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煙草を吸う理由を書いておこうと思う

「辞めた方がいいですよ」 と先輩の教員に禁煙を勧められ、そうですよね、と言いつつ二本目の煙草に火を移す。炎天の中の煙の匂いは一年の中で最も鼻に合わない臭気だ。何かと賑やかだから夏を慕っているし、何かと寂しい冬は嫌いなのだ。ただ、煙草は冬に吸う方が圧倒的に美味いことを認めざるを得ないと思う。
朝起きて煙草を淡々と吸うことが常套になった頃、ふらりと家に上がり込んできた大学の先輩からも同じ台詞を貰った。来訪一度目にして断りも入れることなく、相手の肺を汚さんとする後輩って、今思えば凄く失礼なことだと思う。「喫煙者は協調性が低い」 みたいなニュアンスの論がYouTubeに書き殴られているのを見たことがあるけれど、こういう所なんだと思う。その日も、今日みたいな暑い日だった。餞別にさ、と受け取ったキシリトールガムのボトルを開けて、二粒ポイッと口に放り込んだ。段々とそれらしい味が無くなっていく様は煙草とよく似ていて、これで辞められますね〜とニタニタ笑いながら駅前で解散、改札の奥へ人が消えていくのを確認してからガムを吐き出して煙草を咥えていた。どうしようもなかった。ボトル購入後から1ヶ月経たずして、ミントガムを噛みきった清涼感を肴に喫煙をするのが癖になってしまい、行き止まりの材料が奇しくもブーストになった。500円を握り締めて煙草を買う生活から逸れて、ボトルガムと煙草をセットで会計を通し、1000円を消費する生活が始まった。先刻空いたボトルの用途は灰皿へと変更され、風の強い日などはベランダでパクパクと蓋を揺らしていた。

感染症流行の影響、ロックダウンを従順に守る生活によって小説を書き始め、片手間にエッセイを書き始めて4年。毎号平均1000字程度の積み立ては通計300本を超えた。文を書くからには本番一発、タスクを組み立て消費することを何より苦手としているから煙草を吸っている合間にほぼほぼ書き上げてきた。生活空間上の空虚な部分であるとか、実存しない書き物を始めるには先ず頭を空っぽにしなければならないし、ひと思いに躊躇なく乱文を産み続けるには何かと喫煙というドーピングは都合がいい。恐らく私が筆を置く時は、今みたいな雑然とした生活を辞める時だろうと思う。確実に今のままじゃ駄目だろうと思っては居ながらも、これを動機に交友を拡げすぎたし、言葉を書きすぎてしまった。だから20代というフレキシブルな年代であるうちは、ニコチン依存と執筆依存の合併症に罹った状態で生活を続けるしかないのだと思う。

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