書評 石井英俊著 『やがてロシアの崩壊がはじまる』
岡田一男(映像作家)
石井英俊著 『やがてロシアの崩壊がはじまる』は、昨2023年8月1日と2日に衆議院第一議員会館大会議室などを会場に開催された第7回ロシア後の自由な民族フォーラムの開催に日本側で尽力された石井英俊氏が、第2日目に通訳・司会をされたパートナー、石井陽子夫人と共に追跡インタビューを繰り返しながら、問題点を掘り下げられた興味深い一書である。
この第7回フォーラムが意義深いのは、北東ユーラシアを中心に、これまで日本では余り紹介されてこなかった、ロシア連邦内各地の様ざまな民族集団が抱える問題を、生の声として聴くことが出来た点にあった。本書は、ただ会議での参加者の発言をビデオ収録記録をもとに紹介するのではなく、2024年初夏まで追跡インタビューを続けられた。夫妻のその努力を賞賛する。現在のロシア・中国を中心とする黒色帝国主義との戦いは、1980年代末から90年代初めのソ連崩壊期に似て、情勢が日々刻々と猫の眼のように変化しており、第7回フォーラム一回の記録だけでは、価値に限界があるからだ。
本書の中で石井氏が正直に語られているように、もともと氏は、中国各地で中国共産党政権支配下で呻吟するチベット、ウイグル、南モンゴル、香港など被抑圧少数民族の解放運動に手を差し伸べて来られた活動家であって、ロシア=旧ソ連の被抑圧少数民族支援に関わって来られた人物ではない。それは一方では弱点であるが、今回は、だからこそ成功があったのだと痛感する。というのも、筆者のように1960年代前半、青春時代5年間をモスクワで過ごし、以来旧ソ連を見詰め、ソ連崩壊を身近で目撃した者には、その苦い経験が、返って大胆な判断の妨げになる事も少なくないからだ。
本書は幾つかのブロックに構成が分かれている。フォーラムの活動概説については、著者自身のフォーラムとの出会いと、フォーラム創設者のウクライナ人、オレーグ・マガレツキーとのインタビューで紹介している。次いで、ウクライナで現実にロシアとその戦闘員たちが戦っているグループの指導者たちの考えを紹介し、その後、ロシア国外に逃れて活動している様々な民族・集団の活動紹介に進み、最後をウクライナ戦争の将来とフォーラムで採択された東京宣言について、フォーラム第一日のモデレーター岡部芳彦神戸学院大教授とウクライナ人国際政治学者グレンコ・アンドリー氏との鼎談で結んでいる。
現実にウクライナでロシアと戦うグループを東京フォーラムで代表していたのは、チェチェン共和国(イチケリア)亡命政府外相のイナル・シェリプとウクライナ側で戦うロシア義勇兵組織、自由ロシア軍団の政治指導者イリヤ・ポノマレョフである。両者ともに注目に値する人物であるが、筆者はとりわけ前者、イナル・シェリプ(1971年生まれ)に着目してきた。というのも、彼は、イチケリア亡命政府の中でも極めて異色な人物なのだ。石井氏は本著でイナルの語った、彼の一族の世代を継いだ祖国チェチェニアへの貢献を紹介されている。それ自体が新鮮な情報で、筆者も初めて知ったことが少なくない。
ただ、次の事を書き足しておく。先ず、イナルは第一次/二次チェチェン戦争の戦闘行為に直接参加していない。チェチェンの首都、グローズヌイで映画監督でもあるスピアンベク・シェリポフを父として生まれ、5歳からチェスに親しみ、1988年に17歳でロシアのチェス・チャンピオンとなる。しかし、職業的チェス競技者の道を選ばず、全ソ国立映画大学(VGIK)劇映画監督科教授、ウラジミル・ナウモフ(1927-2021)監督の下で映画演出を学んだ。筆者はミハイル・ロンム(1901-71)監督に師事したので同門の先輩後輩関係になる。卒業後しばらくモスクワで映画制作に従事した後、チェチェン戦争の時期にアメリカに渡り、ハリウッドの映画産業で働き、米国籍を取得している。しかし、娯楽中心のハリウッド映画にあきたらず、ベルギーに居を移した。彼が国際映画祭で受賞した数作品はベルギーで制作したものである。さらにチェス、映画制作に加え、絵画投資家としても成功する。彼は、ベルギー印象派絵画の収集家としても、指折りの人物なのである。
彼はチェチェン亡命政府の指導者、アフメド・ザカーエフ(1959年生まれ)とは、30年以上にわたる盟友関係にあるが、その一方で、ロシアとの繫がりもチェスと映画関連で維持していた。2000年の首都グローズヌイ陥落を機に、多くの独立派指導者は国外に出るのを余儀なくされ、国内残留組のゲリラ活動は、2010年までに、ほぼ壊滅させられた。その中でイナルは、モスクワやグローズヌイを往来して2008年から2011年までは、ロシア国内での秘密工作活動に従事した。その活動は、表面上は西側諸国での映画制作の成功を武器に、グローズヌイにチェチェンフィルム撮影所を設立、モスフィルム撮影所と共同製作でチェーホフ原作の「トスカ」を劇映画化することでカムフラージュされた。
石井氏は本書で、イナルが2011年に亡命政府文化相に指名されたことを記しているが、これはイナルが危険を察知、自身によるロシア国内、チェチェン域内での工作活動を打切ったことを意味している。アフメド・ザカーエフは、2000年初めの首都グローズヌイ攻防戦末期、首都を包囲する地雷原突破で重傷を負い、郊外村アルハン・カラで形成外科医ハッサン・バイエフ(1963年生まれ)に応急処置を施されて国外に身を搬出された。以来、国外での活動を余儀なくされている。その彼に代わってイナルがロシア、チェチェニアでの潜入活動を引受けたのだが、自律的な活動を要求され、複雑な課題を満たせる人物は稀だったと思う。
イナルは、2022年末に亡命政府外相となると、新鮮な戦略提起を行った。本書中で詳しく紹介されている北コーカサス(山岳民共和国)連邦復活構想である。カスピ海沿岸のダゲスタンからコーカサス山脈の北側を黒海沿岸部まで全域を一気に連邦共和国として独立させるというもので、現在のロシア連邦の版図では、ロシア連邦の二つの地方、クラスノダールとスタブロポリと七つの民族共和国となる地域だ。そこにはコーカサス諸語系、インド・ヨーロッパ語族系、テュルク諸語系の様々な言語や宗教をもった少なくとも20以上の民族集団が入り組んで暮らしている。だから、コーカサス問題に詳しい人ほど、とても無理ではないかと疑問を出すことになる。
筆者が構想に着目したのは、北コーカサス東部に位置するチェチェニアがイニシアティフをとって、西部のチェルケシアと結び、クリミアとウクライナという一つの帯を構築する発想だ。日本ではチェルケシアを多くの人々は知らない。それは無理もない。近世ヨーロッパにおいて、ロシア帝国によって100年間にわたるロシア・チェルケス戦争を仕掛けられた末、完全に抹殺され、ロシア帝国-ソ連-ロシア連邦と一貫して記憶まで消し去られた国家なのだから。チェルケシア(アディゲ・ヘク)は、黒海沿岸のソチを首都として15世紀から1864年まで存続した独立国であった。
その滅亡は、西欧諸国が支援を求めるチェルケシアを見殺しにしたことにある。ロシアは敗北したチェルケシアで数年で150万人以上を大虐殺した。そして僅かに生き残った人々をオスマン帝国のトルコ、アナトリア半島や中央アジアに追放した。現在、ウクライナが必死でロシアと戦うのは、負ければ21世紀のチェルケシアが待っているからである。2014年のソチ・冬季オリンピックにトルコ在住の北コーカサス・ディアスポラがジェノサイド・オリンピック反対の声を挙げたのは、チェルケス大虐殺に抗議してのものであった。わが国では羽生結弦の活躍や浅田真央の奮闘に目を奪われていたが、あの冬季オリンピック会場は犠牲となったチェルケス人たちの集団埋葬地の上に建てられたものだった。
目玉というか肝は、チェルケシア復興でもチェチェン独立達成でもなく、第一次世界大戦末期のロシア帝国崩壊後に、既に周辺諸国から国際承認を受けた合法国家でありながら、ボリシェヴィキ政権に武力で圧殺された北コーカサス山岳民共和国連邦を復活させようという壮大な構想である。沿バルト諸国(エストニア・ラトビア・リトアニア)の独立回復の国際承認は、戦間期の独立三国家がソ連による不法な侵略から主権を回復したと見なされた。それと同じ国際規範を北コーカサスにも適用させようというものである。
ウクライナ戦争においてクリミア奪還・解放が実現しないと夢物語になりかねないが、実現すると、ウクライナと北コーカサス連邦の軍事同盟によってロシアは黒海へのアクセスを封殺され、世界帝国から地域大国に転落する。筆者は、極めて現実的な可能性を予感しており、その衝撃はロシア連邦全体に波及して、本書の書名どおり「ロシアの崩壊」に繋がるだろうと考えている。
アフメド・ザカーエフは、舞台俳優出身でルックスも良いし、弁も立つ。第一次チェチェン戦争時代から有力野戦司令官の一人であった。チェチェン独立派の中で過激なイスラーム主義と一線を画し、イスラームを信じつつも世俗的な民主主義国家を目指してきた。確かにウクライナの現政権とは良好な関係を築いているが、一方で完全に独立派勢力を統率出来てはいない。ウクライナで戦うチェチェン人部隊にすら、彼の指導・統制に従わず別箇に戦っている集団が存在する。2014年のロシアによるクリミア強奪直後から、多くのチェチェン義勇兵がウクライナ側に参戦しているが、ザカーエフが拠点をロンドンからキーウに移したのは、2022年のロシアの本格侵攻以降で、遥かに後発なのである。既存武装集団とザカーエフ指揮下の部隊、OBON=独立特殊任務大隊は、別箇であり、このOBONは主に、新たに西側諸国の亡命先から参戦した若者たちと、シリアで反アサド政権側に参戦し戦闘経験を積んだベテランたちで構成されている。ロシア側工作員の潜入を防止するため、亡命政府発行のイチケリア旅券所持者であり、かつウクライナ国軍が課すポリグラフ(嘘発見器)通過など厳しい基準を設けていて、統合は今後の課題だと指摘しておきたい。
2023年晩秋、ブラッセル、欧州議会を会場とした北コーカサス連邦復興会議で、ザカーエフは将来の国防相に任じられた。将来の大統領には米国籍のチェルケス人、イアド・ヨガルが、そしてイナル・シェリプは将来の外相である。この布陣の意味することは何だろうか?筆者は、複雑な状況にある現実的な政治を切り回す調整能力はイナルにあることの証左だと考えている。
本書の二人へのインタビューの終わりに、北コーカサス連邦の領域想定図が掲載されている。この境界線は慎重に、国際的にジョージア領と認められ、かつ現在の支配勢力がロシア領編入を志向しているアブハジアと南オセチアを域外としている。しかし将来、北コーカサス連邦が現実のものとなった場合、ロシアから切り離された両地域の住民は、ジョージア支配に服するよりも、むしろ北コーカサス連邦への統合を指向する可能性が、はるかに高いことを指摘しておきたい。
イリヤ・ポノマレョフ(1975年生まれ)についても若干触れておこう。彼の一族は、旧ソ連ノーメンクラトゥーラ(特権階級リスト)の最上位に位置する人々であった。ソ連崩壊後も、特権階層の状況は大きくは変わっていない。彼自身がロシア下院議員であっただけでなく、母親のラリサは現在はポーランドに亡命中であるが、上院議員であった。そして何より、叔父のボリス・ポノマレョフ(1905-1995)は、スターリン大粛清の始まった頃のコミンテルン時代からソ連の国際共産主義運動支配に関わり、1955年から引退する86年までソ連邦共産党国際部長として、長期にわたり国際共産主義運動を牛耳った。その間のソ連邦共産党の横暴な対外政策を直接見聞した者としては、感じの良い人当たりのイリヤに、教養人の知性を感じても、さらに近年の活動、とりわけ2014年のロシアによるクリミア強奪へのロシア下院での唯一の反対や、亡命先ウクライナでの自由ロシア軍団の組織などを肯定的にはみるものの、やや引いて、じっくり観察という立ち位置にならざるを得ない。
彼らに続いて、本書はフォーラムに参加している、様ざまな出自の運動の活動を紹介している。冒頭では、フリー・イングリアの活動家、デニス・ウグリモフを紹介している。たまたま彼は、第一日目、筆者の隣に座っていた。彼はイングリア民族旗のバッジを付けていた。デニスの民族的出自は不明だが、彼の立場は本書が紹介するように地域主義的運動で、サンクトペテルブルグとレニングラード州をイングリアの名のもとにロシア連邦から分離・独立させようというものである。
現在でこそ、この地はロシア領であるが、スウェーデン、フィンランドとも、さらには西端ではエストニアと隣接していて、複雑に領土争奪が繰返されてきた。一般に民族叙事詩カレワラは、日本ではフィンランドとロシア領カレリアのものと知られているが、カレワラ伝承は、イングリアを経てエストニアにまで広がっている。それほど詳しい訳ではないが、筆者は傑出した民族誌映像作家でもあったレナルト・メリ(1929-2006、独立回復後のエストニア大統領)の「天の川の風」(1977)や、「カレワラの響き」(1989)で、カレリアとエストニアを挟むこの地域もフィン・ウゴル系諸民族の居住地と知っていた。
ロシア帝国はまさに「諸民族の牢獄」であったが、それを打倒した旧ソ連もそれに輪をかけた民族の牢獄であった。ソビエト時代、国境を越えて同族を国外に持つ民族は、悉く苛烈な迫害を蒙った。そういう点では、イングリア・フィンは、絶滅危惧民族の一つだ。だから、この地に民族の権利回復や民族文化復興の運動が起こるのは必然でもある。しかし、そうした民族問題や文化の問題と切離して、地域主義者が、イングリアを旗印に使って、レニングラード州とサンクトペテルブルグの分離独立を主張することには、違和感が拭えない。プーチン支配下のロシアの現状への不満や反発、彼らの武装抵抗運動も含め理解できるが、広範な民衆の支持を得るには程遠い運動ではなかろうか?ウクライナ国軍が、イングリア小隊の形成を拒否した理由は判らないが、フリー・イングリア運動とイングリア一般住民との乖離を冷静に見すえた結果ではなかろうか?
この後本書では、カルムイク、ブリヤート、バシキール、タタール、サハ、クリミア・タタールの亡命活動家たちのインタビューが続いている。これらの活動家たちの出身民族もまた、ロシア、ソ連で苦難の道を歩んできた。思い返すと筆者は、これら六つの民族の出身者と、共に学ぶ級友であったり、世話になった知人であったり、ワンチームの仕事仲間だったり、作品中のインタビューの相手であったりと濃淡はあるが、何かしら接点を持ってきた。それ故、感慨深く諸インタビューを読みつつ、2004年に現代カザフスタンを代表する知識人で、初代中国駐在カザフスタン大使を務めた文学者ムラート・アウエーゾフ(1943-2024)が語った言葉を思い出した。
カザフ人は、遊牧から定住への強制、農業集団化の失敗による200万人が死亡した大飢餓や、居住地の収容所列島化、強制移住諸民族の受容れ、第二次大戦での膨大な戦死者、核実験被爆など様ざまな苦難を経験してきた。しかし、それら苦難の積重ねゆえに、民族としてより深い、豊かな人間性を身につけることが出来た。そして、自分たちと苦労を分かち合うことを強いられた他民族のその後の命運にも無関心ではいられないのだ。
同じ対話の中で、アウエーゾフはカルムイク人の強制移住についても語っていた。1944年の民族丸ごと強制移住でチェチェン人は人口の1/3とも半分ともいわれる犠牲者を出したが、それでも居住者が一纏めにして追放された。しかし、カルムイク人は家族ごとにバラバラにされてカザフスタンやシベリアの各地にバラまかれた。だから民族集団としての大切な伝統文化が維持できなかった。カルムイキアの文化復興の困難さには、本当に心が痛む。
敢てここで、この話を紹介するのは、元々カザフとカルムイクの出自であるジュンガリア(現代中国新疆省にあたる)のオイラートは隣接する遊牧民として数世紀にわたる抗争と敵対を続けてきた間柄だからだ。カルムイキアはボルガ川の西岸に位置するが、ボルガ東岸までの大ステップ地帯はカザフが支配する土地で、17世紀末、清の康熙帝により、オイラートがジュンガリアから駆逐されたとき、単純に西に逃げる訳には行かなかった。遊牧民の移動は、あくまでも五畜(牛、馬、ラクダ、山羊、羊)の群れを引連れてのものだ。彼らは度重なるカザフ遊牧民の襲撃をかわしながら、西へ西へと血路を開いてカザフの力が及ばないボルガ川流域まで逃げ延びた。ロシアの大河ボルガ川河口部はデルタを形成した大湿原であるが、ここには、初夏に見事な蓮の華が花開く。多分、これは敬虔なチベット仏教徒であるオイラートが携えて行った蓮の種からのものかと思う。アウエーゾフは過去の抗争に拘らず、誠実なカザフ知識人としてカルムイク民衆の近世の苦難に心を寄せたのである。
長いソ連支配による民族文化の破壊の結果で無理からぬのかも知れないが、筆者には参加活動家たちに、文化的浅さを感じた。ブリヤートのマリア・ハンハラーエワは、周囲から日本に行ったらモンゴル語学者田中克彦氏(1934年生まれ)と連絡して見ろと助言されてきた。彼女が携えてきた電話番号に、相談された筆者は、構わず電話して出た人にブリヤート語で話しかけてみろと助言した。出た人が田中先生なら、彼はブリヤート語を理解する、そのまま対話を続けろと。マリアは寂しそうに、私、ブリヤート語は喋れないんだと告白した。ロシア語も、英語も堪能なのに、自身の民族語が喋れない。実は多くの旧ソ連知識人に共通する難問なのである。才能に恵まれたオペラ歌手だった彼女は民族問題に目覚め、ロシアとの戦いに身を投じた。願わくば、その戦いに厚みを持たせるためにも、ユーラシアに広く散らばる同族たちとの連帯のためにも、言葉の問題を捉えて欲しいと感じた。単に砂漠や草原だけでなく、シベリアの森林地帯にもモンゴルがいて、豊かな民族文化圏を築いていたことを知らしめてもらいたいものだ。
本書の締めの部分は、東京フォーラム第一日のモデレーターを務められた神戸学院大学岡部芳彦教授とウクライナ人国際政治学者グレンコ・アンドリー氏の鼎談となっている。この内容は、ロシアの連邦崩壊と不可分な関係にあるウクライナにおける侵略戦争の近未来についてと鼎談の副題となっている日本に本拠を置く「自由ユーラシア調整センター」構想の二つだ。
本書の題名やテーマがロシア崩壊にあるので割愛されたのかと筆者は思うのだが、第7回フォーラムの大きな特徴は、著者の長らく関わられた中国少数民族との関りであって、中国から日本に居を移して自民族の擁護に立ちあがっている若い世代の人びとの参加、発言、フォーラム進行へのボランティア支援があった。第一日目の会場では目立たなかったが、第2日会場で筆者は、主にオンライン参加の旧ソ連各地から発言の会の進行や制限時間を無視した、言いたい放題を聞き流しなら、リアル参加している日本在住のボランティアたちの様子を観察していた。
確かにロシアないし旧ソ連と中国では被抑圧民族の置かれている状況は異なるが、モンゴルをはじめ、エヴェンキや極東のナーナイ=ヘジェなど、さらにはロシアではないが、中央アジアやカザフスタンと現在の国境線の両側に暮らすウイグル、カザフ、タタール、キルギス、タジクなど問題を抱える多くの民族が中国領内で、呻吟している。香港やチベットの問題もある。イナル・シェリプが指摘したフォーラムとは別箇にという意味も、ポスト・ロシアに限定せず、二つの黒色帝国主義国家をはじめ、これらと枢軸を組む国々で抑圧される諸民族、民衆に手を差し伸べるセンターであることが望ましいのではないか? 活動資金の問題はついて回るだろうが、高い理想を掲げなければ、人も金も何も集まることは無いだろうと考える。
2024.11.02.稿
(チェチェン連絡会議サイト トップページ
https://note.com/chechenkaigi/ )
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