金木犀
匂いすらも、写真に写ったらいいのに。
「金木犀が咲いたね」
と呟く声を聴きながら、そう感じることがある。そもそも祖母が開花に気がついたのは庭の樹木にて鈴なりになった蕾がすっかりと膨らんで、満開を迎えてから二日後のことだった。御歳88歳の祖母は10年ほど前から嗅覚を完全に消失していて、もうここ何年も、匂いというものを知らない。53歳という若さで急逝した旦那のこともあってか、祖母という人間は人一倍健康に気を遣っている。味噌汁には決まって煮干しが入るから、祖母のつくる味噌汁も豚汁も、果てはけんちん汁に至るまで輪郭のはっきりした生臭さが立ちのぼる。時折それらを貰って口に運ぶものの、母親譲りの嗅覚過敏とはまるで馬が合わない。祖母のかかりつけ医曰く、もう未来永劫嗅覚が戻ることはないという。金木犀の存在においても、NHKの開花速報を見聞きするなり知ったことであって、いくら口先で説明しようとも匂いから臭いに至るまでを、祖母は知らずにいるのだった。
そんなこともつゆ知らず、祖母の邸宅の脇では枝振りのいい金木犀がたった今も腕を伸ばしている。
ポプリを作り始めてから、今年で3年目になる。判で押したような生活によって感覚を失う身体に季節を改めて刷り込むという意味でも、荒んだ精神にひとつの潤いを与えるという意味でも、こうした活動が非常に重要な意味を持つ。
当初は不織布に包んだお粗末なもので、半年も経つとポプリとして機能しなくなった。2年目になると小さな薬瓶を入れ物として用いたが、分量の少ないそれの香りすらも大したものではなかった。ポプリをポプリたらしめるために大切なことは他でもない、含有する花の分量であり、花は多ければ多いほど、詰め込まれる香りも格段に良くなる。金木犀の特性上、花が乾燥すると同時に香気を失うため、ラベンダーのようにドライタイプは何よりも向かない。容器はなるたけ密閉性の高いものを、ならびに塩蔵式であるモイストポプリを選ぶ必要がある。
今年入れものとして召喚されたのは、自宅に保存されていた千疋屋のゼリー瓶。目立ったエンボス加工もなく、浮き玉のようなつるりとした丸みのあるデザインは、単体でも置物として成立するほどだった。着崩したスーツに身をくるんで散歩に出かけ、遊歩道脇の草木の中から金木犀の花弁のみを回収する。ねずみ色のアスファルトの上に落花した金茶の塊は交通信号機の僅かな光のもとでも分かりやすく、散りどきを待たずして落下した花々はどれも綺麗なものばかりだった。ものの20分ほどでゼリー瓶の口許をびっしりと花弁が包むほどになり、風で飛ばされないようにこれを持ち帰る。
近頃話題になっているアトラス彗星が9月に発見されてから、10月のここ数日間見頃を迎えているが、関東上空を包み込む曇天に空振りを食らう形で、未だ観測には至らない。13日時点で1等級の明るさを誇っていたアトラス彗星もピークを過ぎて、今では2、3等級まで明るさが落ちている。スターリンクを拝むまでにふた月の時間を要した私だから、もしかすると今回ばかりは観測も叶わないかもしれない。こうして拳に握られた金木犀の塊だけが、アトラス彗星といったところだろうか。
キャビアが法外な値段で売られているのは、カラスミもこれまた高い値段で売られているのは、販売に至るまでの手間にあるという。細やかな手間を楽しむような性分だから、こうしたものたちを暴利だと思うこともないが、キャビアもカラスミも大枚を払うほど美味しくはないと思ったり。
金木犀のポプリひとつを作るだけでも、とんでもなく根気のいる作業を必要とする。房から伸びた茎を外さなければならないのだ。まつ毛1本相当の青茎をそのままにすると、香気にかなりのエグ味が混ざってしまう。机上に撒かれた数百から、茎だけを取り出せねばならないわけである。とはいえ、指で茎を摘めば萼もろともポロッと分離する構造を持っているから、かたまりの中からひとつひとつ行われる分別作業は、思いのほか軽やかに進められた。みずみずしさが何よりのものだから、手早く行わなければいけない。結局この作業には2時間ほどかかった。こうなったら後は、丹念に瓶詰めをするだけである。一層目に平たく花弁を並べたのち、二層目には塩の層を、これまた平たく並べていく。色彩を持たない部分と、色彩に満ち満ちた部分の対称が、ボルタ電池を彷彿とさせる。授業などそっちのけで、コラムに載ったボルタ電池をまじまじと眺める少年の姿が、遠くの方に見える気がした。塩と花とを七層ほど積み上げて封をする頃には、時計は2時半を指していた。
さて早速匂いを楽しもう、とはなれない。塩蔵された花たちが正気を保った状態になるまで、ここから3週間ないし4週間は待たねばならない。作りたてのものは発酵臭が強く、その香りはお世辞にも心地よいものとは言えなかった。せっかく作り終えたというのに、私も金木犀も、暫しの休眠に入ることになる。暗所での保管を経て、今から4週間後。戸外の金木犀も皆散ってしまう時分になってから初めて、香りを楽しむことができるなんて、とても素敵だ。これなら冬になっても、秋を目の前に見られる気がする。
完成したものを祖母に見せてあげたい。匂いは分からずとも、写真には写せないとしても、それがいくら仄かなものであろうと、祖母の記憶に残る香りはあるはずだから。
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