甲斐性があるのに。

生まれも育ちも福島県郡山市。
親父、尚一は福島高専を卒業後、山形大学の工学部を経てJR東日本に就職し、郡山の車両基地で朝も夜もなく働いていた。
母親──そんな風に思ったこともない、アイツで良い──、京子は親父と同じく福島高専を卒業して山形大学工学部に進み、何を思ったか大学院まで進学し、地元の工業試験場に就職して俺を産んだ後、東北大で博士号なんか取得して、福島県内にキャンパスを持つ大学の研究員になった。

アイツは母親失格だった。
アイツにとって重要なのは俺ではなくて、自分の研究者としてのキャリアだった。
アイツの毎日のルーティンはこうだ。
朝、車で俺を郡山市内の保育園に放り出し、そのまま職場に向かう。
夕方、親父の夜勤がない日はそのまま親父が車で迎えに来る。
親父が夜勤の日は一度車で保育園まで俺を迎えに来ると、近所の自分の実家に放り出し、そのまま大学に戻って研究を続ける。
結局、俺はほとんどばあちゃんに育てられた。
アイツは幼稚園や小学校の参観日にもろくに来ない。
たまに来ても容姿にろくに気を遣わなかったりして、子供心に恥ずかしかった。
そのせいで冷やかされたりもした。

小3くらいから露骨にいじめられるようになった。
理由は全部アイツのせい。
参観日にアイツが来ないこと。
たまに来ても変な服を着ていること。
アイツのチビが遺伝して、俺もチビなこと。
アイツの変なこだわりで、ゲームボーイを持たせてもらえないこと。
アイツに学校でいじめられていると訴えると、親父と相談した上で小4から転校させられることになった。
アイツの職場にほど近く、学区の評判が良い開成に引っ越した。
もちろん、俺が求めていたのはそういうことではなかった。
転校先はヤンキー予備軍の小学生だらけの郡山ではまだ落ち着いた学校で、解決方法の是非はともかく、いじめはなくなった。

転校からほどなくして、アイツは東京にある大学にポストを得て、上京することが決まった。
それを知った父方のじいちゃんばあちゃんは当然激怒し、2人を半ば無理やり離婚させた。
もっとも、今思えば、親父はアイツを愛していたけれど、アイツから見れば親父はきっと、研究者として独り立ちできなかったときのための保険。
もはや用なしで、むしろ離婚させてくれて嬉しかったぐらいだろう。
離婚後、親父はいわきから実の両親を郡山の自宅の近くに呼び寄せ、実質4人での生活が始まった。
このおかげで父方のじいちゃんばあちゃんが死なずに済んだことは、唯一アイツに感謝していいことかもしれない。

中学はとにかく大人しく過ごした。
幸い、地元の公立中は郡山の中ではトップクラスにまともだった。
チビの運動音痴だったから卓球部くらいしか入れる運動部がなく、卓球部に入った。
中1の総合の授業で、将来就きたい仕事を考えろと言われた。
アイツに勝てる職業に就きたいと思い、担任に大学の研究者よりすごい仕事って何?と質問したら、福島県知事と言われた。
そこで初めて、アイツがとんでもない存在だということに気づいた。
──とはいえ、母親失格もいいところだが。
さらに色々な大人に聞いた結果、医者か弁護士か官僚なら大学の研究者に恥じない仕事だということがわかった。
それなら医者を目指そうと思い、とにかくアイツに勝てる学歴と職歴を身につけてやりたくて、必死に勉強した。

中1の2月、親父が再婚した。
8歳年下、33歳で同じバツイチの七海。
大手生命保険会社で生保レディをやっていたが、結婚に伴い辞めた。
子供は俺の一つ下の娘、夏海が一人。
七海はアイツと違って商業高校卒で学はなかったが、歳の割には美人で、甲斐甲斐しく家事をやってくれる。
当然、学歴で他人を見下すこともない。
やっぱり女はこうでなきゃダメだと思った。
ただ、地元の公立でもカースト上位に属する夏海とは馬が合わなくて、見下されている感じが否めず、腹が立つことも多かった。

その年の夏、七海は親父の子を妊娠した。
さすがにその頃は一通り知っていたから、やっぱりまだまだ若くて綺麗な女と結婚したら、子供を産ませたくなるのが男の性なんだと思った。
15歳も年下の弟、大誠を持つことになった。
俺も夏海も交代で大誠の面倒を見た。
今だったら「ヤングケアラー」呼ばわりか?馬鹿らしい。

高校は県内でも三本の指に入る公立高校に進学した。
そこでまた卓球部に入った。
郡山周辺から秀才が集まってくる高校で、みんな勉強ができるだけでなく、人としても優秀な奴ばっかりだった。
勉強しかできない運動音痴のチビは自分だけ。
劣等感を埋めるためにとにかく勉強に打ち込んだ。
医者になれれば、こんな劣等感も持たなくて済むはずだと思っていた。

頑張って勉強はしたが、結局医学部には行けなかった。
秋田大学医学部医学科に前期日程で落ちて、名古屋市立大学医学部医学科の中期日程にも落ちた。
後期日程で就職がいいから、と担任に勧められるがままに受けた北海道大学工学部、機械知能工学科に合格した。
浪人しようかとも思ったが、もともと医者に本気でなりたかったわけではなかった。
少なくとも高校と大学の学歴ではアイツに勝てたんだから、あとは大学に進学してから考えれば良いと思い、北大進学を決めた。

彼女を作ってみたかったが、北大の無駄に知恵をつけた女とは関わりたくなくて、男子が北大、女子が藤女子のインカレ料理サークルに入った。
薄々予想はしていたが、全くモテなかった。
それどころか、女子からはほとんどいないものとして扱われた。
医学部医学科の同期で、神奈川の聖光学院から来た勝俣陽平と、大阪の北野から来た岡本龍太が都会から来た医学部生ともてはやされ、美味しいところはほとんど持って行ってしまった。
やっぱり医学部に行くべきだったかと後悔した。
俺が片思いしていた1つ下の後輩、藤女子大の松浦ありさも岡本のセフレになってしまって、涙を呑んだ。
結局4年間で彼女はおろか、女と2人で遊びに行くことすらなかった。
誰もやりたがらないサークルの会計だけ3年間やらされた。

大学1年の春休み。
2011年3月11日──東日本大震災。
郡山は大きな人的、物理的な被害を受けたが、それ以上に放射線による汚染が騒がれるようになった。
まず一番に大誠の身を案じたが、札幌からはどうすることもできなかった。

学業は順調だった。
3年次を終えて首席を取り、大学院入試を推薦で受けられることになった。
研究者になってアイツに勝つ方法を考えた結果、これから未来がありそうなMEMSの研究室に入ることにした。

配属後、研究は順調に進んだ。
卒論発表を終えた後、研究室のボスに博士進学を考えていることを打ち明けると、快く賛成してくれた。
君ならきっと博士号を取得して活躍できる、と褒めてくれて、嬉しかった。
──まともに誰かに褒めてもらったのはいつぶりだろう?
──アイツに褒めてもらったことなんてあったっけ?
ふとそんなことを思った。

大学院に進学した年の6月、郡山女子大に通っていた夏海がいわきの病院に栄養士として就職すると聞かされた。
正直どうでもよかったが、おめでとう、医者と早く結婚して親父に孫を見せてやれ、とだけ返すと、きょとんとした顔をしていた。
少なくとも自分は生涯未婚になりそうだから。

その年の夏、俺は学会に出席するために名古屋にいた。
会場で偶然見かけた小柄な中年女性の顔に見覚えがあった。
──アイツ──京子だ。
本能的に悟り、膝ががくがくした。
13年ぶりの予期せぬ、望まぬ再会。
一生顔なんて見たくないと思っていたのに。
すぐに発表者一覧からアイツの名前を探した。
──名古屋大学大学院教授……嘘だろ?
アイツが、あの学部は山形大しか出ていない京子が、旧帝大の教授?
どんな手を使ったんだ?
すぐに業績を検索した。
そしてわかったことは、京子が材料工学のとある分野で国内トップクラスの業績を誇り、著書も複数出している極めて優秀な研究者ということだった。
素直にすごいと思う反面、俺を育児放棄して積み重ねた業績、と思うと、はらわたが煮えくり返るような思いだった。

その日、俺は研究者を目指すことを辞めた。
何故かって?アイツに研究者として到底勝てる気がしなかったから。
同じ土俵に乗りたくなかった。
医者か弁護士か官僚なら大学の研究者に恥じない仕事。
大昔にそう教わったのを思い出し、俺は官僚を目指すことにした。
それに、文科省の官僚になって研究予算の配分を握る側になれば、アイツに勝てるような気もしていた。
研究室のボスに、やっぱり博士課程には進まず、官僚になって日本の研究者の待遇を改善したい、とそれらしいことを伝えた。
ボスは残念そうな顔をした。
「そうか…」
「でも、私は君の意思を尊重する、これは当然のことだ」
「もし、やっぱりまた研究者を目指したくなるようなことがあれば…いつでも帰ってきてくれ」
そう言うとボスは俺の目をみてうなずいた。
こんなに出来た大人に会うのは、人生で初めてだった。

研究や学会発表とその準備に並行して国総の勉強をした。
1日4時間寝られないことも多々あり、官僚になってからよりも忙しい日々が続いた。
11月の終わり、髪を切るのが面倒になって肩まで伸ばしていたのと、チビなせいで札幌駅でナンパされた。
マフラーを下げて男ですが、と答えると、ただのチビのカマホモかよ、と罵られ、唾をかけられた。
社会の底辺みたいな奴がよくも俺に唾をかけたな、と思ったが、忙しすぎて本気で腹を立てる気力すらわかなかった。
その翌日、散髪に行って坊主にしてもらった。
少し頭がすうすうしたけれど、目がしゃっきりしてちょうどいいと思った。
研究室の同期にはあまりの落差に笑われたが、「前よりは良い」という評価をもらった。
「冷却性能が上がって、頭がますます冴えんじゃねえの」
自動車部所属の同期、片瀬優馬は俺の頭を一目見ると、そう言って笑った。

M2の夏、無事文部科学省から内定を得た。
家族より先にボスに報告すると、とても喜んでくれた。
「君にはぜひ研究の道を歩んでほしかったけれど、どこに行っても君くらい頭が良ければ、きっと世のため人のために活躍できるさ」
ボスはそう言うと、俺の肩をぽんぽん、と叩いて去っていった。

内定者懇親会に行き、少し場違いなところに来てしまったと痛感した。
周りは意識も高く、掲げる理想も高く、物知りで育ちの良さそうなエリートばかり。
俺だって東北の田舎では十分裕福な方だったが、レベルが違う。
しかも皆俺と違って人当たりも良い。
どうして俺は内定を貰えたんだろうと思った。
「杉本くん、名大の西川京子先生に似てるけど、もしかしてご親戚?」
同期の京大院生、楠本傑に唐突にそう聞かれたときは、さすがに心臓が口から飛び出すかと思った。
「うーん、知らない人だな」
やや不愛想にそう答えると、楠本は申し訳なさそうにそうだよね、ごめんね、と返された。
申し訳ないことをしたと思った。
楠本は何もおかしいことは言っていないのだから。

2月末に修論発表を終えた。
その日は研究室のメンバーと朝まで札幌で飲み明かし、風邪をひいた。
3月半ばに2回目の学会発表として、カナダまで行って国際学会で発表して、無事研究生活を終えた。
なんとなく寂しい気もしたが、自分で決めたことだなら仕方ない。
修了式の日はボスに3年間のお礼を言い、研究室のメンバーとまた朝まで飲み、その日の昼便に乗って中学の修学旅行以来の東京に降り立った。
酔ったまま飛行機に乗ったせいで吐き気がひどく、頭がガンガンした。
割り当てられた宿舎は噂に聞いていた通りオンボロで、さして頓着しない自分ですら流石に嫌になるレベルだった。
いつでも出て行けるように私物はなるべく置かず、風呂は近所の銭湯を使うことにした。

初任は大学や研究機関の設備政策を担う部署で、日本中をあちこち飛び回って忙しかった。
3年目に異動して出張の少ない部署になると、さすがに官舎の汚さに耐えられなくなり、引っ越したのが現居になる。
当時は真剣に結婚したいと考えていて、極力浪費しないようにできる限り家賃が安いところを選んだ。
結婚したいと思い始めたのは引っ越す1年前の秋、たまたま札幌に行く機会があり、ボスに久しぶりに挨拶に行ったときのことだった。
M2の修了式以来、約2年ぶりに会ったボスから彼女の有無を聞かれ、いないと答えると、彼女を作って結婚することを勧められた。
「やっぱり一人で生きてても張り合いがないからな」
「結婚して自分を支えてくれる奥さんを持って、子供も持ってこそ仕事を頑張れるってやつだよ」
そう言うと、ボスは机に飾った家族写真の方を見た。

──ああ、結婚か。
ボスと別れて新千歳空港に向かう快速エアポートの中、結婚という言葉が頭の中でぐるぐるしていた。
ちょうどその年のゴールデンウィーク、夏海の結婚式に出席したばかりだった。
高校の同級生と結婚し、幸福の絶頂、と言わんばかりの満面の笑みで招待客に手を振る夏海のことを思い出した。

同じ頃、サークルや研究室の同期の結婚ラッシュも始まっていた。
例えば、サークルの同期だった勝俣陽平は内科医になり、同じ病院に勤める女医と結婚して共働き。
研究室の同期だった片瀬優馬は愛知の自動車メーカーで技術職として働き、専業主婦の奥さんと結婚。
文科省の同期の楠本傑は原子力政策の部署に配属され、1つ下の同期と職場結婚して共働き。
その他にも誰々が結婚した、という噂や情報がどんどん流れてきた。
ほとんどは共働きと聞き、アイツのことをまた思い出した。
もし自分が結婚するとして、専業主婦になってくれる女性じゃないと絶対に嫌だと思った。

──結婚するなら、貞淑で質素で、身の丈に合わせた生活ができて、家事と子育てをしっかりこなせる、夫を立てられる、良妻賢母の専業主婦をやってくれる女性。
アイツみたいに育児放棄して仕事に熱中し、旦那を蔑ろにして家事も押し付けるような"バリキャリ"だけは絶対に嫌だった。
とはいえ、いくら専業主婦志望であっても、単に仕事から逃げたいだけで、家事や育児をしっかりやりたいわけでもない女や、浪費好きそうな女もお断りだと思った。
世間ではマッチングアプリが流行りだしていたが、自分には向かないと思って結婚相談所に行き、希望の条件を伝えると、渋い顔をされた。

「杉本様は現在28歳で年収680万円見込みとのことでして、決して低い年収ではないのですが…」
「専業主婦を望まれる女性は、年収1000万円は最低でも必要と考えてらっしゃることが多いです」
アドバイザーの女性はそう言うと、取り繕うための笑顔を作ってみせた。
1000万円か、と思った。
たぶんこのまま官僚を続けて順調に昇進して、届くとしても40手前くらいだろう。
「とはいえ、そうではない女性がいらっしゃらないというわけではないですよね?なんなら、子供ができたら仕事は辞める、でも構わないです」
「奥様には家庭に入ることを強く望まれるということですね?」
「そうです」
「わかりました、では一緒に見ていきましょう」
そう言うと、アドバイザーは俺にお見合い候補の並んだ画面を見せた。

結論から言うと、28歳のときと30歳のときに計2回、合計1年半ほど結婚相談所に通ってみたものの、結婚はできなかった。
何よりアイツ譲りの低身長で、男なのに身長が161cmしかない時点で相当不利だった。
それでもたまにお見合いを組むことはできたが、家事や育児を頑張りたいというより、ただ仕事が嫌で、親代わりに養ってくれる男や贅沢させてくれる男を探しているような、精神年齢がガキのままの女しかいなかった。
無駄に知恵がついた女は嫌いだが、精神年齢がガキのままの女はそれと同じくらい嫌いだった。

──今どきはむしろ良妻賢母系の女性ほど、キャリアも築いて、旦那さんと共家事共育児、という方が増えてきていますね。
ちょっと旦那さんの稼ぎが良いくらいでは、専業主婦になっても今は生活を切り詰めさせられるばかりで大変ですからね。
経営者さんや外銀マンさん、あとはお医者様なんかは専業主婦の奥さんを持っても生活を切り詰めさせられることなんてないでしょうし、そもそも専業主婦じゃないととてもやっていけないでしょうけれどね。
そういうわけですから、杉本さんも共働きして共家事共育児、という女性にも目を向けてみるといいかもしれませんよ。
うまくいかず悩んでいると、そんなことをアドバイザーに言われた。
専業主婦は稼げる勝ち組の男に見初められた勝ち組で、専業主婦の妻を持つことは今や勝ち組の男にだけ許された特権なんだと思った。
それならもう結婚は諦めて独身を貫こう、と決め、相談所を辞めた。

アイツが東京で再婚して40歳で俺の妹にあたる子供を産んでいたこと、東京の有名私大の教授に転任して専攻長にまでなっていること、そして文科省が推し進める女性研究者活躍推進プロジェクトの委員を務めていることを知ったのは昨年の5月、職場でたまたま女性活躍推進のリーフレットを目にした時だった。
口から心臓が飛び出しそうになった。
"私が子供を産んだ頃はまだまだ女性研究者に対する理解がなく"だとか言い訳が書き連ねられていたが、旧帝大や有名私大の教授を歴任し、デカい顔をして女性活躍推進の委員を務めるまでに至ったアイツの初期の業績の多くは、結局は俺を育児放棄し、最後は郡山に投げ捨てて得たもの。
結局東京で産んだ俺の妹も保育園を駆使、と言葉をごまかした育児放棄。
元々内心バカバカしいと思っていた"女性活躍推進"のワードに対し、一気に憎しみすら感じるようになった。
こんな茶番を推し進める文科省で、俺はいつまで働くんだ?
一刻も早くこんなところ辞めてやりたい。
FIRE。
以前どこかで目にした言葉が頭に浮かんだ。

幸いにして結婚資金として、貯金と投資で既に3000万円ほど作っていた。
どうせ部長以上にはなれないだろうし、官僚の世界では早ければ45歳頃には""肩叩き"、つまり退職勧奨が出る。
それまでに1億以上作って、退職勧奨が出たところで退職して退職金をもらって、あとは一人でゆるゆる暮らせばいい。
そんなことを考えるようになった。
元々官僚になったのも、大志があったわけでもない。
"女性活躍推進枠"として周りからお膳立てされ、下駄を履かされて出世コースを歩むアイツに勝ち目もなく、何かを頑張る気力も尽きていた。
もうそんなもんでいいだろ。
次第に投げやりになりつつあった。

Twitterアカウントを作ったのはちょうどその頃だった。
「国家公務員の本音」という名目で、女性活躍推進の欺瞞ぶり、共働き社会への警鐘、長時間保育への危機感、専業主婦の素晴らしさ、行き過ぎた欧米追従への危機感、古き良き時代への回帰、FIRE願望、なんかをメインテーマにツイートを重ねていると、知らないうちにどんどんフォロワーが増えていった。
自分の意見に共鳴してくれる人がこんなにたくさんいる。
そう思うと嬉しくなり、のめりこんでいった。

Twitterアカウントのフォロワーが1000人を超えようとしていた7月末のある日。
その日も残業して夜22時頃に自宅に戻り、簡単な夕食をとった。
シャワーを浴び、就寝準備を始めたところで、隣の部屋から女のものらしき声が聞こえた。
金町は理科大があり、学生の街でもある。
俺の住まうアパートの住人もほとんどが理科大生だ。
その年の春まで隣に住んでいた理科大生は一度も女を連れ込むことがなかったが、どうやらこいつは違うようだった。
ベッドに横たわり、睡眠態勢に入ったところで予期していた最悪の出来事が起きた。
──あいつら、セックスしてやがる。
隣の部屋から漏れ聞こえる泣き叫ぶような喘ぎ声を聴き、そう直感した。
目をつぶり、眠りにつこうとしたが、喘ぎ声が耳について寝られない。
結局夜中12時半頃まで二人はセックスを楽しんだ。
二人が静かになってからも、あの泣き叫ぶような喘ぎ声が思い出されて、なかなか眠りにつけなかった。
翌朝いつも通り6時に目が覚めた時、前日の疲れは全く取れていなかった。

その日以来、隣の部屋の学生は週に数回は彼女を連れ込み、セックスをするようになった。
休みの日はほぼ確定で、ひどいと朝っぱらや真昼間からあの喘ぎ声が漏れ聞こえる。
こちらは休みたいのに、とんだ近所迷惑。
とはいえいい歳してこんな学生向けのボロアパートに住んでいる手前、文句を言うわけにもいかない。
次第にやり過ごすことも覚え、声が聞こえていても眠れるようになった。
とはいえ、薄らとした怒りと、女体への羨望の感情は心の奥にしまい込みきれるものではなかった。

10月になり、人生で初めてマッチングアプリを始めた。
もう結婚は諦めていて、ただ人肌恋しかったのと、童貞のまま死にたくないと思っただけだった。
セックスさえできれば誰でもいいと思って、いかにもビッチっぽい女にばかりいいねを押していたら釣れたのがリカだった。
地元の高校を中退して、今は実家で暮らしながらフリーターをやっているという。
松戸住まいのいかにもメンヘラ臭い女。28歳。
上野駅の改札前で待ち合わせると、白Tシャツに黒いパーカー、太もも丈の赤黒チェックスカートに黒ニーソックス、スニーカー、という年齢に不相応な出で立ちで現れた。

予想通りアプリの写真は加工に加工を重ねていて、実物はとても似ても似つかぬ顔。
おまけに想像の1.25倍ほど太っていて、ほのかに臭い。さらに生臭い口臭もする。
帰りたい気持ちになったが、行きましょう、と言われて手を握られると悪くない気持ちになった。
リカの口臭を気にしなくていいように喫茶店に入り、香りの強いコーヒーを飲んだ。
リカはメロンソーダを頼み、チューチューとストローで吸いながら、ひたすら自分の身の上話と愚痴を話した。
内心バカバカしいと思いながら適当に相槌を打った。
その後上野公園を一通り歩き、不忍池の前に出たところでラブホテルが現れた。
それを見つけたリカが俺の方を見た。
──今日、ホテル行くよね?
一気に胸が高鳴った。
それを鎮めるように、俺はゆっくりうなずいた。

ホテルに入り、少し見栄を張って高めの部屋を選んだ。
リカの口臭を抑えられるようにアメニティのマウスウオッシュをもらい、シャンプーとリンスのカゴを適当に取ると部屋に向かった。
初めて来た割には手際よくできたと思った。
エレベーターを降りると、心拍数が上がっていくのを自分でも感じた。

部屋に入るといきなりリカに唇を奪われた。
ここでキスをされるのは想定外だった。
生ぬるい舌が入ってきて、あの生臭い口臭が流れ込んでくるのを必死で我慢した。
ベッドに座らせ、風呂に入らせるためにパーカー、白Tと脱がせると、毒々しい色で生地がヨレヨレのブラをつけていた。
それも外し、ニーハイを脱がせ、スカートのホックを外してこれも脱がせ、パンティに手をかけると急にリカが恥ずかしそうな素振りをして、妙に興奮した。
一緒にシャワーを浴びてしっかり身体を洗わせ、一緒にマウスウオッシュをしてベッドに戻った。

──俺はいったい何をやってるんだろう?
全て終わって、俺の隣で余韻に浸るリカを眺めながらふと思った。
つまらない話を一方に聞かされただけの人生初デート。
生臭いファーストキス。
ああ、こんなもんか、と特に感動もない童貞卒業。
ただお互いの性欲をぶつけただけのセックス。
頑張って勉強して、研究して、勉強して、官僚にまでなって、毎日夜遅くまで働いて、30過ぎて…これなのか。
完全に我に返り、何もかもを後悔した。
リカとホテルの前で別れると、すぐにLINEをブロックした。
マッチングアプリも退会した。
もう女は一生いらないんだ、と思った。
以来、Twitterにますます熱が入るようになった。

気づけば年が明け、2024年になっていた。
4月から6月にかけて、立て続けに毎月、3回も結婚式に出た。
4月はサークルの同期で経済学部を卒業して、今は製鉄メーカー子会社のIT企業で働いている鴨下怜央。
地銀総合職で早稲田卒の、小綺麗な人と結婚した。
5月は部署の2つ下の後輩の森岡舜矢。
同期のお茶女卒と総合職同士で結婚した。
6月は研究室の後輩で、大手電機メーカーに就職した久保慎之介。
会社の同期で横国出身の、気が強そうな女性と結婚した。
正直うんざりした。
俺は結婚できる見込みがないのに、お祝儀ばかり支払わされる。
いっそ欠席して、3万円分の投信でも買えばよかったな。
新郎新婦の晴れ姿を冷ややかな目で見ながら、そんなことばかり考えていた。

立て続けに三人の結婚式に出て知ったのは、彼ら全員が結婚後もフルタイム総合職共働きを続けるということだった。
俺には到底理解できなかった。
変に知恵だけついた高学歴の総合職女の何が良いんだろうか?
お金に困っているはずでもないだろうに、どうして皆結婚してまで嫁さんに働かせようとするんだろうか?
働いて帰ってきて疲れ果てて、どんどん所帯じみていくであろう嫁さんと子作りしたいなんて思えるんだろうか?
女性活躍推進、女性の社会進出、共働き推進、ペアローンタワマン購入。
こんな中身のない茶番ばっかりやっているから少子化していき、大和民族の伝統と血統が途絶えていくのではないか?
そんなことをツイートすると、また俺の意見に賛同する人たちがリプや引用RTをくれて、思わず笑みがこぼれた。
やはり俺の意見は正しい。全く間違っていない。
そして、専業主婦大歓迎で十分稼いでいるはずの俺がいまだ結婚できず、つまらないメンヘラ女でしか童貞を卒業できなかったような今の日本はつくづく狂っている。
何から何まで、おかしいことだらけ。
俺は何も悪くない。この狂った時代、狂った社会の犠牲者なのだ。
もうこんな世の中のために働きたくない。
やっぱりFIREだ。すべてはカネだ。
そんなことを考えながらポテトチップスを肴にストロングゼロを煽る。
そしてアプリを確認し、順調に増えている資産推移のグラフを眺めた。
10年近く続けた投資と貯金のおかげで、ついに4000万円に達するところまできていた。
もはやカネしか、俺の心を癒してくれるものはないような気がした。
…だが、カネは俺に微笑まなかった。

勝俣陽平が女医の嫁さんと共働きして、ペアローンで買った港区内のタワーマンションを5年で売却し、1億円以上の含み益を取り出して、子育てを考えて文京区の戸建てに引っ越した、とサークルの連中から噂で聞いたのは、先月のことだった。
医者にまでなっておいて嫁を働かせて、あげくダッサい"ペアローン"なんか組んで、ただ高級なマンションを買って、住んでいただけで、含み益1億円…?
にわかに信じられないし、信じたくなかった。
思わずインターネットで港区のタワーマンションの成約情報を調べると、5年以上前に購入していれば、含み益が1億円程度出るのは珍しくないことだと知った。
──俺がこれまで必死に朝から晩まで働き、残業代を稼ぎ、このボロ賃貸で節約生活を続け、資産を積み上げてきた意味はいったい何だったんだ?
医学部に落ちた時点で、何をやっても敗者復活戦ですらなかったのか?
俺のこれまでの人生って何だったんだ?
気づけば膝から床に崩れ落ち、声を上げて泣いていた。
苛立ちの行き場がなく、何度も何度も、指から血が出ても床を殴り続けた。
声にならない声で、何度も何度も叫んだ。
明らかに自分の中で、何かが壊れる音がした。

──ああ、その後ですか?
お恥ずかしいことにそこから何も手につかなくなって、1週間出勤できなくて、そのままメンタルクリニックに行って休職に入りました。
鬱病らしいです。笑っちゃいますよね。
たぶん一生住宅ローンも組めないし、生命保険にも入れません。
しかもちんちんが使い物にならなくなっちゃって、もうダメそうです。
結婚もできないし子孫も残せないしカネにもならない。
生物として完全に落ちこぼれた、無価値な個体です。
最近の楽しみですか?Twitterだけですよ。
毎日ワーママ叩き、共働き否定してます。だって腹立つじゃないですか。
俺みたいな甲斐性のある男が結婚もできず、子供も残せずにこんなクソみたいな人生で、嫁に働かせるような甲斐性のない男に嫁がいて、子供がいる。
俺を散々育児放棄したアイツが下駄を履かされてどんどん偉くなって、あちこちで偉そうに喋ってる。
アイツの劣化コピーみたいな女が保育園という名の育児放棄施設に子供を放棄して、"輝くアタシ"のためにドヤ顔でブルシットワークしてる。
どう考えてもこんな世の中、馬鹿げてるじゃないですか。
おかしいじゃないですか。

…ところで最近、通り魔のニュースが多いじゃないですか。
そういうのを聞くと、どうしてもふと思っちゃう瞬間があるんですよね…
"俺もやってやろうかな"って。
共働きパワーカップルです、なんてドヤ顔してるやつらの多そうなエリアに行ってひと暴れして、ちゃんと警察に捕まって、俺のクソみたいな人生も、アイツの本性も、俺の主張も、全部テレビに報道してもらうんです。
どうせ終わってる人生なんだし、アリだと思いません?
あくまでも俺は自分を抑えて抑えて、この国の未来を担う君らの子供たちのために"やらないであげてる”だけなんですからね。
だからお前ら、いつまでもそうやって偉そうな勝ち組ヅラしてんじゃねえぞ。
いいな?
(おわり)
(本作品は実在の人物、組織とは一切関係のないフィクションです)

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