[2023/1/18]本日の日記「老けたオベロン」
血眼で探し回ったけどニーゴだけ買えんかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さすが人気コンテンツだ。舐めてた。悔しいか?俺は悔しいよ
次あるとしたら今度は深夜から張り込んでやらあ…!
物語を楽しむ上で、その物語がどのような意味を持つのかを考えられるようになるって意外と大事なことなのかもなあとふと思う。
特に多感な中高生とかの時期はいろんな物語に触れていたけど、今思えば「あれはこういうことを言いたかった話なのかなあ」なんて懐古することもあり、いざ見直すと当時見ていたものとは違うレイヤーで作品を楽しめている。
例を挙げるなら幼少期も幼少期、ウルトラガキの頃見ていた仮面ライダークウガと、中高生で見る仮面ライダークウガと、今見る仮面ライダークウガじゃあ物語そのものに対するレイヤーが違う。
昔はかっこいい、グロンギが怖いとかくらいの印象になるし、少し多感になれば警察同士や五代と一条を取り巻く人間関係だったり、いろんなものが見えるようになり、今見れば、大人たちがどう考え、どう物語を作っていったのかまで読み解けるようになっていく、みたいな。
どの視聴体験も正しいものなんだよな。でもだんだん年取ってくると「いつかまたこの作品に戻ることがあったら裏側の底にもいろんな物語がある」と確信しすぎて、惰性で物語を楽しめないどころか、レイヤーの違う人にもいつかでいいからこのレイヤーの存在に気づいてやってくれ…!という非常に厚かましい考えを持つようになってしまった。
単純にその作品の根っこの根っこまで楽しめ!!!消費すな!!!!!!という話でもあるんだけど、まあなかなか難しい話。俺のエゴ。
ちゃんと精神に余裕がある時にしようね。してくれ?
こんなことばかり考えているのであまりに老いている。そしてオベロンみたいな思想になりつつある。
なのでもうこれからは老けたオベロンを自覚していこう。
僕への断罪は、すべてが終わった後、君の手で行ってくれ。