[2023/05/01]本日の日記「東雲絵名と暁山瑞希」

本日3本目の日記更新です。すんません、ちゃんと書かなくて……疲れていたので………

まずはこれ、記事を書きました。

使い方をほとんどまとめた記事なので、よければ!使いたかったけど1日で揃わなかったのでそこが残念!

めっちゃ強いけど意味がわからん下振れを起こしたりもするギャンブルデッキだから楽しい。ダブルパチンコ、いい引きだぜ!って感じ。

1日過ぎちゃったけど絵名、誕生日おめでとう!

去年はまだあなたの魅力に気づけていなかったので通り過ぎたけど、この日記を初めて、ここ半年ほどはあなたにたくさん救われました。ありがとう。

憧れの父に夢を折られても諦めない姿勢も、簡単な承認欲求に逃げてしまう弱さも、現実と向き合い、どれだけ苦しくても自分の夢を持ち続けている強さも、その全部が、今の俺を支えてくれています。

出会っていなくても人生大きくは変わらなかったかもしれないけど、出会えてよかった。

少し前から思っていたけど、絵名はかなり面白いキャラクターだ。

他人の視点で見る東雲絵名は、すごい妙なキャラクターデザインをしている。

穂波の視点で見れば、絵名は「絵が下手な自分にとことん付き合ってくれて、自分だけの良さを認めてくれる頼れるお姉さん」で、

奏の視点で見れば、「自分(と雪)が表現したものを誰よりも絵として形にしてくれている唯一無二の存在」で、

杏の視点で見れば、「絵に対して真摯に向き合い続けている姿がカッコいい瑞希の親友」で、

瑞希の視点で見れば、「自分の居場所を一緒に作ってくれた、秘密を言い出せない自分を隣で待ってくれている存在」だ。

しかし、愛莉の視点で見れば、「トレンドにも敏感で公私共に何かと頼れるが、ちょっと損な性格をしている親友」で、

彰人の視点で見れば、「わがままだしキーキーうるさいので、心底ウザいと思っている姉」で、

まふゆの視点で見れば、「言ったこと一つ一つにありえないぐらい噛みついてくるが、ちゃんと自分を見てくれる存在」ということになる。

面白いぐらい人から見られる視点にブレがある。ここまで人によって抱いている印象の幅があるキャラクターがこの作品にいるだろうかってくらい幅が広い。

まふゆあたりもキャラクターによって大きく印象が変わるが、これは裏表が激しすぎるというか、本人が意識して見られる印象を作っているからに他ならない。

しかし絵名は特に裏表を作ってきたわけでもないし、大体嘘がつけないので言ってきた言葉は全て自分が馬鹿正直に思ったことだ。思ってもないことは意地でも言わないし、思ってもないことを言わされるくらいならやらないというとんでもない頑固者だ。

それでここまで幅が広いというのはすごいことなんじゃないか?と思う。

前述した愛莉、彰人、まふゆも良くない視点でピックアップしたけれど、愛莉からしたら絵名は「アイドルでない自分自身『桃井愛莉』をずっと見てくれている数少ない親友」であるし、彰人は「心が折れて自暴自棄になった時に自分の新しい道を気づかせてくれた、笑わないでいてくれた存在」だし、まふゆは「優等生の自分じゃない時でも扱いをこれっぽっちも変えず、自分が立ち止まってしまった時に連れ出してくれる存在」とも言える。

絵名と直接的に関わる全てのキャラクターが、結果的に「肯定してくれる存在」という印象を抱く。しかもそれぞれ切り口が自分に寄り添ったもの。不思議なもんですよね。

これは絵名の不器用さゆえの利点で、「どんなものでも真摯に向き合おうとしてしまう」からこそ、「誰よりも相手を認めている」ことに繋がってくる。

だからこそ、個人個人の個性を否定しない。

一歌やみのりの夢を心から応援するし、穂波の絵の下手さを笑わないし、愛莉、雫とも「アイドル」としてではなく個人として交流するし、彰人の背中を押すし、引かれがちなえむの奇想天外さにも「元気な子だな」以上の感想を持たないし、自分にキツく当たる存在でもあるものの優等生、毒舌全てひっくるめた友人「朝比奈まふゆ」だと思っているし、どんな秘密を抱えていても瑞希の親友であることを捨てようとはしない。

故に、25時、ナイトコードで。のメンバー内で最も交流の幅が広い。

全部馬鹿正直だからこそ交流のある人間全員の存在を認めている、とんでもない包容力を持ち合わせているのが東雲絵名というキャラクターの本質だと個人的には思う。

もちろん、わがままで自分勝手なのでみんなを困らせるし、言葉を丁寧に選べないので必要以上に言い過ぎな言葉になってしまうこともある人間ではあるが……

それでも、絵名というキャラクターの在り方が好きなんだな、と思える。

自分自身、プレイしていてどこか絵名に自分を重ねていたけど、絵名の方がよっぽどすごい。

と、思っていたのも束の間。

ここからはイベントネタバレ全開です。

そんな絵名の誕生日とともに追加された、新イベント。

正直頭が痛い。うまく言葉がまとまらないが、非常に瑞希ならではのイベントでよかった。

暁山瑞希は、自分のコンプレックスをちゃんと伝えることを含めた、自分に降りかかる辛い現実から逃げることの多い人間だ。

別にそれが悪いことだとは思ってないし、それだけ瑞希は傷ついてきたのだから当然逃げていいと思う。

何よりも瑞希は、「逃げることができる」んだよな、と思う。

奏はずっと「誰かを救う曲を作り続ける」という呪いに縛られ続けて、その呪いから逃げられないでいる。

今回のイベントの主軸に置かれているまふゆも、母の束縛と自分の感情の整理がつけられず、逃げることも立ち向かうこともできないまま苦しんでいる。

絵名は、甘い罠に逃げたこともあるが何事にも筋を通したがり、結局は全力で目の前の問題に立ち向かってしまうので、逃げるということが本質的に下手。

こう見ると、25時、ナイトコードで。のメンバーの中で、「逃げる力」があるのは瑞希だけだ。瑞希だけが、「逃げる」選択肢を常に手札に持っている。

そんな瑞希だからこそ、まふゆに「逃げることもできる」と伝えられる。

母親の束縛が強くなる一方で、少しだけ瑞希本人の成長にも繋がるいいストーリーでした。

まふゆの母親の行動がヤバすぎることばかり着目されているけど、今回はかなり大事な話をしているのが非常にいい。

特にいいなと思ったシーンは、瑞希とクラスメイトの会話シーン。

瑞希は以前、クラスメイトが自分の陰口を言っているところを目撃してしまっているので諦観混じりで積極的に関わることを避けているが、クラスメイトは瑞希を見つけるなり嬉しそうに積極的に話しかけている。

それに、ちゃんと瑞希の個性があることを前提に、瑞希に楽しいと思ってほしい一心で会話をしているので、彼女たちも彼女たちなりに瑞希に向き合おうとしていることがよくわかる。

そもそも陰口の理由も「瑞希という人間の本性がわからない」から来ているもので、別に瑞希本人が気持ち悪い訳でもなく、単純にのらりくらりと自分達とコミュニケーションを避けてくることに苛立っている印象の方が強い。

瑞希は過去のトラウマから人に個性をひけらかすことを避けるが、逆にクラスメイトや杏、絵名たちからしたら「どうだっていい」のかもしれない。

瑞希は自分の個性を認めてほしい。でも、認めてもらえなかった経験や、世間から見た自分の異常性から、それを避けて個性の実質的な否定に繋がることへの嫌悪感がある。

代表例として「キミのあしあと、ボクのゆくさき」での絵名の気持ちに対する葛藤があるが、絵名の側面で見ると瑞希の個性は些細な問題に過ぎない。

「こういうボクを認めてくれ!」とバカ真っ直ぐに言われると、誰だって難しい。それが瑞希でも瑞希じゃなくても関係ない。

たとえば絵名が「絵に向き合えないまま自暴自棄になって高校受験失敗して今は定時制似通いながらイラスト描いて自撮りでバズってる人間です、認めてください!」と言っても瑞希も困るだろう。

意外と人間は自分と違う個性を認めるのが難しい。

そういう部分とかを気にせず交流できたからこそ、絵名と瑞希は親友だし、絵名は「苦しいことがあるなら言ってほしい」と思うのではないだろうか。

気にしない、ということが一番関わりにおいて重要なのではないかと思う。心置きなく楽しめるし、自分を捨てる必要もない。

自分の葛藤を抜きにして自分らしく振る舞い続けることが、本当ならば一番いい。だって、ニーゴのメンバーと遊ぶのだって、類との交流だって、何なら陰口を知る直前まではクラスメイトと遊ぶ時だって、アニメを見ている時と同じくらい、心の底から楽しんでいたはずだから。

話は変わるが、類も同じように個性が認められないことに悩んでいた時期があった。

だが今は、その個性を遺憾なく発揮してプロの役者にその実力を見込まれるほどの演出家として活動している。

これは決して類の個性が認められたからではなく、単純に「コンプレックスを気にしない連中」ととことん馬鹿騒ぎし続けてきたからこそだ。

肯定を願ったのではなく、否定でも肯定でもなく「気にしない」司たちだからこそ、類はワンダーステージが居場所になり、その個性を必要とする存在であるアークランドにスカウトされた。

瑞希にも、同じことが言えるのではないだろうか。

例を挙げて同じ学校の杏や彰人たちはどうだろうか。瑞希がどうかなんて気にしていない。彰人からしたら「ノリもいいがたまに鬱陶しい姉の友達の同級生」だし、杏からしても「全然登校してこないから普通に世話の焼ける同級生」だ。杏はよく瑞希の悩みを理解していて、瑞希本人への配慮も欠かさないが、普段接している分には意識して配慮している訳ではない。

そう、存外みんな「暁山瑞希」のことは認めていて、コンプレックスそのものをそこまで重要視していない。

会話ぶりから察するに、もしかしてクラスメイトもそちら側なんじゃないか?と思わせる一幕だった。

もしクラスメイトたちが瑞希の個性だけを重視して、それを否定しているなら、その個性に配慮を欠かさない杏だってクラスメイトに何かしらのアクションを起こされていても不思議じゃない。しかし、そのような描写はなく、杏は結構クラスでも人気者らしい。

故に本当の意味で苦しみを理解できるわけもなく…という残酷さはあれど、自分を否定しかねない存在も理解を示す可能性を考慮できるようになったのは成長だ。今までも似たようなことはあったにしろ、一度諦めた存在に可能性を見出せるようになったのはすごいことぁ。

しかしやっぱり踏み出せないのが弱いところでもあるけど…否定された過去は簡単には消せない。

そしてそれを自覚して一歩を踏み出すチャンスがあってもなお、「それどころではない」と仲間のために走る選択を取った瑞希がよい。

あの瞬間、瑞希は「逃げた」と思っているかもしれないけど、そうじゃない。

瑞希はあの瞬間、自分のコンプレックスよりも優先するべきことがあって、適当に断るわけではなく、はっきりしていない「やるべきこと」のためにその場を後にした。

はっきりしていない「やるべきこと」。それは、まふゆのために何ができるかを考えることだったはずだ。

自分のコンプレックスの話よりも、仲間との繋がり・仲間の心を優先したということは、何よりもかつて絵名が自分のために奔走した過去と繋がっていく。

そしてその選択ができるのは、それだけ仲間を大切に思う強さがあるから。お前は逃げたんじゃない、選んだんだぞ。

お前は強いよ、暁山瑞希。だから自分のことを必要以上に傷つけないでくれ。お前がいなければ苦しかった人間だって、前を向けなかった人間だっているんだ。

だからこそルカの言葉を受けて自嘲気味にならず、自分のできることをまふゆにぶつけてくれて嬉しかった。

ちょうど直前にこういう話をしていたので怖かったんだけど、瑞希は瑞希らしくまふゆに向き合い、筋を通して仲間とも意識を共にした。

最高だぜ、お前。それでいいんだ。

いつか、その強さをちゃんと見つめて生きていってくれ。そういう強さも、お前の個性なんだから。

否定されてきた部分だけでも、無意識に行動してきた部分だけでもなく、それら全てが暁山瑞希なんだ。

だから気にするな、なんて口が裂けても言うつもりはないけど。

『「現実はもういい」なんて云うなよ』とは言えるから。

認められることに固執しないでも現実の中で生きていけるようになってほしいな、と思います。

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