見出し画像

【創作大賞 恋愛小説部門】  素足でGo! ④

4話『アベベェー』
パソコンのモニターに、お腹がポッコリとした女性が横切る姿がうっすらと映った。
向かった先を見ると、11月の秋らしい栗色のワンピースを着ている女の人が、お尻を振りながら歩いている。
デンデン太鼓のように腕を横に振っている後ろ姿が可愛らしかった。
妊婦さんなのかな? と思っていたら、「総務部からのお届け物です」という声で、花江さんだと気付く事ができた。

 妊娠8ヶ月→毎日ごはんが美味い→家でゲームしてた→暇→育児休暇関連の用紙を総務部まで届けに来た→営業部の課長あての届け物があったので、ついでにきた。 

という事を花江さん特有の、高いアニメ声で説明していた。
「ジャキーン」
突然に、課長に左手の甲を見せつけた。
シャルウィダンス? 
とオフィスで課長に踊りのお誘いでもしているのだろうか。
そう思っていたら、ただ単に婚約指輪を自慢しているだけだった。
婚約指輪を見せる時の効果音って『ジャキーン』だったっけ。

 1カラット→銀座で買った→オーダーメイド→選ぶのに2時間かかった→旦那さんはずっとスマホいじっていた。

 課長は「そうか……うんうん…」と仕事中なのに、きちんと相槌を打ってあげている。
課長の目が犬と接している時と同じ目をしている。
愛犬のチェルシーが尻尾を振りながらおもちゃを咥えて近づいてくる時と一緒で、妊婦の花江さんの婚約指輪の自慢話を聞いてあげていた。

 なんか、可愛いもんな、妊婦の花江さん。
僕は、小鳥のさえずりを聞いている気分でパソコンのキーボードを打っていた。
「元気な赤ちゃん産むんだよ」
「それでは失礼いたします」
ペタペタと僕の後ろを通過する時に、
「じゃあねぇぇん、お仕事頑張ってねぇぇん、大輔君」
と言いながら、僕のうなじを軽く指でさすった。
「またね」
僕はモニター画面から目を離さず、ボソッと答えた。
そして、営業部の扉を開けた時に「ギヤー」と悲鳴をあげた。
僕はびっくりしてモニターの画面から目を離し、花江さんの顔を見たら僕の顔を見て驚いている。

「アナタ………、誰!」
「お久しぶり! お腹の子供順調?」
扉を中途半端なままにして、目を丸くしている。
大輔大輔君の席に座っているから、大輔君と決めつけて、ちょっかいだしたけど…」
身体をワナワナと震わせている。
「よくよく考えてみたら、大輔君ってあんな後ろ姿じゃないから、ヤバイ間違えた! と思ったけど、やっぱり大輔君だったぁ!」
他の人たちがクスクスと笑っている。
「うわぁ……気持ちわるぅ……なにぃ、大輔君、脱皮でもしたの? やり方、私にも教えてよ」

よろよろと僕に近づきながら言ってきた。
ちょっと立ってと僕を促し、胸とお腹まわりを税関の取締官のようにボディチェックを始めた。
「前に合ったのって7月だよね? 4ヶ月で何キロ痩せたの?」
「25キロぐらい」
「25キロ! うわぁ…どぅやって痩せたの? 私も子供を産んだら同じことやるよ」
僕は照れくさかったので、口に出して言わずに、腕を振ってランニングをする真似をした。
「うっわ……何その突然のジェスチャークイズ………うーん、えーっとね…………………わかったぁ!」
手の平の上にグーをポンと押し、「覚せい剤!」と言って僕を指さした。

「もぅ帰れよ! お母ちゃん!」
花江さんは、腕に注射を打つ真似をし、気がふれているほどの満面の笑顔になって腕をバタつかせ、急に正気になって「そりゃ痩せるわな」とボソッと言った。
新人の研修の時から、ずっと僕を茶化し続ける、花江さん。
「いゃぁ…大輔君、結構イケメンだったんだぁ……彼女とかできちゃうんじゃないのぉ」
僕はその言葉で急に胸が締め付けられた。
ふぅと息をつき、椅子に座ってモニターを見てキーボードを打ち始めた。
「またね、花江さん、帰り、気を付けてね」
とモニター画面から目を離さずに僕が言うと、花江さんは、
「それじゃあね、ちょっくら産んでくるよ、またね大輔君」
と返し、扉を閉めて営業部から出て行った。
無理だ。
彼女とか無理だ。

今さっき、エレベーターの前で楓さんにあった。
 4ヶ月間、猛特訓をし、茨城県のつくばマラソンに今月末に出場する事を伝えた。
「なんで、わざわざ、つくばなの?」
楓さんに聞かれた。
 横浜マラソンは抽選で漏れて、湘南国際マラソンは、定員人数を超えていて遅かった。
「けっこうブームだったんですね、フルマラソン大会」
家から一番近くて、開催日が速いのが、つくばマラソンだったからだ。
もっと早くに走りたかったのだが、どの大会も4か月前くらいに申し込まなければならなかった。
「おそらく、4時間切れると思うので、約束覚えていますよね」
小指をチラつかせながら、不敵に、楓さんに言った。
 楓さんは何も答えてはくれず、一人でエレベーターに乗った。

僕は笑顔で手を振った。
4時間を切る事に自信があったからだ。
普段の練習通りにやれば、当日、何のトラブルもなければ、4時間を切れるハズだった。
僕の自信に満ちた、その笑顔を、ちょっと悲しそうな目で見られている事には気づいたのだが、僕は、ブンブンと腕を振り続けた。
 もう勝ったも同然とばかりに。

そして、扉が閉まる最中に、
「大輔君ちょっと、来て」
と言われた。
頑張ってね、とか、本当に4時間切ったら彼女になってあげる、とか言われるのかと思い、慌ててエレベーターの扉に近づき、『開』のボタンを押し、期待に胸を弾ませた。
「なんでしょう」
「裸足で走って」
「えっ……」
瞬きもせず、やっぱり少し悲しそうな表情で、僕に伝えてきた。
僕は、なんて言い返してよいか分からなかった。
もう腕を振る事なんてできない。
『閉』のボタンから指を離すと、扉が閉まった。
楓さんは最後まで僕から目を伏せたままだった。

裸足でフルマラソンを4時間切るとか無理だって………。
 
キーボードを打つ指を止めた。
ふぅとため息をついた。
「ファファファファーン」
隣の営業部一課から、花江さんが婚約指輪を披露する声が聞こえた。
 花江さんは、効果音をファンファーレ風に変えていた。




 コンビニでサラダチキンと200円のおでんセットを買った。
月、水、金の夕御飯はいつもこれにしていた。
お店を出た時のピローンという退出音を聞いた時に、スッと心のモヤモヤが解けた。
花江さんが歌った、婚約指輪を披露した時の効果音は『ファイナルファンタジーのバトルの勝利の音』だと気がついた。
そこはかとない達成感を感じるこのメロディ…なんだっけと思いながらずっと仕事をしていた。

 今日、どうしようかな。
毎日、朝10キロ、夜も10キロを走っていた。
仕事の休みの日は30キロ走るのを日課にしていた。
 10キロを55分ペースで走れるようになった。
42キロまでなんとか持続できれば4時間を切る事ができそうだ。
だけど…。
だけど、大会まであと3週間という所で新たな難題が出てきた。
裸足。
無理だろう……。
だって現に今、目の前のアスファルトの上に誰かが落っことしたガラスの破片が落ちているし。あんなの素足で踏んだら大流血だろうよ。

 さっきネットで『裸足、フルマラソン』で調べたら、アベベという人がヒットした。
なんでも、この人は裸足でオリンピックに出て金メダルをとったそうだ。
アベベ。
君はなぜ、裸足で走ったのですか?
靴を買うお金がなかったの? 
何かの罰ゲーム? 
やっかいな片思いの女の人に何か言われたの?
アベベ……。
君、凄いよ、裸足で金メダルなんて、アベベ。
アベベ……アベベ……、
「アベベェー!」
つい感極まってしまってちょっと口に出して言ってしまった。

ふぅ…。
コツコツと革靴がアスファルトを叩く音、足取りが重い。
 お月様が綺麗だなぁ。
10階建てのマンションの横に、あと2日ぐらいで満月になりそうな月が見えた。
 遊歩道の横に、象を形どった子供用の滑り台があった。
クネっと地面に垂れている像の鼻っぱしに腰掛けて、月を眺めた。 
この夏、一滴もビールを飲まなかった。
この秋、一度も1800キロカロリーを一日も越さなかった。
もうちょいだ……、もうちょいやってみよう。
革靴を脱いだ。
靴下も脱ぎズボンのポケットに突っ込んだ。
左手にコンビニ袋を持ち、右手に靴のかかとを両足分指でつまんで立ち上がった。
アスファルトのちょっとしたブツブツが、足の裏に突き刺さる。 

少し歩いてみた。
裸足で道端を歩くのなんて、いつ以来だろう。
小学生の頃、稲刈り後の田んぼで泥だんごを作り、友達と戦争ごっこをした。
その帰り、ドロドロになった靴を持って裸足で歩いた。
それ以来かな。
今は立派な普通の大人のサラリーマン。
スーツ姿の人が裸足で帰宅。
下を見ながら、ゆっくりと歩く。
網状になっている下水溝のフタの上にわざと足を乗せる。
銀色の線の部分が、足の裏を冷たく痛めつけてくる。
犬を連れて散歩している年配のおじさんが「こんにちは」とすれ違いざまに挨拶してくれた。スーツで裸足の人なのに。
でも黒い柴犬は僕を警戒している。足元をジッと睨んでいる。
賢い犬だな。

「こんにちは」
犬とおじさんに挨拶をした。
すれ違ったあと、数メートル離れた後に僕は視線を感じて振り向いた。
犬はおじさんにヒモで引っ張られながらも、無理な体制で首をひねって僕を見ている。
「なんで? なんで裸足なの?」
正面を向いて歩かない犬のヒモを、おじさんはピンと引っ張った。
仕方なしに犬は前に向き直して、おじさんと並んで歩きだす。
けど、やっぱり納得いかないのかまた振り返って、
「いや、やっぱ君、変だって!」
とでも言いたげに僕を見てくる。

「こっち見てんじゃねーよ、犬……、お前だって裸足のくせに……」
僕はそう呟いて、犬とは反対方向の家路へと歩き出した。
犬からしても、裸足はおかしいのですね…。

けどね…けどさぁ…。

闇夜で見えていなかった小さい砂利を踏んだ。
痛(いた)っと軽く言いながら足を上げ、足の裏にくっ付いている小粒の石の塊をつまみ上げた。
それをジッとみつめながら、「こんなもん、42キロ走っている間に何回踏むんだよ」と思いながら、公園の花壇に向かって投げた。
なるべく何も踏まないように気を付けながら、5分ぐらいヒタヒタと歩き続けた。

そんなに辛くないのでは……。

慣れてきたらさほど痛くなくなった、気がする。勘違いか、やっぱ痛い……でも、

やってみよう、裸足で。

いいじゃんか、僕の足がどうなろうと、やってみよう。
立ち止まり、お月様を見た。
「僕は、裸足でフルマラソンを走ります」
声に出して言ってみた。
僕の行動力の凄さを、思い知らせてやろう、多賀美楓さんに。
 頭の中で、ファイナルファンタジーのファンファーレが鳴ったような気がした。
お月様に僕の小指を照らしてみた。

やってやろう、裸足で。
やってやろう。


いいなと思ったら応援しよう!