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D・H ロレンス『チャタレイ(チャタレー)夫人の恋人』の削除部分(問題部分)が新潮文庫のどこだったのか全ページと行を調べ明示しました!【この小説がここまで標的にされチャタレー事件(裁判)にまで発展したのは性描写のせいじゃない】




2023年10月2日書き足しました:

いったいどこが発禁削除部分だったのかが解るように、過去の新潮文庫削除版と、現在の新潮文庫完全版を照合し、過去の削除箇所のページと行をすべて明示しました。なのでこのマヨコンヌ記事を参照しながら、現行の新潮文庫完全版をチェックすれば、全発禁削除部分が完全に把握できるようになっています。また、その発禁削除部分の文章そのものも一部を抜き書き引用も致しました。


発禁の経緯

1950年に4月に小山書店から伊藤整訳で刊行された『チャタレイ夫人の恋人』は同年警察当局に押収され有罪判決を受け、回収されました。

今の新潮文庫は発禁だった部分を全部入りの完訳なんだけど、一体全体どこがまずいとされたのか、ネット検索してもどこにも書いてないのね。

だから完訳版を読みつつもいつも『・・・?え、はあ・・・?この本の何がどうダメだったんだろう・・・?』って疑問が引っかかったままでした。

だって発禁処分を受けた1950年ってふつうに戦後ですよ?!そしてもちろん、その時代にも、こんな小説よりよほどえげつない実写のピンク映画やら、とんでもないエログロ小説などは、時々の警察当局の検閲を受けつつも、なんだかんだで、世に出て販売されていたわけです!たとえば、1956年には沼正三の『家畜人ヤプー』、1962年には団鬼六の『花と蛇』とか連載されとりますよ?なのになぜ、こんな地味な『チャタレイ夫人の恋人』を発禁にするの???って

実際に完訳版を読めば読むほど????って思うんですよ。

1950年の発禁処分のその後、1964年には新潮文庫から問題個所を削除した伊藤整訳の『削除版』が刊行されるようになりました。

次に、1973年、羽矢健一訳によって問題個所も全て訳した『完訳版』が出たのですが、その時は警察当局は一切動かず、特に世間の話題にもならず、静かに受け入れられました。

時代の変遷により、事実上、『この程度の描写は問題に当たらないと見做された』事になります。

しかしそのような世論や警察当局の変化があったにもかかわらず!

なんと、その1973年以降にも、1964年の新潮文庫の伊藤整訳版はそのまま数十ページに渡る大量の文言を削除されたままの、削除版のままで販売され続けたのです。

新潮文庫、めんどくさかったんでしょうか…。

その削除状態は、なんと削除版新潮文庫が出て32年、1950年の発禁から数えるとなんと

46年も続き!

1996年!なんと平成の時代になってからやっと完全版になったのでした。

問題部分【削除箇所】ページと行の一覧表


削除部分をアスタリスクに置き換えた、削除版の過去の新潮文庫『チャタレイ夫人の恋人』は今でも図書館や古本で手に入ります。

なので完訳版の現在の新潮文庫と、過去の削除版の新潮文庫、二冊を比較すれば『問題だった場所』が一体全体どこだったのか一目瞭然で解るワケです。

だけど、ネット検索しても、誰もやっていない…。

調べても調べても、削除部分を把握しないでなんとなくで適当な事をうそぶいてるひとばかり。

誰かちゃんと調べろよ…
と嘆いていてもしょーがないので
マヨコンヌさんが自分で二冊買って
自力で調べてみましたよ。

削除部分は新潮文庫(伊藤整訳伊藤礼補訳)の以下のページでした。
◆44P 10行目 ~ 15行目
◆94P 後ろから3行目 ~ 97P 12行目まで
◆209P 14行目 ~ 210P 8行目まで
◆227P 2行目 ~ 232P 11行目まで 
◆242P 8行目 ~ 244P 14行目まで
◆384P 12行目 ~ 16行目まで 
◆385P 10行目 「彼は」から ~ 390P 1行目まで
◆407P 14行目 「彼女は」から~ 412P 14行目まで  
◆457P 6行目 ~ 460P 2行目まで
 

なんと約70-80ページ、10か所程度が削除されていました。

さすがに70-80ページ全部は抜き書き引用まではしませんけど、これからいくつかの発禁削除部分だった箇所を伏字なども一切せずにちゃんとそのまま引用しますので皆さまもその発禁部分を読んでみて『発禁するほどのわいせつ』だったのかどうか考えてみてください。


【過去に発禁された削除部分】を一部引用したので読んでみてね



発禁処分で削除された部分は70-80ページあるのでさすがに全部は引用しきれませんが、その一部を以下に抜き書きします。(全部読んでみたい方は完訳版を入手され、さっき私が調べた『削除部分』に照合すれば完全に把握できますのでトライしてみてください。)

彼女は彼の柔らかい蕾が自分の中でうごめくのを感じた。それが不思議なリズムで大きくなるにつれて、自分の中にも不思議なリズムが閃き渡るのを感じた。それはふくれ上がり、ふくれ上がり、彼女の裂けそうな意識をすべて埋めてしまった。そしてそれから、あの言語をこえた運動が始った。それは本当は運動というものではなく、純粋な、深まって行く感覚の渦巻であった。それは彼女の総ての細胞と意識の中に深く、更に深く渦巻いて入って行き、終いに彼女は、ひとつの完全な求心的な感覚の流れになった。そして彼女は無意識に、意味のわからない譫言を叫びながら横たわっていた。それは最も深い夜からの叫び声、生命からほとばしる声だ!男は自分の下に居る彼女のその声を畏れをもって聞いた。自分の生命が彼女の中に飛び込んで行ったように。そしてその声がおさまると、彼の動きもまたおさまり、全く静かに、すべてを忘れて横たわった。彼を抱いていた手が次第にゆるみ、彼女はぐったりとなった。

D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』P244【削除されていた部分】


「ああ!」と男は苦しげとも見える様子でからだを伸ばした。「こいつはおれの魂の中に根を張っているんだ、この紳士は!時々おれはこいつをどう扱っていいのかわからなくなる。そうだ、こいつには自分の意思があって、それに合わせるのが難しくなる。それなのに、こいつを殺してしまうわけにはいかない」

D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』P389【削除されていた部分】


↑ちなみにこれ、じぶんのち○ちん(文中では『紳士』という名前で呼ばれているw)に己が翻弄されている事実を彼女にぼやいてます。

「おめえ、いいけつしてるなあ」と彼は、喉にかかった方言で、いとおしむように言った。「おめえみたいなけつは見たことがねえ。こんないいけつの女はいねえよ!こりゃ、間違いなく女のけつだ。間違いねえ。男みたいな固いけつとはわけがちがう。本当に柔らかくって、ふくよかで男好きがするなあ。このけつなら世界だって止められるよ。」
 話している間じゅう、彼はそのまるい尻を優しく撫でていた。ついに彼は、すべすべした炎が自分の手にのり移って来たような気がした。そして彼の指先は柔らかなちいさな火のブラシのように、時々、彼女のからだの二つの秘密の穴に触れた。
「おめえがここから糞をしたり小便をたれたりするのがいいんだ。糞も小便も出来ないような女に用はない。」

D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』P410【削除されていた部分】

↑言いたいテーマは解るけど、言い方ァ!

「おめえは本物だ、おめえは!おめえは本物だ、本物の牝犬だ。ここからおめえは糞をたれ、ここからおめえは小便をたれる。ここの両方に触ってみると、おめえはいい女だなとおれは思うんだ。それおめえが好きになるんだ。これこそ本物のけつだ。自慢そうな女のけつだ。堂々としてるじゃないか」彼は親密な挨拶するように、彼女の秘密の場所に強くしっかり手を置いた。「おれはこいつが好きだぜ」と彼は言った。「こいつが好きだ!だからたった十分間しか生きていないとしても、おめえのけつを撫でて、おめえのけつを知れば、一生生きたも同然だ!産業社会だろうが何だろうが同じことだ。ここに俺の人生があるんだ」

D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』P410-411【削除されていた部分】

↑開き直り始めてます。ちなみにここでやたらとけつを褒められているチャタレイ夫人ですが、彼女は、むっちりと柔らかくて丸みのある魅力的な曲線美の女性かもしれませんが、若くもないしまあまあいい歳の女性で、貧乳でもあり、決して、どんな男も引き付けるスーパー美女というわけではありません。

知的な退役軍人出身の森番メラーズはなぜ彼女を『世界一のけつ』だと評価するかというと、要するに、人生の中で彼女だけが初めて、自分の雄の部分を素直に完全に受け入れてくれ、自分の雄の部分を素直に堪能してくれたからなのです。

ですからチャタレイ夫人の恋人とは選ばれし美男美女の不倫の話ではなく、いろいろな男女関係のすれ違いや失敗を経験して、内心では異性との幸福な関係を強烈に求めつつも、希望をほぼ失って孤独に生きていたふつうの男女が、同じ境遇の孤独なふつうの異性に出会った話であり、たまたま相手の異性がどっちにとっても肉体的に本気で喜び合える相手だったので、はじめて二人は互いを通じて本気で生物の喜びを堪能出来た=本物の性愛を知り、自分の内なる自然を取り戻すことができた、そういう話なのです。

夏の夜、短いその夏の一夜に、彼女は多くを学んだ。彼女は、女は羞恥のために死ぬものと考えていた。そうではなくて恥の方が死んでしまった。恥かしさと言うのは恐れなのだ。深い肉体の恥は、我々のからだの根の中にうずくまっている古い古い肉体的な恐れ。それは感覚の火によらなければ追い払うことは出来ない。この夜も恥が猟り立てられ、男のペニスと言う猟師に追いたてられた。それで彼女は自分自身のジャングルの一番奥にたどりついたのだ。彼女は今、ありのままの自分と言う真の岩盤に達し、恥ずかしさという感情と無縁になっていることを感じた。彼女の自我はいま肉欲的な自我であり、裸となり、恥も感じなかった、彼女は勝利を感じた。自慢したいような勝利を感じた。そうだ!これがそれだったのだ!これが生命だったのだ!これが本当の自分自身のあり方だった!何もかくしたり恥ずかしがったりする事はなかったのだ。彼女は1人の男とともに、一個の他者とともに、究極の自分の姿を理解した。

D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』P458【削除されていた部分】

詩人もその他の連中も、何と言う嘘つきだろう!彼らは人間には感情が必要だと信じさせる。ところが人間が最も強く求めているのは、この貫くような、消耗するような、恐ろしいほどの肉の感覚なのだ。それを敢えてなし、恥も、罪も、最後の疑いも感じない男がここにいたのだ!もし男が後になってそれを恥じ、女にも恥じさせたなら、それは何と言う恐ろしいことか!男たちは、大多数が、哀れにもすごい見えっ張りで、浅ましい。クリフォードがそうだ!マイクリスさえそうだ! ふたりとも感覚の事では見えっ張りで屈辱的だ。精神の至高の喜びだって!そんなことが女にとって何になろう?実際のところ、男にとっても何になろう?精神を浄化し元気付けるためにも、真の感覚は必要なのだ。真の火のような感覚、混ざりものでない感覚が。

D・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』P458【削除されていた部分】

どうでしょうか。通常発禁にされるわいせつ文書とは一線を画した内容であり、文章なのは、十分お解りになると思います。

確かに削除部分には正面切って性が描かれてはおりますが、決して劣情をわざと喚起させるためだけに書かれたエロ箇所ではないし、劣情を喚起させる用途としてはちっとも有用でもないのも明らかですし、むしろ性哲学を語る哲学的な重要な箇所一種の自然現象にして自然美である『性の営み』のすばらしさを詩的に表現している詩的な部分、つまりロレンスのこの本のエッセンス的な部分が理不尽にもざっくり大量削除されていたという状況がこれを読むだけでもわかると思います。

結局『チャタレイ夫人の恋人』の何がヤバかったのか。


このように

彼の発禁削除部分の性描写なんてそんなもん、

セックスの喜びを抽象的に海のうねりに例えて延々とポエムってるだけで実はちっとも工口くもなんともないんです。

1950年の発禁当初にせよ、そして事実上発禁解除された1973年前にせよ、当時だって、非常に劣情を喚起させるピンク映画とかエログロ小説なんて沢山発行されていた訳です。

なのにこんなあっさりした性描写しかない本をわざわざやり玉にあげて発禁にするという警察当局のスタンスには非常に疑問を覚えます。

そして、削除された部分から考えて、性描写の卑猥さではなく、ロレンスの性哲学や、自然回帰思想に、警察当局と裁判所筋はある種の反体制的でアナーキーな要素を感じて危機感を感じたのではないか

もっと言うと警察当局と裁判所筋の一部メンバーがロレンスの性哲学に強く劣等感を刺激され強い個人的反感を感じた

というのが発禁の本当の理由なのではないかと私は思いました。



そもそもこの本は、不倫やフリーセックスを賛美したりするような内容ではありません。

話の中でむしろ不倫やフリーセックスを容認しようとしているのは体制側の『不能のクリフォード卿』の方なのです。チャタレイ様=クリフォード卿は妻がこのまま離婚せずにてきとーな不特定多数の相手と不倫セックスして自分と血の繋がらない世継ぎを産むことを望んでいるのです。

むしろクリフォード卿は、コニーが正式に逃げて行って別の男と合法的に結婚されるのが一番困るのです。

すでに周囲から周知の事実ではありますが、戦争の怪我の後遺症による自分の下半身不随=自分の性的不能によって、嫁が不満を感じて逃げていったことが周囲に明らかになってしまうというに耐えられないから、どんなに妻が不幸になっても、妻が一生性的にも恋愛的に満足しなくてもいいから、ただただクリフォードの見栄のために妻が喜びも愛もないただの世継ぎ子作りのための不倫セックスをむしろ実行しそしてクリフォードの体面を繕うための世継ぎを産み死ぬまでクリフォードを支えてほしい、というのがクリフォードの望みなのです。

反対に退役軍人の森番メラーズとチャタレイ夫人=コニーは、現在の不倫状態には不満であり、堂々と婚姻関係を結ぶため正式に結婚しようとしているのです。

それをクリフォード卿は妨害しようとします。つまりクリフォード卿は妻が正式に離婚して合法的に幸福になることよりも、すでに自分の性的不能に嫁が嫌気がさして逃げたという恥をすこしでも隠蔽したいがために妻に非合法的で愛のない非特定多数との世継ぎ子づくり不倫セックスを求めている側です。

(ただしそのセックス相手に妻がけっして惚れたりしてほしくない。不倫セックスはあくまで精子提供でありそこに感情が介在して欲しくないと矛盾した駄々をこねます。うっかりすると自分に性能力が戻ってきたように周囲に偽装したいような意図すらほの見えます。だから身分の低い森番なんかと付き合われるのなんか絶対に嫌で、結局はクリフォード卿は妻の離婚にもメラーズとの結婚にも徹底的に抵抗するんですけどね)

ですから、隠れた不倫関係を良しと思わず、無理な結婚は正式に解消しようとし、合法で継続的な結婚関係を築き上げようとしているのは、

ある意味で
健全な社会秩序を守ろうとしているのは

現時点では不倫しとるコニーとメラーズの方なのです!


つまり、『チャタレイ夫人の恋人』のヤバさとは。

それはロレンスがチャタレイ夫人の恋人』を通じて、

メチャクチャ学のある文明人で知的な自分だけど、おれって本当は結局は大いなる自然の一部に過ぎないんだ、そのことが理性としてはイヤでたまんないんだけど、でも結局、自分の人生の喜びの根幹は本能に翻弄されるケダモノでありただの一匹の生物にすぎないんだ、虫けらのように本能にひれ伏すことがおれの人生の、一番の喜びなのだ、でも、結局、人間は誰だって皆そうだろ?おしり大好き、ってことを本気で言い切ってしまっている事だったのではないかとマヨコンヌは思いました。

そしてそれを、『性哲学』として理屈っぽく、人生には知性よりも産業革命よりも文明よりもよりももっと大切なものがある、って結論づけてること。

しかもそれを身分の低い森番(学のある退役軍人なんだけど)と、ものすごく教養があるけど理屈ばかりで自分の内面を見つめられていない薄っぺらい性格の下半身不随の夫と、そんな薄っぺらい夫に嫌気がさしてる上流夫人の不倫を絡めて書いちゃったわけで、

それは、『いくらなんでも人類はもっと高尚な存在だと信じていたい文明人』『性の営みというものを無視しバカにすることで自分の生物としての喜びや劣等感に蓋をしつつ自分のプライドを保ちたい勢』への強烈なアンチテーゼだったのよ。

文明へのアンチテーゼ、つまりそれは、社会体制へのアンチテーゼ、それはつまりエロへの原始回帰を軸にした社会体制へのエロテロリズムなわけですよ!

つまりロレンスはエロテロリストなのです!

ロレンス・オブ・ジョイトイ…(参ったなー…)

実際、小説の中でも、炭鉱とか、車、エンジン、というものが、人類の大切な幸福を損なってしまう、炭鉱がない時代は幸福だった、とロレンスは繰り返します、

だから!

男はみんな、ピッチピチの股間を強調するようなエロい真っ赤なズボンを履くべきなんだ!!!そして炭鉱なんか閉めてしまえ!そうすれば民衆は幸せになれるんだ!!!!

って内容の事をロレンスは、このチャタレイ夫人の恋人の主人公の男にマジで語らせてますからねマジで!

…えーっと、そこ、需要、たぶん、そんなに無いから…わたくしロレンスさんの言いたいこと微妙にわかんなくなってきた…

ちょっと待ってくれよ…いや、人間の大切な喜びやらポエジーは結局のところ性生活とか食とかの本能的な感覚と密接に結びついてるんだ、ってあたりまではわたくし『それな!』って首振り切れるくらいものすごく同意なんですけどー、

強調すべきは、男の、股間ってどゆこと…

この世の男が皆んな股間をやたら強調するピッチピチの赤いズボンはいてる世界が理想郷って、さすがにこのマヨコンヌさんですらかなり嫌なんですけど…

ちなみに著者のロレンスさん本人は人生割と病気がちで早死にした知的なヒョロヒョロ系の人でして、つまりロレンスさんは自分の身体にすっごく自信あるからそーゆー方向性に行ったナルシストマッチョとかじゃなくて、むしろ病気がちヒョロヒョロ君なんです。

だからこそ、そんなヒョロヒョロな自分の、残り少ない自然の喜びを、更に強引にすり減らしてくる近代化に強い怒りを感じてるように思えます。

つまりロレンスさんは公害に汚染され変わり果てた街や、そこで搾取される庶民の悲しい姿に、ほとほと嫌気がさした怒れる知識人なのです。

無学な絶倫の農民が『おしりこそ我が人生、炭鉱閉じろ』って言っても為政者は『ははは、こいつバカでしょ』で済ませられますけど、

産業革命と世界大戦に向かって突き進むイギリスで、ヒット小説出しまくるヒョロヒョロ系有名小説家の学のある文化人にそれを言われて拡められるのは為政者にとっては都合が悪い。

ただのエロだけをテーマにしているのではなく、

古き良き美しい自然と、そこに自然の一部として生きる人間の喜びの大切さを語りリスペクトする自然擁護派で回帰主義なナチュラリスト、

そしてその自然への愛とリスペクトは、自然回帰主義はつまりそれは文明と近代化と権力を根本から否定している…

つまりロレンスさんは社会体制の根本原理を真っ向から糾弾し、社会体制の矛盾を暴いたワケです!

炭鉱なんか閉鎖してしまえ、軍隊なんか馬鹿馬鹿しい、文明なんか、社会体制なんか放り出せ、そして人類はみんなでおしりにひれ伏せば人類は幸せになれるんだ!あっ女性陣は女性のおしりはアレですよね、ではピチピチのズボンではいかがか、

という事を人気作家が結構な説得力を持って論理的に語りだしたら、うん、そりゃ体制に嫌われるわよね…)

あとね…

クリフォード卿の方だって戦争による怪我で不能になった事はそれこそショックだったでしょう。だからその傷つきを誤魔化し鎮めるため→性的な事など人生にとってたいした重要性はないかのように必死で自分に言い聞かせるあまり→結果→妻の性的幸福も重要でないという思考になり→妻の性的幸福を妨害し不幸に引きずり落とさずにはいられない、この一連の流れは極度に気の毒であります。

想像力があり謙虚な心のある読者なら、このクリフォード卿の傲慢だけども、とことん痛々しい哀れな意地っ張りぶりと、性的な劣等感に対しても、深い共感を禁じ得ないんですよね。

余計な格好つけをかなぐり捨て、相手に本気で心と身体を開くことで、相互に性的幸福を得ることに成功したメラーズとコニーというのは究極の勝ち組な訳です。

もちろん、
クリフォード卿やマイクリスが性的な幸福を得られない原因とは、

ロレンスが主張するように、
性の営みというものを人間には必要のない低次元な事のように軽視したり、パートナーの女性が性的喜びを得たがっている事を馬鹿にして切り捨てたり、自分という存在が性から切り離された高尚な存在だと思い込み性的なことを大切にする人を馬鹿にしてしまったせいでもあるんですが、

もうひとつ、そもそもクリフォード卿やマイクリスは、(怪我で性能力を失っていたり、産まれながらに淡白で)性的に低い能力しか持ち合わせていない、つまりそういうどうしようもない格差のせいでもあります。

そんな気の毒なクリフォード&マイクリス側(サイド)の方にむしろ強い共感を覚えてしまう人も多いのではないでしょうか。

まぁマイクリスの○漏のような多少の肉体的練習でによってどーにかなる問題であれば、性の軽視を止めてちょっと肉体的に試行錯誤すれば、メラーズ&コニーのように性的幸福を得られるかもですが、

クリフォード卿の下半身不随によるインポテンツ問題は努力でどうにかなる範囲を超えていますし明らかにクリフォードのせいではないのです…。

つまり、ロレンスの性哲学の中の幸福とは、(ロレンスはまるで性的幸福を意固地な心を棄てさえすれば誰にでも得られる幸福であるかのように描いていますが)

これを読むほど、性的な幸福とは、性的底辺層には開かれていない「選ばれし民のみに与えられた幸福」のような気もしてくるのです。

いや。

そもそも幸福自体が数少ない選ばれし者のみが到達できる狭き門の奥にしかないのかもしれません。

そんな、通常はエグすぎて皆んなが言わないように、考えないようにしている事実が、この小説の端々からは盛大に滲み出て浮き彫りにもなっているのです。

私も、正直なところ、クリフォード&マイクリス側の悲しみと意地っ張りにも共感を感じ、(こっちにも自分がいるなぁ…)とシュン…としてしまうのです。

たしか統計ではSEXしてる女性の7割が中逝きなんて出来ていないそうです。

つまりメラーズとコニーが到達した『中逝き&同時逝きしつつ喜びを分かち合うセックス』なんてメチャクチャハードル高いわけで…

(いやまぁ…クリフォード卿はこの小説の最後の方で不能のままとある女性とみだらな関係を得て、インポテンツのまま奇妙な性生活を取り戻しそしてそれによって幸福と事業へのすばらしい活力を手に入れます!つまりロレンスはインポテンツ層にも性的な喜びが開かれているような描き方はしてることはしてるんですけどもしかしロレンスの筆はその事を非常におぞましい感じに描いておりまして…それを読んでるとやっぱりシュン…ってなるというか…)

不思議ですよね。

天下一武闘会やオリンピックで優勝する話とか、世界一の美男美女が相思相愛になる話だったら人間はほとんど嫉妬心など抱かずさらりと感動するのに、

『本当に相性のいい異性と中逝き同時逝きする性生活を送る話』を読まされると、多くの人は無防備な心の弱い所を掻きむしられちゃって嫉妬心とか劣等感が湧いてくるような…

性について真面目に書けば書くほど!

性にまつわる不平等性が、
いや!
人生にまつわる不平等性が!

ブワァーと噴出しどうしても浮き彫りになっちゃって…かなりの割合の人々は読んで勇気づけられるどころかシュン…てなっちゃう…そのあたりにもこの『チャタレイ夫人の恋人』がいろんな国で発禁になるほどに揉めてしまった原因が隠れていると思うんですよ…シュン…。

削除版なのに削除版だって明示せずに売るってって文学や思想への冒涜じゃね?!


それにしても理不尽かつ不愉快なのは、ロレンスのが1番書きたかった大切な哲学が凝縮されて沢山語られている1番大切な小説の核の部分が平気でばっさり削除されている事です。しかも直接的ないやらしい描写などされていない哲学の部分が!

えげつない性描写の部分のみを伏字で削除ならばまだしも、そういう文学的としての重要箇所や思想的重要箇所をばっさり大量削除です。

そして我々日本人は1950年から1994年まで、なんと46年間、つまり半世紀に渡って、本屋で新潮文庫を手に取ると、そのロレンスの思想を削除された不完全で意味不明な本を読まされる羽目になっていたのです。

今回、削除部分をしっかり照合してよく解りましたが、これは削除部分ごと読まないと、ロレンスが何を言おうとしているか、サッパリ解らんというレベルの削除でした。

これは…ひどい!

ふざけんなよ!ここまで思想部分まで削除してそんな、出し殻みたいな本を出版するなら、いっそ丸ごと出版禁止にした方がマシだわ!ってレベルです。

検閲によって約50年近く、我々は、ロレンスの思想もロレンスの魅力も削られた出し殻を読まされていたのです。

そして、そんな、削除版を、1994年まで、つまり!アダルトビデオやら全盛期だった時代になっても、我々はポケーッと『なんか意味がよくわかんない小説だなぁーー?』とお金まで払って、新潮文庫買って、読んでいたんです。

しかももう一つ不愉快なのは、その、過去の、『不完全版新潮文庫』には『この本は警察当局の指導によって70-80ページの文章が削ってある不完全な本である』っていう非常に大切な事実がいっさい明示されていなかったことです!

いやまあ 削除部分には 謎のアスタリスク 米印というか星印みたいなのがちょん、ちょん、ちょん、って付けてありますよ?

でも、場面転換の時とかに、そういう書き方する人もいるじゃないですか?

なのに、あとがきにもまえがきにも解説にも注釈にも、そのアスタリスクが『これは削除箇所があった印』だという説明はそこにはないんです!

(削除版なら削除版で

『これは削除版です!!』

と明示した上で

どこを何文字、何文を、削除したのか、ハッキリとわかるように

『そして彼女は××××××××××で、××××××××××××××××××××××××××××××××××』

のような形で削除すべきでしょう!)

削られている削除版であるってことをいっさい明示せずに不完全な削除版を売るって…酷くないですか?

つまり読者は、警察当局に文章を大量削除されたため何が書いてあるかよくわからない小説を読まされている状況ではなく、まるでロレンスが物事が訳がわからなくなるようなぼやかした作風の人だと信じ込まされて、削除版を読まされていたのです。

新潮文庫的には周知の事実だからそこを敢えて説明しないとしたつもりかもですが、とにかく本のどこにも『削除されている本である』旨の説明がないのですから、たとえ読者がたまたまチャタレー事件を知ってる人だとしても、アスタリスク箇所は検閲削除されている場所なのか、それともその作者特有の場面転換の記号なのかを断定することは出来ずに読む羽目になります。

そんな状態が長々と続きました。

なんと、半世紀近くも!

それが警察当局の指導方針の結果なのか、新潮文庫側の販売戦略なのかはわかりませんが、たぶん警察当局が事を荒立たないようにとそういうぼかした出版をするように誘導したのだとは思いますけど、

資料を削除(改ざん)したあげくに、それを削除版(改ざん版)であるという事実を一切説明せず伏せるのは、それ、完全に詐欺であり!文学への冒涜!ではないでしょうか。

この46年間の間に、検閲削除版の新潮文庫を金払って手に取りつつも、一生本当のロレンスと出会えないままだった人もたくさんいたことでしょう。

そもそも1973年にはちゃんと発禁にならずに別の訳者・出版社から『完訳版のチャタレイ夫人の恋人』が発行されたのに、その時に即座に新潮文庫・伊藤整版を完全版に直さなかった新潮文庫のチキチキチキン野郎なスタンスにもムカつきを感じます。

いやまあ伊藤整はむしろ被害者だし…万一やっぱりもう一回発禁にされたらマジで挫けて再起不能になりそうなんで…完訳版を刊行するのはもういいよ…パトラッシュ、ボクはもう疲れたよ…ってビビってた気持ちもわかるけども!

でも!せめて!新潮文庫!新潮文庫!もうちょっと気張れよ!

そういや思い出したわ!

確か私も中学生の頃、削除版読んでガッカリした勢だったんだ!

私が、もしも、前は面白くなかったエロそうな本の完全版が出たからって(…?前読んだ方は…え…削除版だったの…かな?)と思いつつ、わざわざもう一回しつこくも読むほどにやたらと発禁本に興味を持つムッツリエロい人で無かったならば

私は永遠にロレンスの小説の、哲学の、素晴らしさに出会えずロレンスをつまんない小説家だと勘違いして死んでいったはずなんです!それを思うと冷や汗が出ますよ!

ぷんぷん!


ーーーおわりーーー

おまけ:

あとね、さすがガーデニング大国、イギリスの作家はどれも自然描写が異様なほど心に迫る美しさだわねぇ~。バーネットしかり、ロレンスしかり、なんかもう本の中の自然描写だけで、まるで本当に今の今、軽井沢のホテルで窓を開けて、霧のかかる白樺や山の景色を眺めながら、高原の空気を浴びているような、そんな夢幻世界に誘ってくれますよ。

そしてね、ロレンスさんはね、短編集がまたいいのよ…♡
みんないいけど、博労の娘 とか萌えたわ♡ 

ちょ、廃盤なのお?でも中古商品まだ安いわね!

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