北コーカサス山岳民共和国連邦再興を巡って <3-3>
<3ー2>から続く
話が前後するが、岡田にとって印象的なことを幾つか挙げておこう。
一つはオセチアの問題。南北コーカサスを分断するようにロシアがコーカサスをを東西に分断する斧でも打ち込んだように、チェチェンやイングーシとカバルディノ・バルカリアの間にオセチアがあって、しかも現在のオセチア人は、正教徒が多く、親ロシアの政策を採り、ロシアのチェチェン侵略では、攻撃の後方基地を務めてきた。また、その東側には、かつてイングーシ人が居住していた村々があり、1944年の民族丸ごと強制移住でワイナハ(チェチェン・イングーシ)の人びとが中央アジアに追われ、もぬけの空となった処にオセチア人が入植させらた係争地帯がある。ある分析では、充分な力を得たときイングーシ人は、これら係争地を奪い返そうとオセチアに挑戦するだろう。その場合、兄弟民族であるチェチェン人は、必ずイングーシに加勢すると予想していた。しかし、イナル・シェリプは、オセチアも、周辺地域が北コーカサス連邦にまとまれば、ロシアと運命を共にすると言った道を選ばず、民主的なプロセスで周辺地域との連携を選ぶ筈と楽観視している。宗教的な違いはあっても民俗・文化的メンタリティでは、ワイナハとアラニア(オセチアの別名)には、一塊に出来るほどに共有するものが多いからだ。
また、現在ジョージアの領有が国際的に認められている、アブハジアと南オセチアの問題については、これら地域に暮らす人々の民意が最大限に尊重されるべきであると考えている。ジョージア人は隣人であるチェチェン人とは兄弟のような文化を共有しているが、ジョージアに対しては域内少数民族に対し、ミニソ連のような振る舞いは許されないと親身な警告をしているという。また、アブハジアと南オセチアの親ロシア政策は、ジョージアから自らを守る他の選択肢が無いからの故で、北コーカサス連邦が成立すれば参加の道を選択する筈と自信をみせた。
中央アジア5か国(カザフスタン、クルグス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)やトランスコーカシア3国(ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン)が、ロシア帝国の版図に組込まれたのは19世紀であり、北コーカサスも同じで、長い歴史の中では、ロシアの領域に組み込まれていること自体、一時的なものに過ぎないとも言えるだろう。必ずしもコーカサスに限らず、ユーラシアの民族は近隣諸民族との間で、多くの共通性と微妙な相違の中で、自らの独自性を見せている。コーカサスの諸民族を一つに結びつけるのは、宗教でも、言語でもなく、それぞれが人間かくあるべしと教えている、人々が共有する、それぞれの伝統に基づいた慣習法ではないのだろうか。
ウクライナにおけるチェチェン武装勢力の不統一についても見解を聞いた。というのも、ジョハル・ドゥダーエフ大隊や、シェイク・マンスール大隊はウクライナ領内で2014年から活動しており、それら先行部隊から見ると、ザカーエフ派の参戦は遥かに後発であり、彼らが受容れている戦士たちは、主にシリアで戦って、そこから新たにウクライナに転戦してきた者が大部分だからだ。ザカーエフの部隊は、二つの基準で戦士を採用している。
① イチケリア亡命政府が発行するチェチェン共和国(イチケリア)旅券を発給され、保持している者であること。
② ウクライナ国軍が、入隊希望者全員に課しているポリグラフ検査(うそ発見器)に合格すること。ジョハル・ドゥダーエフ大隊の現有勢力は僅かだが、シェイク・マンスール大隊との関係は、意見交換も行われているが、統合できないのはウクライナの国内事情の反映だという。チェチェン軍は、ゼレンスキー政権と密接な関係にあるが、シェイク・マンスール大隊は成立時から、ゼレンスキー
の政敵である前政権ポロシェンコ元大統領派の財政支援で成立した。彼らのポロシェンコ派との関係維持が統合の妨げとなっている。ウクライナ軍の指揮系統の整理・統合を待つ必要がある。
チェチェン軍は100人規模で出発したが兵員を1000名規模に拡充しようとしている。今は、その戦費調達が課題となっている。イナル・シェリプも美術投資家として入手した1点で評価額125億円という名画を戦費の一部に充てようと奔走している。彼が得意とするベルギー後期印象派の絵画でないのに、疑問を呈すると、いや後期印象派絵画コレクションは、行き先が決まっている。それらは、将来のグローズヌイ中央美術館に飾られるべきものだから、売ることはありえないのだとの答えが帰って来た。
本年になって、岡田は次の質問をした。
① ウクライナにおけるチェチェン軍の再建は予想通り進んでいるのか?
答え: ウクライナにおけるチェチェン軍再建は計画通りに進んでいる。 チェチェン軍の復興は、ウクライナ軍の戦争の成否には依存しない。
② 2024 年にクリミアが解放される可能性はあると思うか?
答え: 2024 年に、クリミアが活発な戦闘地域になると私は確信している。 いくつかの発展シナリオがあるが、ウクライナが 2024 年にクリミアを奪還できなくとも、クリミアは包囲下に置かれ、防衛のために駐留するロシア軍のみとなり、民間ロシア人はクリミアを離れロシアへ避難するだろう。
③ ウクライナにドンバスとクリミアの奪還を断念させようとしている西側諸国の勢力についてどう思うか?
答え: 西側にはウクライナ戦争問題を迅速に解決したいと考えている特定の勢力が存在するが、これらは大きな勢力ではない。自分は、ロシア自体に、和平交渉に関するあらゆる条件を受け入れることができるような変化が起こると確信している。 ロシアはドンバスとルガンスクから離脱し、クリミア問題はいくつかの段階を経て解決されることになると考えている。
④ トランプはロシアの期待通りにアメリカで復活すると思うか?
答え: トランプ氏復活の可能性は非常に低い。トランプの大統領復帰に対するロシア人の期待は高すぎると思う。 さらに、最も重要な決定や出来事は米国大統領選挙前に行われると思う。それを新しい大統領は何も変えることができないだろう。
いずれにせよ。ウクライナのクリミアの解放なくしては、チェチェン軍ないし北コーカサス連邦軍の故郷への進撃は難しい。クリミア半島の東端、プーチン肝入りのケルチ大橋の対岸は、海岸部チェルケシアの北端なのである。ウクライナ軍がクリミア半島を解放すれば、再建チェチェン軍は、一気にケルチ海峡を渡ってチェルケシアに進撃する。だが、それはロシアの黒海からの封殺を意味する。ロシアの世界帝国から地域大国への転落は、米国が期待するような形で収まるとは到底思えない。ロシア後の自由な民族フォーラムの参加者たちが期待するような帝国の瓦解が始まるだろう。だから、ロシアの黒色帝国主義者は、それを喰いとめようと必死で抵抗しているのだ。
一方、何でウクライナの政府と民衆はロシアの侵攻に必死で抵抗を続けているのか? それは、今踏みとどまって抵抗しなければ、19 世紀半ばに、列強諸国に見捨てられ、大虐殺の末に、ロシアによる滅亡を強いられたチェルケシアの悲劇の再現となる事を切実に知っているからだ。
日本のチェチェン支援運動は、1990 年代、2000 年代にチェチェンで起こった事実を見て来ているからこそ、日本のいわゆる平和主義者、リベラル派の一部にあるような倒錯したロシア擁護と無縁であった。しかし、20 世紀半ばと世紀末のチェチェンで起こった数倍の悲劇が 19 世紀のチェルケシアを襲った。チェルケシアの版図は、北コーカサスの西半分、オセチアより西がそれにあたる。100 年にわたるロシアの侵略に曝され、1864 年に最後の抵抗が終わった時、チェルケス諸民族の95%が虐殺されるか故郷を追放された。幾つかの諸支族は、100%消滅した。彼らのコーデックス、アディゲハブセは、チェチェン人のアダート(慣習法)と酷似するが、降伏を絶対に受容れない。それで最後の抵抗に敗れたとき、彼らは集団自決して消滅した。現在、北コーカサスに暮らすチェルケス系諸民族は 70 万人程度であるが、トルコのアナトリア半島には約 500 万人、多い説では
700 万人、少ない説でも 200 万人がディアスポラとして存在している。2014 年にソチオリンピックが実施された当時、トルコにおける北コーカサスディアスポラを中心としてジェノサイドオリンピック反対が叫ばれた。ソチこそ地上から抹殺されたチェルケシアの首都であった。呑気に日本選手の活躍を楽しむような場所では、本来は無かったのだ。
最後に個人的な想い出を一つ紹介しておこう。2007 年のことだったか、岡田はウズベクキスタン大使館や、現在の国立映画アーカイブで実施されたウズベキスタン映画祭の実行委員を務めた。この時、映画祭を担当した一等書記官から、突然、会場控室で、「岡田さんはチェチェン支援に関わっていられるのですね。」と問われた。岡田はウズベクの友人たちとは、チェチェンのことに触れたことは無かったので、大使館内の情報機関が「身体検査」をしたなと直感した。
ところが相手は、居住まいを正して背筋をを伸ばすと切り出した。「僕は岡田さんを尊敬します。自分のばあちゃんは、ウズベキスタンに追放されたチェルケス女性です。自分のマンスールという名前も、両親が、シェイク・マンスールにちなんで名付けたものです。子ども時代のソ連体制下では、謀反人の名だと、クソ餓鬼どもに虐められたものです。私たちの間では、チェチェン人は特別な存在です。何時も、必要な時、我々を率いて立ちあがってくれたのが、彼らチェチェン人でしたから。」マンスールは、ウズベキスタンの外務官僚として、独裁者、イスラム・カリーモフ大統領の熱烈な信奉者だった。そういう彼も、一方でチェルケス人の、コーカサス人の心を持ち続けていたのだ。彼のようなチェチェン人に対する評価は、多くのコーカサス人の気持ちを代表したものだと思う。
イナル・シェリプは新鮮な発想で、ウクライナとチチェンの間にチェルケシアを噛ませて、ウクライナ、クリミア、チェルケシア、チェチェニアを一線に結んだ。
一方、ウクライナもクリミア解放へのやる気を、23 年8月、ウクライナ国防相をクリミミア・タタール人のルステム・ウメロフに交替させることで示した。ウクライナにとってドンバス奪還も重要だが、クリミア半島奪還あるいは喪失は、ウクライナ、ロシア双方にとって国家存続の死命を決するものなのだ。双方が知恵を絞って戦っている。ウクライナ側の自由への意志と創意工夫が、ロシアと言う中世的奴隷国家(モスコヴィア)のそれに優ることに期待したい。
2024.01.20. 岡田一男(映像作家)
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