幸せになりたくない!
最近の学びの備忘録
ある講座に参加して、
これまでの人生を振り返った
いつもと違う視点から見る
私の人生は発見の連続だった
私たちはほとんどの場合、
自分の人生を目の前のものを
至近距離で凝視しているような
そんな状態で生きていると思う
自分がどんな思い込みをもとに生きているかなんて、
気づくことがないし、
そこに思い込みがあるなんて
思いもしないかもしれない
私の場合は
「幸せになりたくない!」
という思込みをもとに生きていたってきづいた
人生の前半は苦しいことが沢山あって、
何も持っていないと思っていた私にとって、
意識下では、
その複雑な苦しみを生き延びてきた事だけが
私の達成した事だと思っていたのだ
だから、幸せになりたくなかったのだ
幸せになったら、
あんなに苦しんだのは何のためだったの?
って思うから
私は私の人生にリベンジしていたのだ
幸せになんかなってやるもんか!って
それで、さらにネガティブなものを集めて
それに薪をくべて
恨みの火を絶やさないようにしていたのだ
でも自分の意識のなかでは
なんでいつも私の人生は
こんなに苦しいんだろうと思っていた
人生に起きた辛いことや
嫌いな人のことをずっと考えてしまう
思春期からのその謎がやっと解けた
今は、ネガティブなことに執着しそうになると
そうだ、私は幸せになるために生きてるんだ
って思い出して繰り返し手放していける
それだけでどれだけ心も体も軽くなったか
私は楽しいこと、
幸せなことに手を伸ばしていけるのだ
そして、今までは私にはできるわけがない
と思っていたことが
もしかしたらできるかもしれないに変わった
これは人生の見方を
まるっと変えるような気づきだった
私は苦しみを生きることに
もう充分満足したのだ
人には傷付く自由も、苦しむ自由もあると思う
決して意味がないわけじゃない
そして、その経験に満足したら
痛みや苦しみの霧から目を覚まして
より本来の自分に向かっていくのだと思う
地球に生きることは
たぶん多くの人にとって
痛みや苦しみを経験して
そこから目を覚まし続けることなんだと思う
私たちは摩擦を経験することを
プログラムしてきているんだと思う
これから私は幸せを選んで歩いていこう
それが頭だけではなくわかって
どことも矛盾がない感じ
そして頭と意識の矛盾がなくなればなくなるほど
私はもっともっと
自分のやりたいことができるだろう
そして、自分の人生に幸せと
充足を感じられるだろう
人生ってなんて壮大なゲームなんだろう