見出し画像

NZ/アースソング ロビン・アリソンさん来日報告(3)

今回はロビンさんに同行して各地を回ってくださった通訳であり、アースソングの住民でもある神谷ユキさんが執筆くださいました。ロビンさんと日本各地を訪問して感じたことだけではなく、自身のNZ移住のきっかけやコレクティブハウジングやアースソングとの出会い、そしてアースソングでの互助的な生活の実践と隣人との関わりの中で得たもの、感じたこと、これからのご自身の住まい方など大いに語ってくださいました。

********************************************************************************

南半球ニュージーランドのアースソング・エコネイバーフッドに家族で暮らし20年が経ちます。ここまで何度も話題に出ているので、すでにご存じの方も多いかと思いますが、アースソングは25年前に発起人のロビン・アリソンをはじめとする有志がパーマカルチャーとコウハウジング(コレクティブハウジングと同義)の原則に基づいて100%住民主導で開発し、その後、住民の多くが入れ替わりながら現在も自主運営し続けているニュージーランド初のコウハウジング集合住宅です。

今年の6月、私の一時帰国に合わせてアースソング発起人のロビンが初来日し、7か所でアースソングのプレゼンテーションをさせていただきました。また昨年、通訳付きで日本人向けに開催したロビンのオンラインセミナーの参加者の多くが、日本でパーマカルチャー、エコビレッジ、トランジションタウン、コレクティブハウジングなどに関わる建築士さんや地主さんなど地域社会のリーダーの方々だったため、その各地の現場を訪問することも今回のロビン来日の大きな目的でした。ロビンの通訳という名目で私も、神奈川県の辻堂と藤野、徳島県神山町と上勝町、北海道札幌と余市と下川町に同行させていただいて、日本の風土に合ったエコ建築と着実に高まっている各地のコミュニティ再生の動きを目の当たりにして、大いに刺激を受けました。

今年15周年のコレクティブハウス聖蹟にも訪問し、コモンディナーにお招きいただいた後、アースソングのプレゼンと各コレクティブハウスからのショートプレゼンで活発な情報交換を通して、アースソングと同じくらいの年月を経た日本のコレクティブ暮らしの経験値の厚みを実感しました。思えばCHCとの出会いは、私がアースソングに住み始めた翌年の2004年の帰国時に、日本でもコウハウジングの実例はないか探したところ、CHCを見つけて狩野さんと知り合い、できたばかりのかんかん森を訪問したことが始まりでした。振り返ってみると、アースソングのこれまでの25年の歴史と同時期に、日本でもコレクティブな暮らしやパーマカルチャー、トランジションタウンなどの社会実験が同時進行していたわけで、異なる場所でそれぞれが積んだ長年の経験値を社会的資源として共有する機会として、今回縁が改めてまたつながったことの必然性を感じます。

今回のロビンと私の訪問先はすべてが非常に示唆に富んでいて、とても一回で報告できるものではないので、それはいずれまたの機会に。各地のアースソングのプレゼンの報告についてもそれぞれの場で参加してくださった皆さんの感想に委ねたいと思います。ここでは、20年前日本社会に居場所を見出せなかった私が、改めて祖国日本を見たニッチな視点からのつれづれをお伝えしたいと思います。

まず、日本人一家の我が家がなぜニュージーランドに移住したの?と、ほとんど毎回聞かれるので話はここから。毎回聞かれるたびに一言で答えられず窮するのですが、私自身は日本で生まれ、父の転勤で暮らしたタイから10代で帰国した日本の学校や社会に対して感じた強烈な違和感(どうにも理由が納得できない校則や先輩後輩のヒエラルキーとか成績学歴重視の競争社会とか)を抱えたまま、大きな組織から外れた道を選び続け、環境教育、体験学習、コーチングなど、直観的に心が動くことを仕事にしていたのですが、自分自身が家族を持つようになると今度は、孤立した核家族の子育て、循環しない都市の住環境、ジェンダーや年齢バイアスなど、別の角度からの日本社会の生きづらさが見えてきて、2003年に第三子が産まれることになった時、自分がありのまま自然に生きていける居場所を日本社会で探すのは無理かも、と直感して国外移住を決めました。この時点でアースソングのことは
全く知らず(プロジェクトは立ち上がっていた時期でしたが)、だれも知り合いのいないオークランドで、子供が通い始めたシュタイナー幼稚園のつながりから偶然アースソングに出会うこととなり、あとで考えると無謀というか、運が良かったというか、見えない縁に導かれたとしか思えません。

子供三人を抱えての家族でのアースソング生活は目から鱗でした。日本では両親からたくさんのサポートを得つつも核家族の子育てで、周囲にかける迷惑を気にしていつも緊張の消えない生活だったのが、アースソングでは、子供たちが空間を自由に行き来し、隣人たちがよその子の存在を心から喜んでくれて、力が抜けたように子供のいる生活が辛くなくなったあの感覚は今もはっきり覚えています。家族が地に足つけて暮らせる居場所がここにありました。

コウハウジングの大事な概念の一つに、プライベートとコモンの両方が保たれているということがありますが、どこに公私のバウンダリーを引いてバランスを保つかを考えるときに、ある意味、私にとっては生きづらかった日本社会で鍛えられた公共心が非常に助けになったことは大きな発見でした。社会全体が幸せでないと個人の幸せはありえない、というような公共に対する感覚は、個人主義で育った欧米人の多くは身に着いていないためか、アースソングで起きるトラブルの多くは、この公私のバウンダリーを引く位置の相違に起因するように思います。日本的な公共心の素地があるところに、欧米的な個のとらえ方を加える、コモン→プライベート、という方向性の方が、プライベート→コモンという方向性より身に着けていきやすいのでは、と経験から思います。コモンの概念は世界中の先住民に共通しているようで、ニュージーランドの先住民マオリも同様ですが、そのベースを持つ日本人はコレクティブな暮らしのポテンシャルがすでに文化的に備わっているのかもしれません。

とはいえ、個を犠牲にせずにプライベートとコモンのバランスをとれるようになるには、訓練と慣れが必要です。私自身は、アースソングで実に多様な背景の隣人たちと暮らし、コミュニケーション協約やカラーカードの合意形成を「訓練」する機会が多々あったことと、他者を傾聴し信頼する、問題を客観的に整理する場数を多く踏むことで、罪悪感や義務感からではなく自分の心の動きに従って行動することに自信が持てるようになりました。この自信は、アースソングの生活だけでなく、仕事や広い社会でも非常に役立っています。コレクティブな暮らしを経験された方なら恐らくわかると思いますが、「暮らし方を選んだだけなのに、こんな特典が付いてくるなんて聞いてない」と隣人間でも笑い話になります。これって外でお金払っても得られない、とても貴重な特典だと思います。

プライベートとコモンのバウンダリーについてもう少し堀っていくと私益と共益の話になります。ロビンも本来は建築士だった自分のキャリア(私益)を捨てて、アースソング開発時のコーディネーターの役割の中で建築士としてのスキルと経験を生かす(共益)と決めた経緯があります。今回の訪日で日本の風土に合った美しいエコ住宅を見て、建築士を続けていたら自分もこんな設計がしたかったと、ロビンの心が揺れていたのが印象的でした。私自身も美しい風土の祖国に戻るたびに、暮らしの選択肢がゆっくりと広がっているのを見て、どうして自分は日本に居場所がみつけられなかったのか、と自問自答することがありますが、流れのままに直感に従って選択してきた結果、インクルーシブなニュージーランド社会とアースソングに出会い、ありのままに家族で暮らし、そこに通訳という自分のキャリアが合わさること
で、気づいたら国を超えて、社会的資源の共有と対話を促すことができる立場(これも共益?)となりつつあるのかもしれません。過去の自分の小さな選択がつながっていって、誰もが居場所を見つけられる生きやすい社会を共創する当事者にもし自分がなれるのであれば、こんなにありがたいことはありません。

さて同時進行の社会実験はこれからどう続いてゆくのでしょう。暮らしのプライオリティは常に変化し続けます。私個人で言えば、子供たちが巣立って今度は日本にいる高齢の親が気がかりです。国を超えたハウススワップや二拠点生活?移動生活?具体的な形は見えませんが、対話の中から生まれてくる方向性の中にその答えが見えてくることを願ってやみません。(皆さんからのアイデア、提案大歓迎です)
(通訳兼アースソング住民 神谷ユキ)

いいなと思ったら応援しよう!