[2023/07/12]本日の日記「まとまらないわ」

節目に相応しいクライマックス。直近2つが前を向くためのイベントの流れだったのでどうなるものかと思ったが、最悪な路線は継続しつつも前に進む大きな潮流を作る形でニーゴのEP2は幕を閉じた。

他のユニットと比較すると、どうしても取り扱うテーマが暗い分問いかけが多い印象のあるストーリーも、今回ばかりは手に汗握る熱い展開がありましたね。結局はいい方向には転じられなかったんですが˘˘

まあ細かいカタルシスとかは抜きにして、今回はみなさんが嫌ってやまない「朝比奈母」について考えていきましょう。いつものことだけどネタバレにはちょっとしか配慮しません。自己責任で。(そもそも裏でこそこそ書けばいいんだけど今回は色んな人に読んでほしい)


結論から言えば、僕はかなり朝比奈母は好きなキャラクター造形で、嫌いではないです。

許されるか、許されないかで言えばもちろん「全然許さねえぞボケ」ではありますが、無神経に叩けばいいヘイト的存在ではない、という意味での「好きなキャラクター造形」と言えばいいか。

プレイヤー側からすればまふゆの母はとんでもなくわかりやすい敵キャラなんですよね。これからのために、共通で立ち向かわなければならない敵のような描かれ方をしています。これについても同意。こいつをなんとかしないことには話は進みません。

ですが問題が一つ。

「こいつって倒さなきゃいけないような極悪人か?」

最大の焦点はここにあると思っています。別にこいつ悪い人ではないんですよ、そもそも。音楽をやることだって否定していたわけではないし、本質は「まふゆのため」と思って行動しているので。(その行動の是非については問わないものとする)

一度まふゆ母の目線でこれまでを振り返ってみましょう。

幼少期のまふゆはとにかく無邪気な子どもだったことが伺える。風邪をひいた時のことを思い返しても、まふゆ母が今以上にモンスターな行動をとっていたとは考え難い。

ただ、娘の願いを100で叶えてあげたい普通の親だった気がする。少なくともこの頃は。

だが同時に、大事に思いすぎている=過保護な側面もあった。

顕著なのがフェニランでの一幕。迷子になったまふゆに「怖い」と思わせるほどのオーラを放っていたのは、決して敵意があったりしたわけではなく、心配しすぎて自分の中での思慮が深すぎてしまった、といった感じだろう。(まふゆ目線での描写なので推察しかできないけど)

これらの過去を統合すると、「ちょっと行き過ぎた心配性」くらいの平凡なお母さんだ。これくらいならよくいると思う。それこそ、あまり叱っても来なかったんじゃないかな。

でもまふゆは確かに母に恐怖し、その後母に認められようとする一心で心を壊していった。

それはなぜか。

お互いにお互いを守ろうとしすぎたのだろう、と私は考える。

母は母で、「自分が道を指し示さないとこの子はどこかへ行ったまま帰ってこないのではないか」と思っているような節がある。できれば自分の敷いたレールに置くことで、お互いが安心していけると信じて疑わないタイプだ。(これが瑞希の言う「自分の価値観を無意識に押し付けてしまうタイプ」の特徴とも言える)

一方のまふゆは、母の期待に答えようとしすぎた背景として、「母は自分のためを想って道を作ってくれている」と割と早い段階で気づき、それに応えることで一度は安心しようとした。しかし結果としてそのレールから外れた行動をとった時、かつて自分の意思で迷子になった過去から「母はこれを認めるだろうか」と恐怖し、母や周囲の求める行動に完全に応えるようになっていく。

この時点でお互い「なんか変だな」とは思っていたものの、お互い「まあいいか」と流している節がある。お互い「お互いのためだしな」と思っている。完全に良くない。

この場合、悪いのは完全に親サイドだ。気づけ。ガキの精神は機敏だ。

だから、心が壊れていったことは全部母のせいかと言うとそうでもない。まふのせいかというわけでもない。

なんとなく全員(クラスメイト、親、先生etc.)が考えなしに行動している結果、考えすぎたまふゆがぶっ壊れたのが真実だ。

父親とか見てくださいよ。完全に無関心決め込んでますよ。それに比べりゃ母親はまだまふゆを想っていたほう。(だからタチ悪いと言われたらそれはそう)

それこそまふゆがもっと己をオープンにしていれば話は変わっていたところもある。

そうできない無意識の恐怖を与えたのは母親。すごいタチの悪い話で、無意識の罪を築き続けていたのが朝比奈まふゆの母親ということになる。

そんでもって、まふゆの母親は「罪人」なのか?

答えは「NO」だ。今回こんな長々と書いているが言いたいことはこれが全てだ。

まふゆがあれだけ苦しんでもなお「想っているからこう言っている」と言うスパイラルから抜け出せないのは「あながち間違ってない」からだ。

絵名は真っ向から否定したのは、絵名の家庭が言葉の使い方が下手ながら愛情はある父と、子を見守る母という家庭だからで、そのスタンスが成立しているならまふゆ母の行動は過干渉であり毒でしかないと思う。割と自分の家庭はこれに近いから、正直ドン引きする。

じゃあ間違っているのか、答えはやはりNOだ。

同じ「親に呪われている」宵崎家を見てみよう。

少なくとも健全な家庭であったが、母の死をきっかけに父がスランプのスパイラルから抜け出せず、それを子供に八つ当たりする形で最終的に壊れた。

私はこの行動が子に対してあまりにも不義理だと思っているし憤っているが、奏はこれに気づいていないまま呪われているので、「親は私を想ってくれていた、だけどあなたはまふゆのことを見ていない」と考えた。

奏の言っていることはまあその通り!なんだけど、じゃあお前の家庭はどうなんだよ。って思ってしまう。

奏の理屈を鵜呑みにしてしまうと、お前の親父は最低なことをやったし最低な感情でお前の善意を受け取った最悪の親父ってことになるぞ。それでいいのか。そうじゃない。

そうじゃないなら、まふゆの母の感情を気軽に否定してはいけないはずだ。それが言いたいだけなんだけど、うまくまとまらなくてこんな長々と書いてしまった。

今回も、信じて疑ってなかった結果、見向きもしない方向にまふゆが向かっていくのを認められなかっただけ……だと言い切れないが、まだそうだと言える段階にある。

やべえ行動をしているしやばい親ではあるけど、ただただ拒絶すればいいだけって話でもないぞと言うことを言いたい。

カイトだって「噛みつけ」「自分を守れ」「情けはいらない」と言っているが「嫌なことをはっきり提示しろ」以上のアドバイスはしていない。

それならまだ、運営の示したい結論は拒絶でないと信じたい。

なんか嫌いになれないんだ、ああ言う人のことを。

否定だけで終わるような結論を示して欲しくないと思う自分がいる。こればかりは………うまく説明できない。

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