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 ウディアレンの何かしらの映画をU-NEXTで流しながら練習するというのを、ここ最近やめられない。個人的に一番練習がはかどるのは「ギター弾きの恋」だ。どういうわけか、映画の序盤あたりで主人公のエメットがライブの出番に遅刻するシーンが一番僕は好きだ。派手な洋服をいっぱい持っていて、白のタキシードがよく似合って、ピストルでネズミを射撃するのが大好きで、大酒飲みで、酔っぱらってステージに出るなどお手の物、盗み癖まであるときた。一方で契約主には叱られまくり、度々解雇を迫られる、節制しろと何度も釘を刺されるで、景気がいいのか悪いのかわからない所はビートジェネレーションぽくて良い。ニールキャサディだってバーに行くために他人の車を盗んで、帰りにはその車を捨ててまた他の車を盗むで、ヒッピーであろうとなかろうとこの時代の連中はめちゃくちゃだ。演奏の上手すぎる彼を誰かが天才だと認めてやればいいのに誰もはっきりと天才とは言わない。僕は少し前、大事な本番の前日に友人と酒を飲み、二軒目にも入り、前日にこんなことしてていいのかと少し悪い気もしたが、エメットのことを思い出すと自分なんて可愛いもんだとつい安心してしまった。楽になってくる。楽にしてくれるのは「おいしい生活」でもそうだ。Small Time Crooks(コソ泥)の邦題に糸井重里のキャッチコピーをそのまま張っ付けるのは気に食わないが、逆に「コソ泥」だとしょうがない。コソ泥のレイは妻とクッキー屋さんを始める、クッキー屋さんは思いの外大繁盛して、フランチャイズ店を次々と建て、夫婦は一躍時の人になってセレブリティの社交界に仲間入り、ところが金持ちの連中には成金趣味、アホらしいと陰口を叩かれ、それをうっかり盗み聞きしてしまった妻は、いち早く教養を身につけなければと躍起になる。そこへ教養で武装したハンサムなコソ泥が現れる。一方で夫のレイは相変わらずジャンクフードばかり食っていて、コソ泥時代の友人たちとの賭け事に明け暮れ、いくら金持ちになろうと下品な冗談を飛ばしてセレブリティたちのひんしゅくを買う。
 教養をしっかりと身に着けた社交界の連中なんて鼻持ちならないし、身に着けた教養がちゃんと教養として機能してない人も大勢いる。金持ちと貧乏人の教養は方向性が全然違うし、金持ちの教養はどちらかというと純粋なものじゃなくて次のカネを再生産するためのものだったりするので下心が溢れ出る。それを踏まえたうえで、今こうして教養について文章を書いている僕自身、文化人やましてや教養人なんかには程多くてむしろその真逆なのかもしれない。少し前に「風呂キャンセル界隈」というのがXのトレンドに入っていたが、これはめんどくさいくて風呂に入らない人たちのことを指す言葉で、例えば風呂キャンセル界隈で50人のオフ会を開くとして、49人が風呂に入らずに来ている中で、ずる賢い一人が抜け駆けして風呂に入って、しっかりスキンケアまでして香水まで振ってきたとしたら、その一人だけ「風呂キャンセルしてるのにいい匂いするし肌もきれい」とチヤホヤされてしまう。つまりこの一人は風呂キャンセルというハリボテを使って承認欲求を満たそうとしているわけで、要するに金持ちにおけるカネの再生産のための教養とほとんど変わらなくなってしまう。二回目に開かれる風呂キャンセル界隈のオフ会ではその1人が10人くらいになっているはずだし、3回目では30人くらいになっているに違いない。そうなってしまえばもうそこは風呂キャンセル界隈の原型をほとんどとどめておらず、それこそただの俗っぽい社交みたいになってしまう。貧乏人でもきれいな服を着てスターバックスでコーヒーを飲んでれば金持ちに見えるので、弱者同士の連帯など今の時代あったものじゃないと宮台真司は言っていたが、かろうじて残っていた弱者同士の連帯としての風呂キャンセル界隈もこうして消えてしまう。純粋な教養というのは「風呂キャンセル界隈がいつまでも風呂キャンセル界隈であり続けること」なのではないだろうか。原始時代に食物を保存することを覚えてしまった一人目が、その瞬間に未来とか家族とかいろんなことを意識し始めてその時表情が曇った、みたいな話を保坂和志の何かの本で読んだのを思い出した。まあでも風呂は入った方がいいけどね。手の平を返すようだけれど、風呂キャンセル界隈ってちょっと異常よ。アタシはそう思うわ。
 ウディアレンは精神分析にロクに触れていないにもかかわらず、フロイトやラカンの名前を使うだけであたかも精神分析に精通しているかのように見せかけていると彼の自伝「唐突ながら」に書いているし、能ある鷹は爪を隠すもしくは実るほど頭を垂れる稲穂かなの真逆をいく彼の姿勢は生成AIみたいだ。スピノザやソクラテスだとまだ物足りなくて、デリダやフーコーだとなんとなく説得力と雰囲気が出てくる。それっぽさなんてその程度のものなので僕もこれから積極的に使っていきたい。教養を身に着けた人間の間にしかない共通の了解がある、みたいな話はなんだか気味が悪いし、ウディアレンみたいにテレビの前でビール片手に野球でも見てる方が(僕は野球のルールすら知らない)僕のタチに合う。


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