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自分を愛してくれる相手を得るとは究極的にはつまり【永遠嬢noteレビュー】
人呼んで「マトモすぎる色○師」にして稀代の縄師、永遠嬢様というのはどういう御方なのか。
解りやすいよう永遠嬢様のバズりツイートをひとつ貼っておきます。
何を隠そう10代の頃にメンヘラだった私が、カウンセラーの先生から言われて目から鱗が落ちて一気に心が楽になった言葉を置いておきますね。 pic.twitter.com/HSpZ6PNnKT
— 永遠嬢 (@nagoyadokuneko) June 8, 2016
たとえば、誰だって時々あると思うけど、
色々と、さびしくて、苦しくて、自信を喪って、クサってる時、あるよね。
そんなときのあるあるだけど。
友人や彼やらに愚痴ってどんなに慰めてもらっても「もっと!もっと!慰めて!でも違う!なんか違う!ますますつらい!みんなが親身になってくれてるのに、悲しみが嵩じてなぜかムカムカした気分になって情けなくなってきた!」って果てのない自分でも嫌になるような他者におんぶするような謎の意味不明な縋りつき感が出てきてどんどんつらくなり却って慰められるほどなんだか自分が惨めになるだけで孤独と劣等感が深まる時って、ない?
そんなとき、
不思議なことにね、
駅に落ちてるゴミをぽっと一個拾って、そのへんのゴミ箱に捨てて、その30秒の動作で
(駅の石で出来たツルツルの階段に、こんな、菓子パンのビニール空き袋とか、危ないよね!誰かがこんなん踏んだらツルッとすっ転んで大怪我してたかも知れん…お年寄りなら死んだかもしれん…ワシ、知らない人の命救ったかもしれん!…ええ事したな!)
なーんて自己満する方がよっぽど癒される時って…ない?
永遠嬢様が仰ってるのはね、たぶん…
それが愛なんだよ、それでいいんだよ、
そんな感じの話だと思うの。
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注:
このツイートを辿って返信などを読みますと、若き日の永遠嬢様のカウンセラーが「お母様は悪くない」って仰ってるくだりに反応して「それ違う!悪い毒親に育てられたからこどもが病むケースもあるでしょ!」って反論してるひともいて、実は!それは全く!完全に!その通りではありますよ。
たしかに、この世にはこどもを遺棄するどころか虐待死させる親は確かに存在する。なのに愛のない親がこの世に存在しないなんて仮定するのは100%間違いですよ?この世には殺人犯レベルのヤバイ親というのはかなり沢山いてそれを愛の過ちなどと見なすのは勘違いもはなはだしいところであります。
だからある意味、そのカウンセラーが(きちんと若き日の永遠嬢様から聞き取りしてその果ての結論にしても)「お母様は悪くない」とサクッと決め込んで話を続けているのはある面では間違いは間違いでそれは違った場所でとことん議論するに足る非常に深い話ではあるんですが、
が。
が。
今回の話の本質はそっちではなく、もっともっと深い場所なんですよ。
少女の頃の永遠嬢様が、カウンセラーさんが伝えた、ちょっとした言葉を
きっかけにして、自分の力で
「自分をいやしてくれる相手は究極的には自分自身しか居ないのだ」
「そういう究極の孤独の中に立った上で、時折出会う一瞬のぬくもり、それが、人と人が愛し合うという事」
「人間は永遠に寂しい、他者に縋り付く事に癒しはない」
「あえて言うなら、他者に自分の寂しさを埋めてもらった時ではなく、自分が相手の寂しさをわずかでも埋めてあげられた時、その一瞬に、自分の寂しさが消えるはかない一瞬がある。そしてそれはあくまでも瞬間であって、次の瞬間ふっと日差しが差せば、すっとはかなく消えゆく、ただの春の雪のようなもの」
「そしてその一瞬のひとつひとつを生涯でどれほど感謝して受け取れるか、じつは、それが、幸福の本質」