![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/90747758/rectangle_large_type_2_4a5f3e56e918999ccf80061d02303422.jpg?width=1200)
風が吹く場所
高校を卒業してから親元を離れて、京都の短大に進学した。
高校3年の進路を決める頃、私は精神的にかなりきつい状態だった。
休まず学校に通ってはいたけれど、毎日が辛かった。自分の価値が全くわからなくて、元々私がこの世界にいなかったみたいに、消えてしまえたらいいのにっていつも思っていた。
表向きは友達もいて、暗く見えるタイプではなかったけれど、なんとか毎日をやり過ごしていた。
私には将来やりたいこともなかった。毎日をやり過ごすのに精一杯だった。
そんな全くこの先の道を決めようとしない私を心配してか、担任の先生がある学校を薦めてくれた。
ちょうど学校見学に行ってきて、その学校の雰囲気が私に合うと思うと。
両親にとっては、これで進学してくれるかもしれないと、渡りに船だったと思う。
きっとあの頃二人は私のことでとても胸を痛めただろう。大人になった今ならわかる。
私は何もしたくなかったし、どこにも行きたくなかったけれど、同時に何もしないことが怖かった。このまま何もしないでいたら、私はきっと家に閉じこもってしまうだろう、そしたら永遠に外に出て行けなくなるかもしれない。
それがいちばん怖かった。
だから私は担任が勧めてくれた、京都の学校に進むことになった。
そんなふうにして進学したけれど、私は学校にある学生寮に入って、仲の良い友達ができた。親元を離れてみんなと一緒に生活することで気が紛れたし、友人達に元気をもらっていた。
2年生の夏、一番仲の良かった同じ学科の友人が、一緒に帰省しようと誘ってくれた。
その友人は下関出身で、お父さんは門司港のフェリーの船長さんだった。だから神戸港から出るフェリーに乗って北九州まで帰ろうと。私は二つ返事でOKした。
一緒に仲の良かった広島出身の友人も誘って帰省することになった。
3人で午後の神戸港でフェリーを待って乗り込んだ。その日の船長さんはもちろん友人のお父さんで、私たちは船室にも招待してもらった。
船室からは、進行方向に広がる海が広々と見渡せた。船で一晩過ごすのも、もちろん船室も初めてで、わくわくした。
ただの帰省ではなくて、親元を離れて、旅を楽しむという経験の始まりはこの時だったのかもしれない。
4人用の客室を用意してくれていて、そこが私たちの部屋だった。
確かカラオケ室もあって、3人でカラオケもした。
そして朝目を覚ますともうそこは北九州だった。
九州に上陸したのは、生まれて初めてだった。
門司港では友人のお母さんが車で出迎えてくれ、関門トンネルを通って下関まで送ってもらった。
下関の駅で友人と別れ、広島の友人は新幹線、私は出雲に向かう特急電車に乗り込んだ。
私は不思議な解放感を感じていた。
いつもの帰省の道のりではなく、知らない場所を一人で電車に乗っている。
下関から出雲に向かう路線は海沿いを走る路線で、晴れた日で海がきらきらと輝いていた。
何度か、静かな田舎町の駅で停車した。
今でも忘れることのできない光景がある。
途中、海沿いをそれるところがあった。
駅を出てしばらく進むと、周りは広々とした草原になった。
昼の光に照らされた青々とした夏草が、列車の起こす風に揺れている。
そして、その草原の向こうには山があり、裾野までずっと草原を風が渡ってゆく様子が見える。
遮るもの何もはなく、草原はその向こうのなだらかな山へとつながってゆく。とても穏やかで静かな光景。
20年以上前のことだけれど、今も夏の眩しい光に照らされて、私の中に眠っている。
下関から日本海沿岸を辿って山陰に向かう長い路線。小さな駅では人がぽつりぽつりと、乗っては降りていく。
そののんびりとしたルートではなかなか出雲に辿り着かず、当時はスマホもなかったから、その後私は少し退屈しながらもずっと窓の外を眺めていた。
出雲の駅には母が迎えにきてくれていた。
もう20以上前の、初めての友人との旅の記憶。
草原を風が渡るあの美しい場所。
私の胸の中に眠るあの光景は、今もそこにあるだろうか。