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オムライス

料理にはそこそこの自信がある。パスタソースは既製品を使うより私が作った方が美味いと思うし、舌の肥えた友人各位からの一定の評価もあった。その気になれば20種類くらいまでならパスタソースを作ることも可能だ。某ファストフード店で貰ったナゲットソースの余りでソースを作ることもままあった。不思議なことにクリスマスにお相手が居た経験がないので、キムチパックを用いて一からキムチ鍋を、肉と赤ワインを買ってきてはミディアムレアのステーキを、寒ブリを捌いてブリ大根を作るなど。人生最大のモラトリアム期を逆手にとって挑戦した料理を上げれば枚挙に暇がない。私の手にかかれば何だって調理してやれる、そんな気概に満ち溢れていた。好奇心を気ままに振り翳せた学生時代はラード、鶏ガラ、豚のガラまで取り揃えて二郎系ラーメンを作ったことだってある。しかしそんな私でも唯一不得手なジャンルがあった。卵を使った料理、厳密に言えば卵の食感を極限まで残した料理である。

生まれて数ヶ月で卵アレルギーを発症し、三途の川を渡りかけるも無事に引き返すことに成功した過去がある。これには現代医療に感謝するしか法はない。卵という食品(ここでは鶏卵に限る)が使われる料理は多いが、これがかなり難しい。まず、火にかけて数秒で固まる性質があるが故、火加減を絶妙に調整しなければならない。抜群の安定性を持ったIHでは逆にパワーが足りず、炎に頼ると余分な焼き目を付けてしまう。手のかからないゆで卵と違って、だし巻き玉子やオムライスなどは宿敵に均しい存在だった。ひとり暮らしをしていた頃、冷や飯を使ってチキンライスを用意し、オムライスに心血を注ぐも、クックパッドと3年に及ぶ修行では太刀打ちできない壁があった。ドレスドオムライスを作ろうとすれば、ドレスドスクランブルエッグが誕生する。ふわとろオムライスを作ろうとすると、ガジガジのクレープ生地様の無名料理が完成する日々を送った。当然、ヘッダーに使われる写真も私が作ったものでないということがお分かりいただけるだろうか。オムライスという野郎は一度に使う卵の分量をケチると成功確率が伴って落ちてしまうのだが、高騰を続ける卵を大盤振る舞いすることができないほど、当時は経済的な問題もあった。幾度とない失敗を繰り返した結果、「作らない方がいい」という結論に至ってここまで来ている。

社会人になった今、呑気にぬくぬく実家暮らしに浸るあまり、キッチンに向かうことも少なくなった。たまにコンロに火をつけるのも、冷凍食品を湯戻しするタイミングに収まっている。腕を奮う料理なんて暫く作っていないし、自炊とは縁も切れかけている。
言葉も紡がなければ鈍ってしまうし、何事も怠慢を継続した分だけ、それに対するこだわりのようなものが鈍麻していく。一度は途切れた習慣を不器用ながらに拾い集めたら、少しは形になるのだろうか。週後半は訳あって母が家を空けると聞いている。その時こそが再び卵料理、もといオムライスに挑戦する機会なのかもしれない。

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