[2023/11/23]本日の日記「オリジンは誰も知らない」
水底に影を探して、読了!
感想バリバリ書いていくぞ!!
今後に向けての伏線がメインだったかなあというか、本当に各々の状況整理がメインでしたね。
奏は現状最も重要なポジションながら、まだぬいぐるみを見つけられる状況下にはいない=何かが至っていない。
それは何だろうね?が今後の課題。豆腐はある程度理解してるのがまたミソ。
まふゆは今の逃避生活に「このままではいけない」と思っていても、現状は母の関わるものは見ていられないという状態。しかし、ミクは「それを捨てないでほしい」。これはなぜか……?(後述します)
絵名はメンバーの中では最も今課題の少ない状況のため、進路の話が登場。2年間で恐ろしいまでの成長を遂げた絵名だが、その根底から消えていない「自分の劣等感」が「未来を見据えていいのか」と問う。
瑞希は、まふゆに逃げの選択を提示したが、逃げたまま答えを出せない自分とのギャップに苦しむ。そんな瑞希にメイコは「逃げてもわからないなら逃げたものに立ち向かう」という選択肢を与える。
それぞれが新たに生まれた湖に辿り着き、今後の物語のキーとなるものが描かれたのかなと。
特に印象深いのは、瑞希パートの絵本の描写。
瑞希の読んだ絵本はまふゆの道程を追体験したものだったわけだが、徐々に瑞希がそれを察し、声色が暗く低くなっていく様が毎度言っているけど佐藤日向さんの演技力が光りすぎている。
しかし悪い内容だけではなく、絵本はうさぎはいぬ(奏)に音楽を、はりねずみ(絵名)に絵を、ねこ(瑞希)にはやさしい言葉をもらって、守りたいものを守ることができたと続く。
他の2人は直接的だが、瑞希はやさしい言葉という結構曖昧な表現をしていたのは不思議なようで結構真っ当なもので、瑞希はこれまでニーゴの根本的命題にあるまふゆについて、まふゆに甘い言葉をかけ続けている。
↑はメインストーリーの消えたいまふゆにかけた言葉だが、自分の本質を曝け出すことまではできないものの、精一杯自分の気持ちと照らし合わせ、まふゆの気持ちを尊重した発言をしていることが多い。
もちろん、本質的な悩みを曝け出せてはいないからまふゆもまだ瑞希が何を抱えているかまでは確信していないにせよ、瑞希のこういった優しさに自分が守られていたことは自覚していた、ということだ。
前回の瑞希バナー「ボク達の生存逃走」でも同様に、瑞希はまふゆに「逃げる」ことを伝えており、結果的に絵名、カイトの「抗え」という言葉と瑞希の「逃げていい」という言葉から、まふゆは奏に「逃げる」選択をした。
その決断を支えているのは、やはり瑞希の言葉なんだ。ということが絵本から読み取れたのが非常に良かった。
そして、自分の贔屓目でいえば絵名パート。
絵名はここまでのストーリーで一番しっかり成長を重ねているキャラクターで、自分の絵にも今なら劣等感を抱えつつも真摯に向き合えており、穂波との件で絵を描くことが好きであることを再確認している。
しかし、彼女の本質的な問題はそこではない。
「私が美大を目指していいのかな」と思う気持ちそのものに根ざす自己否定の傾向そのものだ。
彼女は消えたがっていた。でも優れた人間には消えてほしくなかったとまふゆにも叫んでいたし、穂波や愛莉のような「頑張っている子」が報われないなんてことを信じられないくらいには、願いそのものに真摯な性格だ。「そこに自分が含まれない」ということを除けば、の話だが。
彼女は今も消えたがっている。しかし、それに抗う決断をして、今もその気持ちと闘い続けている。
だが、その代償として彼女は「自分」というものを削ぎ落とし続けている。「自分なんてできない側の人間」という自己評価が決して上に向かわない。
少しは成長できたかな、と何度も思っているが、「それでも全然自分は劣っている」という精神で突き動かされているのである。
まさしく前回彰人イベントで彰人が指摘された部分そのものが、姉の絵名にも降りかかっている。
今後の絵名は、その部分にフォーカスしていくのかなと思った。そのための二葉だ。
そして何よりも印象深いのは、エンディングの拾い上げたりんごの件。
自分の中で大切にしていたものとして出てきた、楽譜と、絵名の絵。そしてりんご。
これらは、今のまふゆが大切にしているものだということが示されていたが、りんごについては本当に目から鱗だった。
りんごが大切なもの→まふゆにとってのりんごは自分の過去の母との記憶→その時の献身的な母の優しさは今でも忘れられない。
それはつまり、母の優しさがまふゆの「看護師になりたい」という最初の願いに繋がる答えそのものだったということ。
これはこれまでのイベントでヒントとして明かされていたものだが、問題は奏を含めてこの事実は「まふゆしか知らない」ということ。
まふゆにとって、誰にも明かしていない、無意識の記憶が「大切なもの」であり、それが母から齎された優しさだったこと。
今後のニーゴを描く上で、避けては通れない「母との対話」は、この願いがある限り逃げることは許されない。
このピースを埋めるのが、奏の、まふゆの戦いである。
ここでようやく奏パートの話になるが、奏パートでは奏が謎の「小さな女の子」とぬいぐるみを探す。
ぬいぐるみ、うさぎ。繋がるのは、まふゆの幼少期。
まさしくうさぎのぬいぐるみ=母が優しかったあの頃であり、女の子(まふゆ)は見つからないぬいぐるみに「もう見つからない」と諦めを見せる。
奏は諦めなかった。結果見つけることはなかったが、それでも奏はうさぎのぬいぐるみ=まふゆの願いを諦めない。
次回以降どうなるか全く読めないが、やはりセカイシンフォニーの「再生」には意味があったんだと嬉しくなった。
まふゆの願いは、何処へ。