アスペ女が家族論に思うこと
自分を含めた世の中の物事に等しく価値を認めた今、「あなたの特性は子育てには向いていない」と言われても「ああ、そうねわかる」と受け止められるなぁ、と最近思う
それってピーマンが苦手だとか、左利きだと右利き用のハサミは使いにくいですよねとかと同じなのよな
生のピーマンが苦手でも焼けばいけますとか、左利き用のハサミなら使えますとか、そういう事と同じ
その前には不向きの理解というものがあって、それを差別だとかで無闇に取り上げてはいけないなと最近は思うのよ
だって不向きなことってあるやん、誰しもに
それを基礎として認知するからこそ、他人に合わせるような人付き合いには向いてない、でも自分主体で興味を持てれば人と関わることはできるみたいな応用がきいたり、その内に不向きでは無いことがわかったりとかするわけで
それって支援者(私はあまりこの言葉は好かないけど)達の言う「不幸な子供を産ませない!」というのとも、「発達障害の結婚や育児を積極的に推奨しよう!」というのともまた違って、「こういう面で難しく感じたり、それによって苦しい思いをする場合が他の人より多くあった。だけど他の人と違うやり方ならできる事もあるし選択は自由だよ!」というための材料なんちゃうかな
そう言うのはあってもいいなと思うな
「激烈に他人に興味が持てない」「人のペースでは動けない」という自分の特性を悪とする必要はないし、その中で「あえて家族を持たない」という選択肢とか「家族を持つならお互いに適当な環境を伝えあって整える」みたいな自分なりの指標が当然にあるとお互いに楽になるんよなー(個人的感想)
親子や夫婦であっても寝室を別にして、お互いが寝たい時に誘い合わせてお泊まり気分で寝るとかさ
土日に揃ってどっかに行く必要もないけど、たまたまやりたい事が同じならその時はノリノリで行くとか
食事を揃って食べる必要もなくて、各々好きなように食べるとか
必要な衣類に関してはお金を渡して古着屋に行ってよーいドン!で買い物とか(もちろんおもちゃとかに使ってもいいけど、そのシーズンは自分が困るんだぞぉ)
家の中がトッチラカリ帝国でも「気になったやつがやる」「自分が気になったんだからやる際は文句を言わない」とかさ
誰かにああだこうだ口出ししたい時は親子であっても500円払うとかさ笑
なんか保険のCMみたいな家族像とはかけ離れるし、理解の乏しい人からは「それはネグレクトでは?!!」「そんなの家族じゃない!」という声も聞こえてきそうだけど、家族の形って色々でその方が楽しい部分もあると思うんよなー
いずれにしてもアダチル、発達障害の特性というものは平らにしたり無くすためと言うよりもその人をより楽しく生かすためにあるんだよなと私は思うのです
遺伝を考えると子供だっていつか家族を作ったらそこに直面するわけで、その時に親の定型(そもそもそんなもんあるのか?)になろうとする無茶な頑張りを理想としてたら結構しんどいよねーという思いもあったりね
なので私は母親という立場ではあるけども、今日もゆるゆる私をやるのです
ほにゃねー
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