2000年2月にチェチェンのノーヴィ・アルディ村で発生した住民虐殺・略奪事件の告発映像「アルディ 時効はない」
「アルディ 時効はない」
2009年 32分 製作:人権擁護センター「メモリアル」、平和と非暴力の家、ヤブロコ党サンクト・ペテルブルク支部
作者:エレーナ・ヴィレンスカヤ、ニコライ・ルイバコフ、エカテリナ・サキリャンスカヤ 撮影:アフメド・ギサーエフ ナレーター:アレクセイ・デヴォチェンコ
日本語版テキスト訳:村山敦子 字幕作成:岡田一男
https://vimeo.com/manage/videos/706374043
2022年にロシアが始めたウクライナへの侵略戦争では首都キーウ近郊のブチャ村でのロシア軍の住民虐殺・略奪に世界が戦慄した。しかし、これはロシア軍が繰返してきた蛮行の一つに過ぎない。この作品は、2000年2月に北コーカサスのチェチェンの首都グローズヌイ近郊のノーヴィ・アルディ村で発生した住民虐殺・略奪事件について、ロシアの市民運動が製作した告発映像である。事件のおぞましい共通性と、それを許さないロシア国民が存在することを知っていただきたい。
作品の背景について
この作品は2009年に、三つのロシアの人権団体や野党に加わるサンクト・ペテルブルク市民が製作したものである。第2次チェチェン戦争下、1ヶ月以上つづいたロシア軍のチェチェンの首都グローズヌイでの包囲戦で2000年1月31日未明、独立派指導部は、首都を包囲する地雷原を強行突破して、5,000名以上の首都住民とともに平原部を横切って南部山岳地帯へ退いた。その直後、2月5日から数日間に、首都の南東に隣接するノーヴィ・アルディ村で発生した、一般住民およそ60名の虐殺・強姦、金品略奪事件を扱っている。事件直後の2000年2月9日に、現地住民が家庭用ビデオで記録した映像と2009年2月、人権団体「メモリアル」のチェチェン支部職員だったジャーナリスト、ナタリア・エステミーロワによる現場取材映像とで構成されている。なおナタリア・エステミーロワは、数か月後の7月15日朝、首都グローズヌイで、傀儡政権治安組織の要員とみられる身元不明の数名に連行された後、同日夕刻、西隣のイングーシ共和国との境界付近で射殺体で発見された。
ノーヴィ・アルディ村は、北コーカサス随一の工業都市であったグローズヌイのベットタウンで、戦前は人口27,000人の大きな村であった。19世紀カフカス大戦争の英雄、シェイク・マンスールの出身地として知られている。ロシア軍の侵攻開始で、8,000人ほどの住民は、首都から離れた村々に避難した。独立派戦闘員たちは、危険を繰返し警告し、侵攻ロシア軍の一部の兵士も翌日始まる掃討作戦(ザチーストカ)の危険を警告した。しかし老人や家畜を飼育していて家を離れられない人々およそ2000人が村に残留していた。彼らは、非武装の一般住民である自分たちが、危険とは考えていなかった。
事件を引起こした加害者は、ロシア連邦国防軍とともに参戦し、対テロ軍事作戦で掃討作戦を担当した内務省傘下のサンクト・ペテルブルクとリャザンから派遣されたOMON(特別任務民警部隊)であった。住民は、ロシアの人権団体の支援により、この蛮行に対するロシア法による裁きを期待した。しかしロシア政府は、当日現地で作戦にあたっていたのが、これらOMON部隊であったことは認めたが、犯行については、一切認めず、虐殺をチェチェン独立派によるものと責任転嫁した。さらに検察と裁判所は訴訟手続きを、モスクワとグローズヌイの間で延々とたらい回しにした。
ロシア国内での公正な裁判が期待できないことがはっきりして、被害者家族二組が、ストラスブールの欧州人権裁判所に提訴し、2006年から2007年に、ロシア政府の主張は退けられ、ロシア政府に賠償を命ずる判決が出た。
ご覧になった方は、2022年3月にウクライナの首都、キーウ近郊の村、ブチャで起こったロシア軍による住民虐殺と重ねられる事と思う。状況は酷似しているが、同様の事は、ロシア軍が出動する度に、いつも起こっており、第1次チェチェン戦争では、イングーシに隣接するサマシキ村で同様の事件が起こっている。第2次大戦敗北直後、多くの日本人も旧満州国で同様の目にあわされた。ロシアが敗北し、国家と軍隊が徹底的に改革されない限り、戦争犯罪が明確に断罪され、ロシア国民の意識が変革されない限り、こうした事件は、今後も際限なく繰り返されるだろう。ロシア国民自体の意識が変わり、反省による国家体質の改善が唯一の出口なのである。その希望を我々が託せるのは、こうした作品を世に出した、ロシアの真っ当な市民たちの力なのである。