[2023/06/07]本日の日記「愚かでいい」

「ノマド/バグ」発売。

待ちました。ええ、待ちましたよ。ノマドのことをずっと待っていた。

もちろん、東雲絵名さんのバナー楽曲だからというのもあるんですけど、そういう以上にニーゴのメンバー(声優さんたち)が「受け取っている楽曲のメッセージをどう歌っているか」が本当に楽しみだった。

プロジェクトセカイの書き下ろし楽曲って、バナーキャラ単体フォーカスのようで、やんわりメンバーのことを全体的に触れている楽曲ばかりなので、そこばかりが楽しみになっていた。

特にノマドは後ろ向きながらも生きることへの決意の歌で、「生きる」歌をマクロスΔで披露し続けた鈴木みのりさんがメイン。そりゃたまらんべよ。

ただ、今回Fullを聴く中で改めて思うのは、本当に佐藤日向さんの表現力はすごい。

どうやったらその自嘲と絶望と執着と羨望と覚悟と寛容を同じフレーズに同時に込められるんだ。

特に顕著なのは、瑞希パートで2回歌われる「愚かでいい」。

最初の「愚かでいい」は、諦めの意思が強い声色をしている。いわゆる「自嘲的な歌い方」だ。よく瑞希は楽曲中に自分を嘲るように歌うことがあるので、いつも通りといえばいつも通りなんだけど、そういう訳でもない。

直前の「そばにいて」では全然自嘲的には歌っていない。というか、全体パートは全然自嘲的ではなく、むしろ力強くメンバーの歌唱を支えている印象が強い。

あくまで1人の独白の時に自嘲的になりがちなのだ。

一方でラスサビの「愚かでいい」は、自嘲的だった1番サビとは異なり、より力強い心の叫びになっている。

ノマドだけに限らないが、瑞希が自嘲的に歌うパートは決まってソロパートであるし、自分の心情を吐露するパートではなく、ある種歌詞に図星を突かれている時にそうなりがちだ。

現に自分の感情の吐露がとにかく前面に押し出されている「ロウワー」では、自嘲的な歌い方よりも心の叫びに近い歌い方をしている。

ピンとこない人はザムザの3DMVを見てほしい。

「今はどんなふうに見えてますか?醜いですか?それはそっか」と「今は尻尾を引き摺りゆけ」の歌い方の違いこそが表現の違いと言えばピンと来てもらえるはずだ。

今回のノマドの瑞希パートが凄まじいのはまさにこの「自嘲的」と「心の叫び」の変遷がありつつも最終的にはそのふたつの感情の同居が全く同じ歌詞で表現されていることにある。一応絵名メインなんだけど、聞き方ひとつでいくらでも瑞希メインだとひっくり返せるくらい、その表現力は主役を食える。

一旦、ラスサビに至るまでの瑞希パートだけフォーカスしてみる。

途方もない時間だけ
また過ぎていく
此処は理想郷では無い
ましてや描いた未来じゃ無い

「終わりのない未来など
なんて下らない」
夢の隙間に問う
私は何処へと行くの

遠い先の方へ
痛みと歩いていた
騒がしい街の声が頭に響く

夢の底でもがくのなら
この夜をいっそ喰らってしまいたい
呆れる程に傍にいて
「愚かでいい」 二度と無い
今を生きていたいだけ 
それだけだ 

救いのない話なら
とうに聞き飽きた
それを優しさと言って絆すなら
余計馬鹿らしい

「偽りないうつつなら
なんて気儘だろう」
夢の隙間に問う
私は何処へと行くの

暗い闇の方へ
ふと目を向ける度に
下らない言葉達が心を満たす

夢の途中で目覚めたなら
この夜は一層濁ってしまうだろう
触れた指が解けぬように
「今はただ」 願うまま
日々を過ごしていたいだけ

それなのに曖昧な温かさで
淡い理想に魅入られてしまう
「心ひとつ吐き出せないくせに」
身勝手な私だ

夢の底でもがくのなら
この夜をいっそ喰らってしまいたい
呆れる程に傍にいて
「愚かでいい」 二度と無い
今を生きていたいだけ 
それだけだ

バルーン「ノマド」

「終わりのない未来など なんてくだらない」

このフレーズは、実に自嘲的なフレーズだ。本人のコンプレックスと社会の摩擦に向き合えていないことはいつまでも続かないし、本当ならそんなことは望んじゃいないという気持ちそのものがフレーズに抽出されているからこそ、自嘲気味な歌声になるのも納得だ。

故の1番の「愚かでいい」は自嘲的になり得る。非常に納得である。

「偽りないうつつなら なんて気儘だろう」

こちらは打って変わって「心の叫び」寄りなパート。

前述した向き合えていない事実に目を逸らし、ヘラヘラしながら自嘲している自分こそまさに「偽り」であり、自分を偽らないで居られればどれほどいいだろう、とはストーリー上でも何度も本人の言葉で語られているので、「心の叫び」に近い。羨望そのものだ。

だが、それでも「今はただ」願うまま日々を過ごしていたいだけ、それなのに。曖昧な温かさで、淡い理想に魅入られてしまう。

「心ひとつ吐き出せないくせに」

そんな心ひとつ、吐き出せないくせに。

このパートは、発売前からおそらく瑞希が歌唱するんだろうとは思っていたから予想通りだったが、まさしく「自嘲」と「叫び」が同居した感情だ。

ここの感情は、まふゆがストーリ上で言及する「わからないけど、あたたかい」(曖昧な暖かさ)に自分もあてられていているが、「自分はこの居場所で本当の意味で本心を語ってはいない」という自嘲と、「そうできるならしたいし、それを絵名は待っている」という叫びが完全に同居している。

そしてラスサビの「愚かでいい」は、そんな気持ちを持ちつつも「そんな自嘲的な感情を持ちつつも前には進みたい」という感情が前面に出ている。

これをサラッと聞き逃すのはあまりにも惜しい。俺も年明けのフェス限のサイドを読んでいなければここまで気づけなかったかもしれない。

フェス限、詳細は省くけど「本当に自分のコンプレックスの軋轢を気にしなくていい空間=孤独の楽園を望んではいない」というものだったので、この歌い方に繋がるルーツみたいなものも垣間見えて非常に良かったのでおすすめです。(持ってない人は頑張ってくれ)

この「孤独の楽園(自分だけのエゴが叶う世界)を望まない」というのは、まさしくノマドの題材となった「空白のキャンバスに描く私は」の絵名とも共通すると点が多いので、やはり公式カップリングなんだなあとしみじみ思う。

おかしいな、絵名の話をするつもりがほとんど瑞希の話をしてしまった。

それだけ予想外の方向から殴られたってことなんだろうな。予想していたはずでは??????

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