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11月18日。雨。雨はロクなことがない。慢性的な雨は、借金の取り立て人が部屋の戸をドンドンドンドンドンドンと叩いているような思いがする(借金を取り立てられる経験をしたことはない)。ひょっとすると人類の薄毛の原因の半分は雨によるストレスなのかもしれない。それくらい雨は悪人だ。晴れ、曇り、雨、狐の嫁入りの4人が同じクラスにいたとして、その誰と仲良くなれるだろうか。晴れとはしばらくつるんでいるうちにお互いが生まれ育った環境による差がごまかしきれず、少しずつソリが合わなくなっていきそうだ。雨は出会った第一声で「あーサックス吹いてるんだ。ボクさ、クラシックのサックスを音楽だと認めてないんだけど?」とかなんとか棘のある言葉を2つ3つ栗の殻のように投げかけて来るに違いない。晴れは封建的横暴、雨はルサンチマン。その点曇りにはそういった心の欠点が薄いかもしれない。曇りはどちらかというと最初の頃はあまりお互い喋らず、ふとしたきっかけで本や映画の趣味が合うことがわかり、そこでグンと仲良くなれるかもしれない。彼はカポーティとかレッドガーランドとかを熱烈に愛していそうだ。狐の嫁入りは入学時からずっと素性を知ることがないまま卒業の日を迎えるのだろう。仲良くなれそうにない。性格が悪く、妙に洒落ていて、言動は理解不能、しかし卒業後しばらくして、あれは強い思想にのっとってやっていた事なのだと知る。狐の嫁入りのようなタイプのヤツが映画を作ったり大学で教鞭を取ったりしているのだろうと思う。
傘をさして自転車に乗る。傘を持つ右手が超痛い。右手も心も極限状態なので思わず「今すれ違ったあの女、オレのこと哀れな目で見やがってハッハッハッハ!!!」とか言って笑ってしまう。しかも寒い。こんなときに限って忘れ物なんかしたら最悪だ。笑うことすらできない。イヤホンからはジャズの個人的なプレイリストが流れている。Spotifyのシャッフル機能によって天の啓示的にチョイスされた曲たちが流れてきて、ついハッとさせられる。「I'll Remember April(4月の思い出)」(寒いので)「This is The Life(これが人生だ)」(無理矢理納得しないとやってられないので)「To Mickey's Memory」(1928年11月18日にミッキーが初めて放送されたので)「Straight Street(真っ直ぐな道)」(傘をさしているとカーブを曲がりにくいので)「Will You Still Be Mine?(君はまだ僕のもので居てくれるかい)」(全然そんな状況じゃないので)こじつけも甚だしいところだが、もし「Sunny Side of the Street(明るい表通り)」なんかが流れ始めたら僕はブチ切れるはずだ。映画のモテキで藤本幸世が「神様がいるとしたらせいぜいiPodのシャッフル機能程度だろう」と、やおらiPodを取り出し、イヤホンを耳に押し込んでプレイリストをシャッフル再生したところ、「男子畢生危機一髪」が流れるという感動的なくだりを思い出す。森山未來の演技は素晴らしい。あのクリーンヒットな童貞感はそこら辺の並大抵の俳優になせる業ではない。しかも彼は本業ダンサーときている。序盤の、お得意のダンスを披露する流れが少々くどくいのは気になるが、今のところ僕のかなり多くの部分を占めるバイブル的映画となっている。長澤まさみの「シュッシュッシュッシュッ」も好き。僕の本棚にはDVDが4枚ある。一つは「モテキ」それから「クヒオ大佐」「ラッシュライフ」「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」だ。森山未來、堺雅人が2作、それから妻夫木聡。邦画をそこまで熱心に見なくて良いのだと気づく前に出来上がった、僕の出し殻みたいなものだ。
大学でのミニコンサートが終わって一段落ついたかと思うと、感想文を書かされる。演者側の感想文なんて誰が読むんやと思ったので、その思いの丈をすべてこっぴどい罵詈雑言に出力変換して紙に書きまくって敵陣にグレネードを投げ込む兵士よろしく提出してやろうかと思ったがもちろんやめた。第一僕はこういう無味無臭でコンサーバティブな言葉遣いと話題が求められる文章を書くのが本当に苦手だ(そうじゃない文章でもあんまり書けないというのに)。原稿用紙を前にして、死んだふりを決め込むダンゴムシみたいになってしまう。50分くらい経っても1行も書けない。50分死んだふりをするダンゴムシはもうただの死骸だ。
僕の中の精一杯の丁寧さとコンサーバティブとシルバニアファミリーとそれから明かりの灯る大きなお家をかき集めてふんだんに使用したシェフ自慢のレシピをもとに5行ほどの超大作感想文を書きあげ、提出した。かなり渋い顔をされたが、受理された。
帰りの電車で知り合いに「感想文とかってさぁ長く書ける?」と聞くと「書けるよ。無限に」みたいなことを言っていたので、感想文の長さと人間の成熟度反比例の法則という仮説はもう考えないことにした。
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