[2023/03/25]本日の日記「細えことはあとで言うからいいんだよ」

これから「グリッドマンユニバース」を見に行きます。これは早朝に書いているので、まだ何も知りません。主題歌も聴いていない。いつだって新鮮な原体験から物語は始まるのだ。


とある事情でインターネットに公開する記事を書くことになっているんだけど、どうも手につかないので日記を書いている。ただ、ネタがあるわけじゃないんですよね〜〜。

なのでまあ、少し思ったことを。



「イミシブル・ディスコード」を読了した。火曜日の話ですけどね。

ネタバレ込みの話を少しだけします。イベントが終わるまでにこの熱量が保てるか、少し不安なので……

なのでここからはネタバレ注意。










てっきり俺は、まふゆ母と分かり合えると思い込んでいた。

彼女がまふゆのことを大事に思う気持ちはあるんだろう、と「灯のミラージュ」でも描写されていたし、今回ですらちゃんとその言葉は彼女の口から発せられていた。

ただ一つ、これだけは言えることであるが。

あいつは、何も考えていない。

ナチュラルに価値観を押し付けている、と言われていたが、そうではない。

価値観すらない。"体裁"以上のものは何も持ち合わせていない。

自分を上位に見せるために、奏と落ち合う場所をホテルのカフェにして、言葉で自然にマウントを取ったり。

相手の事情、言葉を聞いたふりして一切興味を示していなかったり。

驚いたよ。てっきり奏のことをもっとはっきり見下すんだと思ってた。

でも実際は、ナチュラル価値観以上の発言はなく、"宵崎奏"という目の前の女の子に興味すら示していなかった。

そう、言葉に信念がない。「なぜそう思うのか」と問われても問われても要領を得ない回答だけが出てくる。

思考を完全に放棄し、体裁だけで会話しているモンスターが、朝比奈まふゆの母の正体だ。


ただ、これを嫌悪するわけではない。

そりゃあ読み終わった瞬間は不快でした。心底。嫌悪なんて言葉で示せないくらいには不快だった。「このババア………」とため息まじりに言葉を漏らしていた。

でも、考えてもみれば自然なことであった。

蛙の子は蛙。瓜の蔓に茄子はならぬ。

考えてもみれば、朝比奈まふゆも同じようなものだった。

周りに"いい子"を求められている時の彼女は、彼女なりに考えて"いい子"を演じていこそいるが、それ以上の考えはない。

言い訳とそれらしい言葉だけで飾った"いい子"だったから、朝比奈まふゆの心は壊れかけている。

そして、それでもなお周りが悪いと思いたくないから、より壊れていく。

あの母親は、こうやって壊れていく朝比奈まふゆの成れの果てなんだろう。

体裁だけを気にして、自分の中で画一化された"優秀な人間"になり、それを当たり前のように家族に押し付けてしまう。

もしまふゆが奏と出会っていなければ、こうなっていただろう。

だからこそ、嫌悪はできない。

一方的に否定できるものでもあるし、拒絶しなければならない相手ではある。

あんなもの肯定してしまったら、それこそ泥沼だ。

和解は期待しない方がいいだろう。ああなってしまったらもう誰にも変えられない。

娘の心からの言葉すら聞き届けない大人の気持ちを変えることなど不可能だ。

だから、だからこそ。

朝比奈まふゆが変わらなければならない。

KAITOが強い言葉でまふゆを批判したのも、根底はそこにある。

心地よい今に甘えていなかったか?

本当の自分はどこにあるのか、「わからない」以上のことを考えていたか?

「きっとお母さんも私のことを想ってくれている」という自分の優しさで、自分の気持ちを偽っていないか?

そういう見向きしたくない部分の象徴がKAITOなんだろう。

少なくとも、まふゆは今、音楽を奪われることを拒絶している。

ならば自分のやりたいことを否定してくる母に、食ってかかるべきなのかもしれない。

うるせえよ、と。

それができるほど、冷たい人間でもない。だからこそ苦しんでいるのだが。

ただ、今回奏が確信したことでもあるけれど。

見せかけの善意は善意とは言わない。それらしい言葉を並べて、想っているかのような口ぶりで、自分が満足するだけの行為はただの自己満足だ。

それを認めてしまうことが一番辛いのはわかっていても、根本的な問題はrそこにあるのなら、それは自覚せねばならないだろう。

それを詰めることが、問題の解決=本当の想いを見つける、だとKAITOは判断したと思えば、非常にわかりやすい。

それが極論だったとしても、助けになることがセカイの使命だからそういう選択肢をとることも正解だ。

実際、エリア会話でリンですらまふゆに「KAITOの言うことは気にしなくていい」とフォローに回るレベルだし。

それでもやはり、変わるべきはまふゆ本人なのかもしれない。

自我が完成しきってしまった大人は変わることが難しくても、まだまふゆは子どもだ。変わることができるとしたら、子どもでいられる今しかない。

KAITOの言葉を受けて、彼女はどうするのだろうか。

絵名の言った「嫌なことはちゃんと嫌って言いなさいよ」が、心の底で言えるようになるといいなあ、なんて思います。

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