ふり返り日記~想定外の2024年11月編~
初めての体外受精で
無事に受精(妊娠8周目まで到達)
することが出来た。
10月末までの記録では
2024年途中までが
イマイチすぎて取り返そうと必死だった。
今は、それどころじゃなくなった。
そんな2024年11月をふり返りたいと思う。
妊娠が分かるまでと、想定外の悪阻に苦しむまで
1か月前の自分は
まさか授かってすぐ吐き気で苦しんでいるとは
微塵も考えていなかった。
経過を順にまとめていく
1W:初めての体外受精を行ったのは10月下旬
この時の心境は
まるで大学受験のようだった。
受かる?
受からない?
受かったことの
大学生活なんて、1ミリも考えていない。
それと全く同じ。
とりあえず受かってくれ
としか思っていない。
2W:体外受精したのを、いったん忘れようとする
さすがに妊娠の可能性もあるため
ハードな山登りは控えた。
それ以外は普通の生活を心がけて
なるべく安静に過ごしていた。
3W:死ぬほどソワソワ&着床出血
妊娠確認は病院で行うため
それまでは自分でチェックするのは
我慢しようとした。
でも、我慢しきれず検査をしてしまう。
それは、着床出血?らしい出血があったから。
「あーあ、生理来たのか」
と思うと同時に
「あれ、もしや噂に聞いていた着床出血??」
それでいても立ってもいられず妊娠検査。
結果は、うっすーーい線が入る
微妙な結果に。
でも、今まで何度か妊娠検査薬を
使った事があったけど
反応らしいものは一切不発だった。
今回は、何かしらの反応があるから
可能性はあるかも・・・?
でも、基礎体温は高くないし
眠くもないし
体に何の変化もない。
病院判定までは
悶々とした日々を過ごした。
4W:病院判定で陽性確認
病院に行く頃には
ダメなんだろうな・・・
という気持ちのほうに傾いていた。
尿検査をして
診察室で先生から陽性を聞かされた時
自然と涙がこぼれた。
今までの不妊治療が
これですべて報われたと思うと
自分でも驚くくらい反射的に涙がでた。
その後、同じ病院で働いている
夫にすぐさま会って報告した。
夫は大喜びまではいかないけど
そこそこに喜んでいた。
というのも、妊娠は分かっても
心拍確認までは
妊娠初期の流産は高確率なため
私自身も妊娠に喜びつつも
次の瞬間には
流産の心配ばかりよぎっていた。
5W:さっぽろ旅行のため飛行機に乗る
予定で決まっていた旅だったので
妊娠がわかってすぐ
飛行機に乗る機会があった。
今思うと、この時期に旅行のタイミングで
まだマシだった。
悪阻もなく
無理しない程度に動き回れたから。
お陰で、味覚の変化がまだ無いまま
美味しい北海道グルメを
楽しむことができた。
妊娠中の飛行機は良くないというが
この時期は、まだ身体に変化はなく
問題なく搭乗した。
ちなみに、妊婦だと主張して
優先搭乗を初めて申し出てみた。
CAからは「何週目ですか?」と
妊婦らしくない私に
業務上必要だったんだろうけど
週数の確認をしてきた。
まだ母子手帳を付与されていないから
妊婦であることを証明するものがない。
インフルエンザワクチンの妊婦割引も
口頭で説明して割引してもらった。
妊娠しているのを敢えていう言うことで
結果が変わるものなんだなという
新しい体験だった。
5W:とうとう悪阻が出現
まだ動ける、と思っていたこの頃
1人で遊歩道散策に出かけた。
平坦な散歩道だから歩く事自体は
問題なかったけど
ハードに動いていないにもかかわらず
終えてから、異様に眠い。
その後から微妙に調子が悪くなり
微妙に気持ちが悪い。
今思うと、その時の悪阻レベルは
MAXが10だとして3とかそのくらい。
まだ我慢できるレベルではあったため
その後数日間は
調子が良ければ
1日1万歩、歩く日もあった。
6W:悪阻で吐く
まだ悪阻をコントロールしきれず
病院診察がある日に
病院で吐いてしまった。
幸い、気持ち悪すぎて
横になりたいと申し出て
点滴室のベッド横で看護師さんにサポートされながら
所定の場所に吐いた。
8週目の今だからこそ
悪阻に慣れてきて
コントロールの仕方も分かってきた。
でも、6週目の自分は
身体の変化についていけなかったため
吐いてしまった。
6週目の悪阻は
朝に気持ち悪さがMAXとなり
夕方にかけて調子が改善する
パターンが多かった。
そんな時期での
朝イチの病院だったため
調子を悪くしてしまった。
悪阻パターンを学習してからは
病院の予約を午前から午後にするように
変えている。
7W:車プチ旅行へ行く
御殿場アウトレットへ
車移動の旅をした。
毎年恒例になっているのだけど
御殿場も、毎回行くレストランも
十分に楽しめなかった。
悪阻のため動きが悪くなってしまい
2日目は殆ど車の中で寝ていた。
夫と2人だけの旅も
残りわずかなんだろうけど
もう十分すぎるくらい夫婦で旅をしたから
今さら、名残惜しむ感覚もない。
8W:エコーで頭部を確認
一番最近の病院診察で
頭部を確認した。
赤ちゃんの体長は2センチくらい。
まだ身体に赤ちゃんがいる実感はないけど
ちょっとずつ成長している生命体に
微笑ましく感じる。
両親への報告
6週目のあたりで
ちょうど自分の両親と、義理の両親
別々で会う機会があった。
その時の反応も記録しておこう。
実両親
第一声で
「わーはあは」と歓声が上がった記憶がある。
父親からは
「よく出来た娘だ」
母親からは
「34歳は高齢出産?」
と、それぞれらしい発言があった。
父親については、裏を返すと
子なしだった今までは
出来損ないかよ?と思ってしまう。笑
母親については
ちょっと失礼だな、と思う。
ついでに母親からは
「私はあなたを産むとき
ひどいつわりで・・・」と
全く嬉しくない事実を聞かされる。
悪阻は、とあるホルモンの感受性の差で
症状がでやすい・出にくいという傾向があって
遺伝するものだという認識がある。
つまり私は
悪阻がでやすい素因を持っている。
これ以上、悪い遺伝子を引き継ぎたくなかった・・・。
義理両親
義理両親へは
夕食のとき夫から話してもらった。
私の両親ほど
歓声があがる喜び方ではなかったが
じんわり喜んでいたようだった。
義理母の第一声は
「2人が望んだ子なんだよね」と
義母らしい一言だった。
義両親は裕福な暮らしをしていて
保護猫を多頭飼いしているが
決して、なんでもかんでも猫を
受け入れるワケではない。
自分たちと猫がちゃんと幸せになって
手の届く範囲できめ細やかな世話ができる
コンフォートゾーンを守っている。
だから、無計画な家族や
猫の異常増殖を嫌っている。
だとしても
34歳になって、望まない妊娠て・・?
と思ったけど(笑)
義理の父は
息子たちの世話をしない昭和親父のため
孫の誕生にはさほど興味はなさそう。
両親・義理両親とも
とてもキャラクターを象徴した
反応だった。
むすびに
10月末は、このように
むすびを綴っていた。
実際、妊娠しても
人生はそう大きく変わらないのが現実だ。
ただただ
悪阻で気持ち悪いのが
続く日々が始まった。
でも充実感がある。
今まで自由に動けた時間に
後悔はないから。
そんな
不妊治療2年の末
無事妊娠できてからの悪阻に嘆く
2024年11月の振り返りでした。