[2024/03/05]覚え書き「後半戦と和解への道」
ミリアニ、見終わりました。
舐めてたわ。想像以上のクオリティというか、設定とか時系列整理めっちゃ整えたんだなって思いました。
5年間待って作られてるだけのことはあって、とにかくキャラファーストで作り込まれているのがよくわかったのが第8話と第10話。
第8話はこのみと桃子を中心に話が進み、第10話は静香、星梨花、志保を中心に話が進む。
第8話は、特にこのみさんとプロデューサーのやりとりが良かった。
このみさんは元々事務員志望ながら、プロデューサーに直接スカウトを受けている経歴があるが、元は2年事務職を経験していた。
事務職2年経験かつ現在24歳となると、おそらく短大卒。
それでもって、プロデューサーは周りの反応を見るにおそらくそこまで就業期間は長くない(アニマスと地続きのようになっているなら)。反応の若々しさから考えるとおそらくバリバリ新人に近い。大学新卒って感じだろうか。
この二人の距離感、多分同期のそれにめっちゃ近いんだろうなと元々思ってはいたんですけど、何かあった時に真っ先に気軽に相談できる相手となると年下ばかりのシアターを見ていると、多分プロデューサーしかいない。(社長に気軽に相談なんて抜かす人は多分いないし、小鳥さんは部署違う分距離が遠いし、青羽さんは年下な上多分専門卒のバリバリ新人なので同期ではあっても経験量があるし)
それが丁寧に描かれてたのがいいですね。「こうなるよね」に納得のある描写と、いざという時にプロデューサーに連絡しようと思ったらプロデューサーから「大丈夫ですか?」って連絡が電話でくるの、俺だったら多分プロデューサーに惚れてるから、本当にいい関係築けてるんだなと思いますよ。
そう、こういう話をある程度許容できるようになってきたのも大きい。相変わらず七尾百合子には「何が恋しますよだバカタレのクソガキめ」と思っているけど、「そりゃ惚れちゃうか。仕方ないよね。俺でも同じことされたら同じこと思うよ」とも思えるようになってきました。でもアイドルがよりによってプロデューサーと恋愛しようとすんなって気持ちは変わってないです。しないでくれ。見ないことにしておくから。
それはそれとして、10話に関しては「これここまで進展するよって明言していいんだ」と思う次第。
静香を取り巻く「期限付きアイドル」の話、慌ててミリシタのcmdのメインコミュ読んだりしたんだけど、ハッキリそうと言ってないにしろ、静香父から延期じゃなくてオッケーが出る描写やっていいんだ!と驚いた。
一瞬一瞬の描写でバックグラウンドを作っていたのが非常に評価高くて、「父に見てほしい」って気持ちと「父も自分のことを想っているのはわかるんだけど」を客観的に示すのが星梨花で、「それができるならできるうちにやれよ」と自分のバックグラウンドを明かさずに提示するのが志保で、その場をみんなに作ってもらったことがある千早が場所を提供する。
千早立ち位置も良かったですね。最終話の音響トラブルに真っ先に駆け出すの、経験からだしそれでもやりきるメンタルが後輩たちにあるかわかんなかったんだよな。でもあいつら頑張ったよ。終わった後泣いてたの励ましてたのもマジでよかったね。いい先輩になったじゃん本当に。
んで話が逸れたけど、綺麗に嵌ったピースが話をより良くしている妙が出ているのはその前の9話から地続きだからにしたってマジでいいよ。この話。
静香の家庭について細かいことはわからないけど、静香パパは家庭愛がそれなりにしっかりある上に結構苦労人っぽいので(これは媒体によって変わるところだと思うのでアニメに限る)、わかりやすくイヴっぽい頭痛薬を飲んでまで頑張っている父の目に映る幼い静香がちゃんと父の中には生きていて、だからこそ余計に心配が勝るし、手作りライブを否定的に見ていたのも「ちゃんとこれを仕事にして羽ばたいてほしい」って気持ちが強かったんだろうにお出しされたものがあまりにも底辺っぽい(あえてこういう言い方をしています)ステージだったわけで、そりゃあ「お前がやりたいことはこんなものか」って思うよね。
最初の方は笑ってたけど、22時帯にスーツ脱いでないってことは、いつでも連絡待ち状態な可能性があるってことに頭痛薬を見るまで気づかなかった。気づけなかった俺が悪いよ。ごめんな静香父。お前の気持ちすっげえわかるわ今なら。期限付きにしたいよな。本気じゃないなら「そんなこと」で貴重な青春時代を棒に振って欲しくないもんな。
そして、そんな父に届いた静香の歌について。
家族を失っている人向けのチャリティーコンサートとして非常にストレートな歌詞なんだけど、このメッセージを多くの人に届ける覚悟みたいなものを父に示せているのかなと少し思ったりなど。
現に父は静香が頑張る=明日を生きる活力そのものだったわけで。
何かこう……父親って不器用ですよね。
違うコンテンツになりますけど、俺はプロジェクトセカイの好きなキャラに「東雲絵名」というキャラがいる。(このnote読んでるような人は知ってると思うけど)
彼女は父親が画家で、平たく言えば父のような画家を志していたけど、父に「才能がない」と言われて心が折れて、漸く再起の芽が出てきた…という感じのキャラクターなんだけども、別に父は彼女に才能がないなんて思っているわけではなく、「自分のように産みの苦しみと戦い続ける覚悟があるかわからないし、なあなあで立ち直れなくなるのは見ていていい気がしない」という理由が強かったりした。実際あの段階での絵名は多分その覚悟なんて微塵もないし、それこそなあなあだったからクリティカルになってしまったという最悪なコミュニケーションだったりしたわけだけど。
父親って不器用なんてもんじゃないですね本当に。最悪です。自分もいつかこんな感じになるのかなと思うと怖くて震えています。
でも同時に、ちゃんと娘(息子)は父にとって希望でもあったんだよということでもあり、複雑な気持ちがある。
でもやってみせたね、最上静香。お前は偉い。これからも多分いろんなことで父と揉めると思うけど、お互いの気持ちがわかってればなんとでもなるね。
まあ、父の悩みを相談する相手が父のいない志保や千早なのはどうかと思うけど、それはしゃあないもんね。星梨花もそれあんまここで言っていいことかわかんないよ俺とちょっと思った。
そうでした、箱崎星梨花。俺はこのキャラがどうも苦手でした。
箱入り娘ゆえに少しトラブルメーカーの側面もあり、どこか「いい子ではない」と思われたいような小悪魔的な側面がある。
名家のご令嬢ゆえにちょっと独善的な部分に修正が効きにくいタイプなのも相まって、「関わりたくないな…」と思うタイプではあった。
終活というと悪い言葉になってしまうけど、俺が「満足」するためにこのキャラとの折り合いをどうしてもつけなければいけないと心の底から思っていて、そのために過去GREE版、ミリシタどちらの文献も全て漁ってキャラ造形を掴み、理解したいと努力したこともあったくらいだ。
その時は上記のような結論が出てしまい、結果的には敬遠することで目を逸らしたんですけど。
ここまでちゃんと自分の中の描写を受け取る準備ができている以上、ちゃんと向き合えるはずだと確信し、再びこれまでの文献を読み漁ることにした。
ここからはめんどくさいオタクなりに頑張って頭捻った戦いの記録が残ります。ここからは読まなくていいよ。みんなもミリアニみてね
これは俺のように満足して別コンテンツへ旅立っていったミリPに向けた言葉ですが、ミリシタの文献は非常に良質です。
曲名SSRを筆頭として、キャラクターへの深掘りの仕方がエグい角度で襲いかかってきますね、これ。
元々自分が結論づけていた星梨花のキャラクター性は、「知らない世界を知っていきたい」気持ちが強く、かつ「自分が提供するもので喜んでもらいたい」というエゴイズムが作り出す献身性にあったと思っています。
しかしそのエゴイズムを貫くにはあまりにも彼女は世界を知らない。
最初期の伊織とも少し違う、本物の純真無垢な箱入り娘なのです、彼女は。
これまでの交友関係を含めても、彼女の献身性を「良い」と評価した人間はおそらく「箱崎のご令嬢」に気を遣ったとみてもいいんじゃないかと思っていました。
事実、彼女の献身性はちょっと自信に満ち溢れすぎている。「こうすれば喜んでもらえる」と相手が肯定的に捉えてくれることを疑っていないんですよね。「失敗」というか「否定的な考え方」を多分一切経験していない。
それは彼女がご令嬢だからでもあり、両親の過保護な教育、そして彼女の最高の相棒である忠犬ジュニオールの存在が大きいでしょう。
ジュニオールは星梨花にとことん懐いていますが、これは彼女の献身性がまさしく善性から来ているもので、お互い幼い頃から共に生活していて、特に星梨花は一人っ子なこともあってかお姉さんになろうとする動機の証明そのものでもあります。
実際シアターの中では年少の部類に入る星梨花ですが、より年下と関わる機会ではちゃんとお姉さんしてます。
この通り彼女は純粋に自分の提供しているもので相手が喜ぶことが好きな女の子なのですが、先述の通り彼女がご令嬢が故にちゃんと反発されたことはあまりなかったのかなと思ったら、献身性というより独善性が強いんじゃないか?と思ってしまったわけです。
自分がそう感じた最たる例がミリシタのSSR「with my heart」の覚醒後イラストです。
見てください、「自分がプレゼント」なんてモチーフを素直に採用する奴どこにいましょうか。
それをゴーしてるプロダクション側もちょっと怖いだろ。もちろんそれが悪意があることじゃないのがわかってるからいいけど!!
これをこのまま突き進ませたら、絶対どこかで取り返しがつかなくなる。
でも、彼女は名家のご令嬢。間違いを必要以上に指摘すれば、彼女はもっと間違った方向に育つ恐れもある。
何が怖いって、彼女が家の力を自分の満足のために使い始めるリスクがあるんですよね。彼女に付きまとう不安感はこれで構成されていると言ってもいい。
このまま献身性を通り越した独善を続ければ、彼女は「なんでも自分の提供することはいいこと」と思ってしまうかもしれない。
それを指摘しようとして手をミスると、今度は「自分を認めさせるために手段を選ばない奴」になりかねない。
非常にアンバランスな選択肢を迫られる。これってマズくないですか?
現に、彼女の「失敗」や「自分のやらかし」は、結果的にフォローされていることも多く、「ちゃんと失敗した」にはあんまりならないのもある。
シアターのみんなは本当にいい子なので、ちゃんと失敗したら手を差し伸べてくれるんですよね。
どこにいても常に守られる側にいる彼女は、これから厳しい現実をどう飲み込んでいくかとハラハラする。
そして、いい子ではあるものの「いい子」のレッテルが少し嫌というか、「いい子に思われる」がちょっと舐められているというか、「いい子」という言葉が「よ〜し、いい子だね〜」という若干の子供あつかいというふうに捉えていて、少し辟易しているのも受け取れる。
(特に彼女がいい子いい子をする相手はジュニオールなので、余計にそう感じているんだろうな)
それの極地が「きまぐれユモレスク」だと思う。
ほら、こう思わせちゃってんじゃん!と思って、ああ、どうしようもなく面倒なことになってしまったのか……と思ったのがこれまで。
では今回深掘りして心の中で何が変わったのか。
まず、彼女の本質について改めて考え直した。
そもそも彼女の本質にあるのは、好奇心そのものである。
前述のソロ曲「トキメキの音符になって」ではさまざまなことに初めて触れるまさしく「ときめき」を歌い、「夢色トレイン」では、そんないろんなことに触れていったものを受けて進んでいく自分の道程を列車の進行(これまで自分があまり使っていなかった移動手段)に例え歌った。
そんな2曲は、GREEでもミリシタでも曲名を冠する最高レアが登場している。
これがトキメキの音符になって。
これが夢色トレインです。
どっちも非常にいいイラストですよね。魅力がうまく引き出されていると思います。
特にいいのがミリシタの方の覚醒前カードイラスト。
「トキメキの音符になって」では、ジュニオールとの出会いが描かれています。
彼女の好奇心にはジュニオールとの日々が強く関係しているのは手に取るようにわかる。彼女がジュニオールに寄せる信頼はGREEの頃からしっかり提示されていますし、その根源から純粋な少女だったと。
そして「夢色トレイン」。
仕事のためにローカル線で移動する姿を描いているわけですが、まさしくこれが彼女の「知らない世界を知る」ことの楽しさを体現しているのが一目でわかる。
そして、語らねばならないのはここまでで名前が出ていないソロ3曲目、「Come on a Tea Party!」です。
「自分の好きなものでみんなに喜んでほしい」という彼女のイデアにとことん寄り添ったいい曲なんですが、これには曲名カードがまだありません。
でもこれ、もうあるんだと気づくのに実は6年もかかってしまいました。恥ずかしいですね。
「純真アイドル!」がこれを体現していました。
なんでこれに気づいたかというと、「お茶会」と彼女のパーソナリティに結びつくものが一つだけあったんです。
それが、「ふしぎの国のアリス」、ひいては「アリス」でした。
お茶会の創作といえば「不思議の国のアリス」の気違いのお茶会であり、気違いのお茶会といえば、いつまでも同じ話をしているもの。
でも彼女は停滞を望まないし、より新しいものを、より良いものを知ろうとする姿勢がある。
だからこそ、本人が好きなティーパーティーと本人の純粋さをかき混ぜたものが、このイラストをアリス風に仕立てているんじゃないか。
そう思ったら、彼女の「強さ」のようなものが見えてきました。
何度も言っていますが、彼女のイデアは「自分の好きなものでみんなに喜んでほしい」という純粋無垢な気持ちそのもの。
ジュニオールとの出会いが産んだ「知らない世界への好奇心」と、プロデューサーが引き合わせたアイドルという「知らない世界」を知り、もっと違う世界を知りたい、そしてその知らない人たちとも自分の好きを共有したい、喜びを提供したいと思うようになるわけです。
アイドルという知らない世界を突き進む彼女の強さはまさしくその「アリス性」にある、と。
そしてその好奇心の根底にあるのはやはり「誰かに喜んでほしい」という善性であり、ジュニオールや家族の愛が育んだ類稀なる純粋善な訳だ。
もし彼女が芸能界という不思議の国で危ない目に遭っても、ちゃんと自分が引き寄せられるという安心感がある。
元々彼女はエゴの取り扱いを自分に委ねることはあまりしない(そりゃエゴはエゴなので)けど、この善性から来ているエゴを守れなくて何がプロデューサーやねん。とここに来てようやく気づけたわけです。
こんなにも脆く強い善性を守れなくて何が大人だろうか。俺はなんのためにアイドルを預かるんだ。
だがかと言って、そんなふうに善性を尊んで守ろう守ろうとすればするほど、「そんなに素晴らしい人間じゃない」という気持ちは強くなる。
それを「普段のいい子」と「本当はいい子を演じる悪い子」という二つの側面として表現したのが「きまぐれユモレスク」で、星梨花自身が言いたいであろう「周りとのギャップ」であり、「本当の自分」なのだろうと納得できたわけです。
本人は本当の意味でこれを理解するのは少し後になるのかもしれないし、その後からどうなるかはわからないが、いつまでもただのいい子でいるよりそっちの方がよっぽど可愛げがある。ふざけたこと抜かすなら承知しないかもしれませんけど、彼女の本当にやりたいことはそこにはないと思うし、何よりこの小悪魔的側面を持ちながら、あくまで善性を捨てきれていない。というかそこは捨てられようもないほど彼女のイデアになってしまっている。
なら杞憂だろう。何よりそういう子なのは自分も含めシアターの仲間たちが知っているはずだし。最上はたまに盲目になるけど
ようやく彼女のパーソナリティに理解・共感を示すことができた。今までごめんな気づいてやれなくて。強かったんだな。家に守られて無敵な状態ってことは全くないわ。そもそもお前親父の過保護嫌がってんだもんな。
時が経って、いろんな考え方を知った結果、箱崎星梨花というキャラクターと和解できた気がした。
心のしこりが取れた気がするけど、ここまでしっかり考察しちゃうと他のメンツの今を知りたくなっちゃって……
もう少しだけミリオンライブに寄り道してから、今の巣に帰ります。