フィクションすぎるものと無心の本当が好き。
フィクションが好き。映画でいうと、ハリーポッター、ロード・オブ・ザ・リング、メン・イン・ブラック、ゴッドファーザー、ワイルドスピードが好き。ベタで、まっすぐ面白くて、ど真ん中なエンタメが好き。
フィクションすぎるお笑いも好き。コント漫才はわかりやすく一段上のフィクションで、キャラの部分も楽しめるから好き。コントに入るときの台詞にしきりに喜ぶ。コントも、あるあるから入って、ないないに移行するフィクションすぎるものが好き。
こういうスタイルで見ていると、ネタ中でも不意に現実の不快が過ぎることがある。あるあるは現実でも快の部分なんだけど、不快の方の現実スイッチが入る。この現実スイッチは人によって違うと思う。私は、くさしお笑い、下ネタ、「コンプラ」。
くさしお笑いはハッピーじゃないし、結局カウンターだから見てて疲れる。下ネタはそこから広がりがない気がするし、「こんなことやっちゃう俺たち」が透けて見えるときが一番冷める。
コンプラ。ネタに対しては、「コンプラ守ってよ」と思ったことは自分はたぶんない。フィクションだから。フィクションであってもどうかというときは、ああそういう感じなんだ、と思うくらい。むしろ、「コンプラ!(笑)」「この時代に?」「令和に?」のツッコミになぜかクソ冷める。3月に行った寄席で、こういう類いのツッコミを3組くらいの漫才師がしていて、手垢がすごかった。ネタ中はさすがに冷める。周りの芸人が「この時代に!」と言うのはまだわかるけど、やってる本人たちがなぜ。
やればいいのに、別に。まっすぐ。わかってますよというメタなポーズだけとって、保険をかける態度が嫌いだ。スパッとやって、怒られるなら怒られたらいい。
あと、揶揄ってもいいと判断した対象を寄ってたかって面白ワードとして組み込むのも冷める。例えば、フェミニスト。フェミニストやその周辺への偏見がどうこうというより、揶揄ってもいいとした言葉をみんなで使っているところが、どうも個性がないと思う。媚びへつらいっぽくも感じる。
自分の場合は、社会的にとか、傷つく人がいるからというより、作り手の臭気を感じて、個人で勝手に発憤している。一方で、見ている人側で、社会的に容認してはいけないのではないか、と話し出す人の顔は、真摯で直視できる。賛同するかしないかは別として。ただ、面白ければいいじゃないかと、細かいなあと、ヘラヘラと逃げる人の表情は見るに耐えない。封殺するのが一番よくないと思う。
自分の不快を理由に、是正されるべきとは思っていない。だせ一な。と一人で思うだけ。最近は賞レースでの「俺たち仲良しなんです、一緒にやってきた仲間なんです」に萎える。Xとか見る人が限られている・言っても内向きのSNSではそんなに思わないけど、大会の表も表で言うのはどういうアピールなのか意図不明。いや、本人たち的には事実を言ったまでかもしれない。しかし、なぜ馴れ合いを見せられる? わかっている人は勝手にエモがってくれるだろうし、そこをいの一番に持ってくるのはわからない。内輪ノリってやつ? フィクションやってくれよ。
話は変わるが、大学の頃、変人アピールしてくる人が嫌いだった。「わたし・俺変人だから〜」と言ってくる人。生まれ育った環境が人それぞれ違うのだから、人間みんなまわりからするとヘンで、でも自分からすると普通なんだから、自分だけは自分のこと変じゃないって思ってあげないと。と思ってた。社会の尺度に照らして変とかどうとかいってたんだろうと今ならわかる。
でも、直接的ではなくても、そういうアピールをしてくる人はいまだに好きではない。自分がどう見られるか、を過剰に規定する人。
ほんとうの人が好き、人間の無心でほんとうのところを見ると嬉しくなる。この間、職場の人が曇って暗くなりはじめた空をデカい窓から立ったままずっと見ていて、かなりほんとうだった。雨が降るのを予感している犬みたいだったし。人の家族の話がおもしろいのは、その人のほんとうの姿だからだと思う。あとはやはり友達。
大学の友達が歩きながら鈴カステラ食べてたのはかなりほんとうだった。雨が降ってるのに、傘もささずに悠々と歩いてきたときもかなりほんとう。
この友達のほんとう具合はまじですごくて、同じ学科の顔見知りではあるけど、まだそんなには仲良くなかった二年の春頃、大学図書館で私が課題のレポートやってたら奥の方からフラーッと出てきて、お互い「おお」となり、「べんきょう?」ってきいたら、「ナウシカ読んでた。」と言ってきた。図書館で静かだし小声だし、集中と集中の間だったし、夢の中の出来事みたいだった。
去年コナンの映画見に行ったときも、終わると同時に「でさ、ラーメン屋なんだけどこの辺に4軒あって……」と何事も無かったかのようになめらかに話し出して、ああ健在だなあと思った。
最近はコピーを寄せ集めて再編集したもの、オマージュ賛美に傾いてる気がするけど、まっすぐの天然もの見ると、おお。って嬉しくなる。
フィクションが好きなのに、ほんとうが好きというよくわからない結論になってしまった。
やっぱり、ほんとうのものが好き。共通するのは、まっすぐで、他者のまなざしを前提にしていない・媚びを含んでいないということ。映画にしろお笑いにしろ、フィクションはそもそもつくりものだし、特にハリウッド映画なんか他人の目ばっかりだろって感じなんだが、見てもらうことを考えているものと、他人の目を常に意識しているものとは全然違うんじゃないかと思う。
へんに友達のエピソード挿入したからごっちゃになっちゃったけど、芸人の日常のほんとうが見たいわけでは全くない。なんだろう、上げたエピソードみたいな無心のほんとうって、身近な人じゃないと目撃できないところだから。ラジオとかで周りの芸人が話してるの聞くのはめっちゃ楽しい。あと、まっすぐな姿勢が見たいところはある。
ネタ中・外かかわらず、芸人の言動で嫌だなあという部分があったとして、全部をキャンセルするというか、好きなところまで真っ黒に塗りつぶすことはないと思っている。ただ、あまりに頻繁であったり度外れの言動を目にしたりすると、その人たちのコンテンツを自分から見に行くことはなくなるし、寄席にいるとああ。と灰色の気分にはなる。。
ところで職場の人にメン・イン・ブラックをおすすめしてたら、3作ぜんぶ見てくれて嬉しかった。アマプラで配信終了するから、その前に、と見たらしい。ロード・オブ・ザ・リングはまだ配信されているので、ぜひ〜!! ワイルドスピードも配信されてますよ〜❤️❤️
てか平成時代のブログへの好ましい気持ちを思い出したのはいいんだけど、自分の主観的な文章って好ましくもなんともないってかゲボ吐きそうなるな。一旦これで打ち止めにしよう。。ていうかまあせめてたまににしよう。
やっぱりフィクションじゃなきゃっ♪